ハイリスク妊婦になっちゃった
リスニングママ・プロジェクト代表理事兼事務局のさとです。家の片付けをしていましたら、出産前後に書いていた日記が見つかり、自分の日記なのに思わず、読みふけってしまいました。どこでもお産はドラマがあると思いますけど、私のドラマはこんなのでした。
そもそも、子どもが産める身体であるかどうか、漠然とした不安をずっと抱えていました。なので妊娠した時は本当に嬉しかったです。長男の出産に、黄色信号が点滅したのは、28週の健診を受けた時でした。その日が、その病院で最後の健診で、翌日から実家に戻り、実家近くの病院で出産予定だった私は、何気なく健診に行ってました。
超音波で赤ちゃんの大きさを計測していたおじいちゃん先生の手が止まりました。何回か測って、「赤ちゃんが頭囲が前と同じで、成長が確認できない。心拍数はあるから、元気だけど、おかしいうーん。
本来であれば、出産のできる大きな病院への転院を今すぐ勧めるけど、明日実家に帰るのであればこの数字は見なかったことにするから、とにかくすぐ向こうに行って、出産予定の病院に行きなさい」初産ですから、全くわからないわけですよ。わからないけど、周りの先生方がどんどん深刻そうな顔になっていくのでした。移動して、分娩を予約していた綺麗な病院に行ったのですが、結局、そこの先生も不安だと。
ハイリスク分娩も可能な病院病院に、転院となったのでした。普通に妊娠して、普通に過ごしていたつもり(これは夫に言わせたら問題あるかもしれませんが)、突然のハイリスク宣告。両親学級に夫と行ったり、バースプランなんかも考えていたりしたのに、全て、ガラガラと崩れ…でも、お腹の中で蹴ってくる息子の存在に、ほっとしながら、それでも、普通分娩じゃないと、生き物として失格な気がして、「大丈夫(普通になるよ!)」と、思い込もうとしていました。
今思えば、ああ痛いあせる。当時、まだ、リスママもない頃。友人に泣き言を言ったか、言ってなかったか、覚えてないですが、私よりも、実家の両親の方が心配していて、「仕事なんかしているからよ」と、母から言われて、カチンときて喧嘩むかっしつつも、とにかく、元気に生まれてきてね、と、願うばかりの日々。
そんな中、担当の超ベテランの先生から、「赤ちゃんは今は元気なんだけど、やはりちょっと小さい。安心のために入院してほしい。赤ちゃんは、小さいだけでリスクなんだ」と、言われて、34週でとうとう入院することに。
とにかく、想定以上に子どもが小さい、という理由。原因は全くわかりません。とてもベテランの先生が担当で、35週の検診時に、当時は、まだ滅多にない3Dのエコーで確認してもらい、「あー、しっかり座ってるねぇ。感心感心。」と言われて、???に。
先生は笑いながら、「しっかり、逆子だよ。骨盤にあぐらかいてる。逆子は悪い事みたいに聞こえるかもしれないけど、こんなにいい顔で座っているんだから、きっと、この子にとっては、この位置が一番、心地いいんだよ。僕はこの子がここが居心地がいいって事を大事にしてあげたらいいとおもう。鍼とか体操とか、やってもいいけど無理なくね」
と、言われて、ますますびっくりびっくり!!そして、頭の大きさを測定して、「うん。前の病院から引き継いでいるけど、確かに小顔ちゃんだなぁ。これは男前になるよ。病気を持ってたら、もっと顔が険しいんだよ。でも、ほら、よく笑っているし、ほんと大丈夫」
次に、足の長さを測定して、「足の長さで計算すると、ちゃんと週数にあってる。足は心臓から一番遠い臓器でね。ここが成長しているってことは、栄養はちゃんと回っているということ。小さいこと以外は、特に問題ないよ。ただ、小さいってことは、それだけでリスク。だから、ゆったり入院してて。」
逆子は、座っているだけという説明が、ツボにはまり、足の長さが一番成長を測れるという説明がしっくりきて、そうか〜、君は頑固者なんだね、と、声をかけつつも、自分の居心地の良さを、こんな時から、ちゃんと探して選ぶんだと思ったら、涙が出そうなぐらい感激したのを覚えています。彼は彼の命で生きている。赤ちゃんは、何もわからないかもしれないけど、ちゃんと力があるんだな、と実感したタイミングでした。
「逆子でも、この子はすごい!」と、思えたわけですが、1週間後の次の検診。いつもは気さくな先生から、ちょっと固い声で「羊水が減ってきているから、もう待てない。赤ちゃんが笑っているうちに出したい。ちょうど今日で37週。次の水曜日に、帝王切開で出しましょう。」
と、宣告されました!
