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東京るつぼ

ー日本の「多様性」と逸脱者たち

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「ママの目見せて。」

5歳のルルが私に寄ってきた。

ルル:「ママの目はダークブラウンだね。」
私:「ルルの目は何色?」
ルル:「僕の目は黒だよ。」
私:「クラスの他の人は何色?」
ルル:「先生は青で、ブラウンの人もいるし、黒の人もいるよ。」

ルルはインターナショナルスクールに入ったばかりだ。
どうやら多様性について習っているらしい。

ルル:「みんなは髪の色も違うし、目の色も違うけれど、同じクラスなんだよ。仲良くするの。」
私:「そうだね。ルルとママは目の色も違うし、顔も違うけど、ルルはずっとママの子供だよ。」

私たちはそれぞれ違うけれど、家族になったり、同じ国で生まれたり、同じ気持ちを共有したりする。
違うけれれど、重なる部分がある。
重なるけれど、違う部分がある。

違いから入ると重なる部分を共有しやすくなるけれど、
重なる部分から入ると違いを受け入れにくくなる。
私はそれを自分の5歳の子供から習った。

男と女の話をしよう。

付き合っている時は重なる部分が一つでもあると嬉しくなる。

「好きな食べ物が同じだからうれしい」
「好きな映画が同じだからうれしい」
「誕生日が同じ日だからうれしい」。。。

共感できる、重なる部分がたくさんあるから結婚する。

しかし、結婚してからは違う部分が出てくるからお互いにイライラする。

「どうして私の気持ちが分からないの?」
「どうして約束守らないの?」
「どうして、どうして」。。。

違いを受け入れると幸せな暮らしが待っている。
違いを受け入れないと離婚が待っている。

結婚する前に絶対に気を付けるべきことが一つだけある。
相手を見る時は同じところを見るのではなく、違うところを見ること。
違うことを受け入れる前提で結婚したから、少なくとも結婚してから相手の違うことが分かったことでショックを受けることはないからだ。

すべてのことは違うところから入るとうまくいくのだ。

日本の「多様性」と「逸脱」


「多様性」と「逸脱」を語る前にその概念の定義から話そう。

多様性:
多様性(たようせい、diversity)とは、「ある集団の中に異なる特徴 • 特性を持つ人がともに存在する」ことである。
ーウィキペディア

逸脱:
集団や社会の大多数の成員が守る規範や価値に同調しない行為形態。
ーGiddens[1989=1992:用語解説1]

最近日本では「多様性」という言葉をよく聞く。

「多様性」を叫ぶにはそれを「排除する」という意味ではなく、「受け入れる」という意味だと私は理解している。

私は日本の大学で社会学を勉強した。
しかし、「逸脱」というのは日本ではあまりいい意味ではなかったような気がする。

「多様性」と「逸脱」、

日本人は「集団の中での違うもの」を受け入れたいのか?受け入れたくないのか?

集団の中で、同じことであっても、外国人がしたら「多様性」、日本人がしたら「逸脱」??

日本という集団は「違うもの」に対してどうしたいのか?

私はそれが知りたい。

逸脱者たち

私は外国人として日本で生きている。
私の子供は私と違う国籍を持っているので、お互いに外国人のような状態。
しかし、彼らも日本では外国人なのだ。

初めて子供のパスポートを受け取った時、
「私が抱っこしているこの子は外国人なんだ。私の子供なのに。。。」
と戸惑っていた。
国籍も、言葉も、文化も、私と全然違う子供たちだが、今は全然距離を感じないし、私は彼らをとても、とても愛している。
全てが違っても、私の家族で、私の子であることには変わりがないからだ。

そう、私の家族は多様性、ダイバーシティのある家族だ。

その① 輪の中に入りたい外国人 ーヘンリー

ヘンリー、イギリス人。
イングランド生まれ、青い目、ブロンドヘア。
ロンドンのアクセントを使っているジェントルなおじいちゃん。
日本には30年以上日本人の奥さんと奥さんの家族と一緒に住んでいる。

