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私と読書

私は、本を読むのが好きだ。

月に1〜2冊くらいのペースだが、どこに行くにも本がないと不安になるし、部屋のあちこちに読みかけの本を置いていつでも手に取れるようにしている。

「本を読む」と言ってもいくつかの派閥があることを最近気づいたが、私は圧倒的に「小説派」。
物語の登場人物たちの感情を言葉で読むと、これまで私が抱いた名もない感情に名前がつけられたような気がして安心する。
小説の中の出来事に、自分の過去の出来事を重ね合わせて感傷に浸る。(出来事の輪郭がぼやけていることもあるが)

なんとなく、読書をしている間は私の中の空虚さが埋まるような気がする。
顔も見たことがない主人公と友人になり、抱いたことのない感覚を追体験し、あるいは自らの愛せる側面を見いだすことができる。

冒頭で書いた通り、私は比較的、スローリーダーだ。
それは、小説を小分けにして読むから。
出かけに本をカバンにしまい、電車の中で読む。疲れたら外を見たりして、電車を降りる。歩きながら本を読んで、バスに揺られる。家に帰ってご飯を食べて、後回しにしたお風呂の言い訳みたいにまた読み始める。

一度に読む時間は、長くて20分くらいだろうか。読んでは違うことをして、また読んでは違うことをする。そんなことをしていると、読み終わるまでに1週間や2週間が経つ。


話が変わるが、私は本屋が好きだ。

友人が待ち合わせに遅れても、本屋があれば1時間くらいなら気にせず待てるくらいに。

本屋は、自分にとって感情のバロメーター的な機能があると思っている。
例えば元気がみなぎり新しい知識をどんどん得たい!という気分の時には触れたことのない分野の本を気づけば手に取っている。一方で、全く元気がない時には、どの本も全然面白くないのでは?と疑ぐり、手に取ることさえできない。特定のトピックに気を取られている時には、気づけばその並びの前で10分は過ごしているし、本よりも人が気になるときは、ちょっと外交的なモードになっているときだ。

モヤモヤしていた気持ちも、本屋に行けばなんとなく答えが見つかる気がするし、見つからなくても自分の気持ちにちょっと向き合えるような気がする。

本を見回って、好きな本を手に取る。自分の扉を1つ開けたような気分になる。これを読むときっと面白い!と確信してレジで会計を済まし、家に帰る。


本屋が好き✖️スローリーダー=積読名人

さて、本屋が好きで、たくさんの本を買う。
だけれど、本を読むのが遅い。
これがかけ合わさると、積読になる。

私は積読名人である。家にはまだ読んでない本がたくさんある。
一時、積読書を読むのにハマって、数はかなり減った気がしているが、それでもまだまだ積読している。

積読って、なんとなく、「いけないこと」と囚われることもあるけれど、
私は積ん読をしている状態がとても好きだ。

私が少しでも気になって手にとって買った本が、家に並んでいる光景を見るだけでうっとりする。読んでなくても満足できてしまうのだ。

「この本、私絶対好き!」と思いながら3年積読していた本も、半分まで読んで2年が経過した本も、皆大好きである。

これからも、積読名人を続けていきたいと思う!<ここで閉じる>

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