逆子だから覚悟はしていたものの、帝王切開に抵抗があったので、私はギョッとした顔をしたんだと思います。
「帝王切開って、簡単に言うと思ってるでしょ。でも、どれひとつ同じお腹の中はないんだよ。やらなくていいなら、やりたくない。ただ、言えることは、今回は赤ちゃんにとっては、帝王切開の方が安全。羊水が少なくなって来ていると言うことは、赤ちゃんにとって良い環境ではないし、小さいから赤ちゃんの体力も心配なんだよ。体重がもしかすると、2300グラムより少ないかもしれない。2300グラムより小さいと、安心のためにNICUに入院して、一緒には帰れない。2300グラムあることを祈っておいて。」
と、またまた、思ってもないことを言われました。そのほか、諸々のリスクもお聞きして、これまた、緊急のような、緊急じゃないような、もやっと感。でも、最後には「よろしくお願いします」と、言うことができたのでした。
自然分娩だと、いつ生まれるのかはわかりませんが、帝王切開って先にわかってしまうのです。私の場合は、5日前に「その日」がわかってしまいました。そもそも、手術をしたことがないので、お腹を切られるドキドキ、「赤ちゃんは大丈夫なのか」というドキドキ、赤ちゃんのいる生活へのドキドキ、あとはもう、よくわかんないドキドキプンプンで、あまり眠れず、ご飯も美味しくなく。
手術当日。前日の夕食以降は絶食。夫と少し、話ができたあとは、点滴やら麻酔やらなにやら。そして、歩いて手術室まで行き、その前で夫と両親に励まされて、進みました。狭いベッドに寝て、麻酔されて、私の身体は、胸から下の感覚がない部分麻酔。あの、医療ドラマでよく聞く、ピッピッと言う電子音の中、手術は始まりました。普段はメガネをかけている私、手術の時はもちろん外すのでぼやけた視界ですが、上にあるライトの表面に反射して、ちょうどお腹が映っていまして、、、
お腹にメスが入ったのも、赤い子宮も、見てしまいました。
(でも、痛くないのと、ハッキリとは見えていないので、とっても他人事)
そして、先生の「さあ、赤ちゃんに会うよ!」と言う声とともに、赤ちゃんが出てきてふぇ〜〜〜っあせると言う感じの泣き声が聞こえて、あー、よかった無事に生まれたと思っているのもつかの間。
先生と助産師さんが私の横にきて赤ちゃんを見せてくれながら「無事に生まれたよ、でも、体重がやっぱり少し足らなかった。説明していた通り、今からこの子をNICUに運ぶからね。」
と、ちらりと赤ちゃんを見せてくれたあとは、すごい勢いで赤ちゃんと助産師さんは出て行き、私は「さあ、お腹を閉じるから。麻酔で寝ているといいよ。次は病室で会いましょう」という、先生の勧めに従ったのでした。
麻酔から冷めると、夫と両親がいて、夫に「無事に子どもを迎えられて、よかったよかった。ありがとう。」と、言われましたが、どうやら、赤ちゃんをしっかりと見ることもできず、「おめでとうございます。これから小さいのでNICUに連れて行きます」と、助産師さんに説明され、そのまますごい勢いで赤ちゃんを抱いた助産師さんは、行ってしまったそうです。
さて、一人になり、ようやく産まれたけど、NICUに行ってしまった。ぽっかりと穴が空いたような気持ちで、初めての私よりも、きっとベテランの助産師さんがいいに違いない、と、言い聞かせ、麻酔が切れても、身体を動かすこともできず、緊張も解けない夜を過ごしたのでした。
これは産まれて2週間以上経ってます。耳のかたちが特徴な子でした。
さぁようやく産まれましたが、ここからが、まだ大変。
自分の赤ちゃんを見に行くのがこんなに大変とは!でもおっぱいをあげたい!
産後の話もドラマあり。その話はまた今度。
(2020年10月28日、11月14日、11月21日の記事より)
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