私は英会話教室で初めて彼に会った。

「私は洋子、今の奥さんと結婚するために、イギリスの私の家族のところに彼女を連れて行ったんだ。」

ヘンリーは彼と奥さんの話を聞かせてくれた。

「親父は第二次世界大戦の時にイギリス空軍で日本軍と戦ったから、日本人の彼女を連れて行くのはとても心配だったんだ。」
「しかし、親父は彼女を歓迎してくれて、若い世代は前の世代のことに責任を取る必要がないと話してくれたんだ。」
「また、次の日には行きつけのパブに連れていって、そこにいる知り合いの全員に彼女を紹介したんだ。洋子は私たちの家族になる人だから、誰も彼女に文句を言うなと言ってくれたんだ。」
「その時の親父は本当にかっこよかったよ。」

その話をしながらヘンリーは微笑んだ。

「日本での洋子との生活は本当に幸せだったよ。」

彼は話を続ける。

「洋子の母親は私のことが大好きだった。私も彼女のことが大好きだった。とても可愛らしいレディーだったよ。」
「彼女は認知症になって今は施設に入っているんだ。彼女は奥さんの洋子のことは覚えてないけれど、私のことは覚えていて、私がお見舞いに行くと「ヘンリー、ヘンリー」と言いながら喜んでいるんだ。」

彼は嬉しそうな顔をした。

「私は東京を私のホームタウンだと思っているよ。
だってイギリスに行ったら三日ぐらいでホームシックになるから。」
「兄弟たちはびっくりしているけど、私は東京にいる方が落ち着くんだ。」

「国籍なんか気にしなくてもいいんだ。心が落ち着く場所がホームタウンだから。」

彼は頭を傾げる。
「でも、外に出ると差別はあるよ。」
「この外見で電車に乗っていると、私の周囲の半径1メートルの場所は誰も人がいないからね。それ以外のところは人がギューギューしているにもかかわらず。。。」

私が言った。
「それは言語による心の壁かもしれません。」

彼は反論する。
「私はそう思わない。人間として普通に接していないからだ。
あまりいい気分にはなれないね。」

これが彼の日本での経験である。
日本が大好きで、日本の家族も大好きだけど、周りの日本人には受け入れていないと思っている。

その② 永遠の外部者 ー金本さん

金本さん、在日三世、日本の特別永住者。
日本生まれ、日本育ち。
日本語を話して、顔も日本人、名前も金本さん。
誰が見ても日本人なのに、日本人ではない。
韓国人のはずなのに、韓国の国籍がない。

私はドライバー講習の時に彼に出会った。
私の夫が彼の祖父と同じ地域出身の韓国人だと分かると、彼は自分のことを話し始めた。

「いつか行ってみたいですね。自分の故郷という場所に。。。」

私が言った。
「行ってみればいいじゃないですか?一回ぐらいは自分の故郷を見た方がいいと思います。」

彼が溜息をした。
「それができないんです。私は無国籍だから。」

私はびっくりした。
「それはどういうことですか?」

彼は続けた。
「祖父がなくなる前に国籍をちゃんとしておけばよかったんですけどね。。。」
「韓国大使館に確認したのですが、住所がはっきりしないから国籍を取れないと言われました。」
「韓国には親戚が一人もいないので、どうしようもないですね。」
「一番大変なのは娘の短期留学の時でしたね。ほかの日本人はそのまま飛行機に乗ればよかったのに、うちの娘は国籍がない状態だから、6回も韓国大使館に行って、やっと1回限りのビザを取って渡航しました。それはちょっとかわいそうでしたね。」

私が言った。
「日本の国籍を取るのはどうですか?そっちの方が簡単だと思いますが。。。」

私はヘンリーから教わったことを彼に伝えた。
「国籍なんか気にしなくてもいいですよ。心が落ち着く場所が金本さんの故郷だから。自分が韓国人だと思ったら韓国人ですよ。」

彼は頭を横に振った。
「親父も同じことを言ったことありますね。でもそれはできないですね。」

しばらく黙っていた彼はまた話した。
「この前、母親がえごまの葉の韓国風漬物を持ってきたんです。
それが本当に美味しくて、うちの娘はそれを食べながら「韓国人でよかった」とずっと言っていました。」
娘のことを思い出したのか、彼は笑顔になった。

彼は日本に生まれて、何を経験して、何を考えたのか?
すぐにでも取れる日本の国籍より、はるかに難しい韓国の国籍を取りたい。

韓国人になったからと言って、韓国に移住するわけでもなく、
これからもずっと日本で住み続けることが決まっている金本さん。

彼は日本に生まれ育ちながら、永遠の外部者の道を選んだ。

その③ 輪の外に出たい日本人 ー祐子さん

祐子さん、日本人。
日本で生まれ育った、標準的な日本人。
知的な印象の理系女。
自分は日本の学校で教育を受けたが、子供はインターナショナルスクールに入れたお母さん。

