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差別の解消、格差、法の下の平等をごちゃ混ぜにしない

高校教員向けに公民科の授業づくりについて、書いています。政治経済や公共の授業で扱う単元に、日本国憲法の保障する平等権がある。取り上げるべき話題や題材は、豊富にある。そのことがかえって教科の知識を不明瞭なものにしてしまいがちだ。

格差社会
医学部入試女子差別
マタハラ
非正規雇用
外国人労働者
部落差別
在日外国人差別
障害者差別

事例を探せば、いくつも見つかる。授業計画において悩むことは、どの事例を扱えばいいのか、どのように示して発問すべきか、である。
この悩みは、単元の目標を意識すれば解決する。

何を理解させたいのか

こういう事件があったことを知ってほしい。厳しい現実を生徒たちに伝えたい。問題を知ってほしいという思いだけで、授業づくりを進めると、順番に紹介するだけになってしまう。時間的に余裕がなければ、羅列や列挙で、生徒は言葉を覚えるだけで済まそうとしてしまう。

差別と平等を一緒に教えない。
2つに分けておしえよう。

日本国憲法の単元で、法の下の平等を取り上げる。続いて、日本の差別問題を扱うという流れになっている教科書は多い。しかし、日本の差別問題と憲法の規定という異なるテーマを同時に関連付けて、学習させるのは、混乱を招く。
憲法14条の規定、法の下の平等は、何を政府に求めているのかを理解させることが、授業のねらいになる。まずは、法の下でも不平等があったということを知ってもらう。今はなくなった過去の規定、条文を示して何が問題かを指摘させたい。

刑法の尊属殺人重罰規定
労働基準法の女性保護規定

法の執行や適用において、差別してはいけない。ということを理解させるための事例を選んでほしい。条文以外にもよく議員定数の不均衡を例示する。

憲法は統治者を縛る法規である。したがって、国対国民の構図を確認して、平等権の保障についても、そのことがわかる事例を取り上げる必要がある。

差別は、自分の優位を確保するために、優位を危うくする可能性のある他者を貶めて劣った者と見なすことをいう。他者の属性や特徴を理由にして、見下したり、不利益に扱ったりする。
国が行う不当な扱いと、個人の偏見や蔑視をごちゃ混ぜにして説明してしまうと混乱を招く。事例を取り上げるときは、構図を示し、被害者だけに着目してはいけない。
憲法に法の下の平等の規定はあるが、法の下での不当な扱いは、しばしば生じてきた。

日本にある差別問題についての学習と、法の下の平等という法の適用についての学習は、別々にした方がいい。

差別問題の学習は、
差別の対象となっている人への理解、
差別の対象となっている人の現状、
どんな理由で差別されてきたのか、
どんな場面で不当な扱いをされてきたのか、
を取り上げるのが基本だ。

例えば、障害者差別を取り上げる授業では、以下のような項目を学習させる。

身体機能と障害者の暮らし
障害者に向けられる視線、直面する問題
差別する側の考え

基本的な理解をした後に以下のような項目を学習させる。
法的な対応、法改正の変遷
差別解消に向けた取り組み、政策
目指す社会の姿や在り方

機会の平等を実現すれば十分か
結果や実質的な平等をどこまで求めるか

教科書でも機会の平等だけでなく、積極的にアファーマティブ・アクションにより、状況を改善する取り組みが紹介されている。差別問題の解消には、自分たちが社会の一員として、どのレベルの平等を求めるのか、社会でどこまで合意できるのか、ということに関係している。
極端に言えば、完全な平等を描くことは可能だ。共産主義や究極のジェンダーフリーも描ける。描いてみればわかるが、どうやら私たちは、完全な平等、均一化や均質化を望んでいるわけではない。多様性として許容すべき差と、見過ごせない格差や不当な扱いとがある。

個人的な問題か、それとも公的社会的問題か

内なる差別心や差別感情に気づいたり、向き合ったりすることと、国が政策として差別解消を推進することとに分けて議論すればいい。これもごちゃ混ぜだと、単元の目標を見失う。

平等権と差別問題の単元はは、事例が豊富にあるため、かえって授業のねらいが不明確になる。公民科の授業づくりにおいては、複数のテーマを同時に取り上げていないか、構図を示して考えさせているか、テーマの理解に役立つ事例を選んでいるか、が大事だ。


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