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私が救ってあげたいのは、「過去の自分」だったのかもしれない

ここのところ、色々と新しい経験をしたりしながら、自分というものについて見つめ直したり、

私はこれから一体、どんな風に、世の人々の役に立って行くことができるだろうか、

と考えていました。

何か新しいことをすると、新しい情報が自分に入ってきます。

または、変わりつつある自分を確認したり、割とずーっと一定している自分というものの特性や、人の行動パターンを確認したり…。

いわば、今私は、自分という"商品"についての、市場調査をしているとも言えるかもしれません(^_^)

で、わかったのは、

"私が救ってあげたいのは、過去の自分だったのかもしれない"ということでした。

過去、心と身体を壊して、助けを求めたはずの医療によってさらに、窮地に陥った自分。

自分に起こったことは、一体何だったのか?

私が何かおかしかったのか、あるいは何か悪いところがあったから、自分はあんな目にあったのだろうか?…


世の中において、現在なんらかの成果を出され、ご自分の能力を発揮されて活躍されている人の中には、

実は過去、もの凄い苦労を経験されていたり、

多くの人達が割と一般的に手にすることができてきたものを与えられることのないような条件の中で育っていたりする人が、どうやら少なくないようだ…。

受難と言えるような酷い苦しみを味わう。

人間というものの真実について、世の中の仕組みについて自ら身を以て知ったからこそ、

それを経てなんらかの成功をおさめる。

あるいは、自分という人間の弱さについて、嫌というほど思い知る、

弱い立場に陥った時の世間の冷たい風、人から邪険に扱われる悲しみを知るからこそ、

人間の弱さを知り、それを赦し、そんな人間という存在そのものを慈しむ、

そんな懐の深さが身につく。

そんなことがあるような気がしてなりません。


それにしても、それを乗り越えるのは、容易ではありません。

こうしたら状況が好転します、というような確固とした方法が示されているわけでもなく、

ほとんど手探りで、不安や極めて不安定な状況の中を、それでも一歩を前に踏み出すより他ない。

そんな道を進んで行く。

自分の苦しみを、誰に打ち明けていいかも分からない。

その人は自分のことを、内心バカにするかもしれない。

誰かに告げ口されるかもしれない。

そもそも、自分の精神状態や身体の状態が、自分で制御しようにもし得ないほどの辛い状態に置かれているわけですから…。

信頼できる医師を探して、必死の思いで様々な文献に当たったり、ネットで情報を探すかもしれない。

弱みにつけ込んでくる人もいる。…


とこのように、なにか大変な状況に直面した時、私たちは苦しみます。

もちろん、お一人お一人、置かれた状況は異なるでしょう。

また前提として、そもそもの認識が違えば、集める情報や腹の据え方も違ってくるとも思います。

誰もが、それぞれの人生の中で、なにかを背負い、なんらかの制限のある中を生きている。

私も、自分に与えられた条件の中を、生きています。

これから私に、一体何ができるだろう?

私の現実的な状況も踏まえながら、何か具体的なサービスを作り出して行きたい、

そう考えています。

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