私が彼女と知り合ったのは、子供同士が同じ学校に通っているからだ。

ある真夏の日、彼女にランチに誘われた。
子供の話で盛り上がった後、彼女が自分のことを話し始めた。

祐子さん:
「日本の学校ではトイレに行く時、誰かを誘って一緒に行くけど、知っている?」

私:
「聞いたことない。それは学校の決まりなの?」

祐子さん:
「決まりではないけれど、暗黙のルールだよ。」
「私は友達がいなかったの。だからトイレの時は誘える人がいなくて本当に辛かった。」

私:
「それでトイレに行く時はどうしたの?」

祐子さん:
「一人で行くしかなかった。」
「しかし、一人で行くとまた男の子たちに「お前は友達がないだろう」と揶揄われて、その時は本当に泣きたい気分になる。」

私:
「そうなんだ。それは大変だね。」

祐子さん:
「だから子供は絶対にインターナショナルスクールに入れようと決めだんだ。子供を見ていると、トイレに行くことで困っている様子はないからほっとしている。」

インターナショナルスクールに子供を通わせていると、英語教育のためだと思っている人が多いかもしれない。

しかし、実際には英語以外の理由がもっと多いと思う。

英語のためなら、義務教育を受けさせ、自分で勉強したり、大学の時に留学したりすれば、言語はいくらでも習得できるはずだ。
それがもっとも経済的なルートだと私も思っている。

インターナショナルスクールに通わせている親はみんな金持ちだと思われているが、実際には子供のために必死に働いて授業料を払っている親もたくさんいる。

ではどうしてインターナショナルスクールを選んだのか?
それは教育に対する価値観の違いだと私は思っている。

親自身が受けた日本の教育に失望したり、窮屈さを感じだり、もしくはより多くのチャンスを子供に与えたかったかもしれない。

その一つが子供の多様性を受け入れない教育環境の問題だと思う。

多様性=集団と違うこと
違うことを受け入れない教育環境では個性も多様性も生まれない。

日本の教育は個性のある子供を育てたいのか、それとも教える側がコントロールしやすい、行動も考えも同じ、つまり個性のない子供を大量生産したいのか考える必要がある。

大人には大人たちの都合がある。
子供には子供の都合がある。
大人の都合に子供を合わせるのか、子供の都合に大人を合わせるのか、
大人たちはよく考える必要がある。

子供の都合を考える親たちが選んだのが、
インターナショナルスクールという形の逸脱だと私は思っている。

日本の「多様性」への提案

「多様性」も「逸脱」も「集団」と密接な関係がある。
受け入れるか、出ていくのかという話だと思う。
結局は「集団」が「受け入れてくれない」から「出ていく」ことになる。

「集団」を構成しているのは関係性だったり、秩序だったり、文化だったりする。

「集団」は変わらないものなのか?
関係性が変わったり、秩序が変わったり、文化が変わると「集団」は変わる。

関係性、秩序、文化が変わるのは難しい?
いいものを続けて、よくないものはなくして、更によいものを受け入れれば、より良いものになるのではないかと私は思っている。

変える話をすると「文化」と「伝統」の矛盾が出てくるので、最後に一つだけ説明したい。

中国には大昔「三寸金蓮」という風習があった。
女の子が生まれたら、足を布で巻いて育たなくするものである。
三寸が10cm弱だから、足は10cmが一番美しいと言われていた。
北宋(960年-1127年)時期から1000年近く続いていたのだから、立派な文化であって、伝統である。

町で見かける中国人女性の足をよく見るといい。
10cmの足はどこに行っても見つからないはずだ。

1000年も続いた風習をなくすのは大変なことだと思うが、よくないものはよくない。
今は誰も10cmの足になろうと思わない。

文化でも、伝統でも、よくないものはなくすべきである。

「流れる水は腐らない」ということわざがある。
このことわざは日本でも、中国でも、韓国でも使われている。
変わることはいいことなのだ。

日本が「違いを受け入れること」に関してもっと寛容な社会になることを期待してみたい。



注:本文で出てくる名前はすべて仮名を使っている。

END

#エッセイ部門 #創作大賞2024


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