見出し画像

Day 17. 「ごみ」という概念を進化させる

今日はどんなごみを捨てた?

わたしは、使用済みのコットンとティッシュ、コロコロ掃除の汚れたシート、野菜と魚の入っていたプラスチックのパッケージをごみ箱に捨てた。重さは大したことないけどかさばるごみが多いから、目の前に並べられたら結構な量になると思う。できるだけプラスチックに入っていない野菜を選んで買っていても、野菜くずや海老の殻などはコンポストに入れるようにしていても、やっぱりこれだけのごみが出てしまう。

こうしたごみが、「不要物」ではなくて「再利用可能な資源」だったら、わたしの今日出したごみは「ごみ」ではなくなる。ただ、今の技術ではこれらの品目を資源として再利用することはできない(焼却して熱エネルギーを回収するという方法はあるけど、奥の手だ)。なので、わたしはごみを出している自分に自覚的であるべきだし、減らす努力をするべきだと感じる。というのも、廃棄物問題の最も手軽かつ重要なことは、「ごみを出さない」ことに他ならないからだ。

そもそも「ごみ」は不自然なもの

「ごみ」を出す生物は人間だけだ。この広い世界の中で、たったの1種だけ。その生物が、膨大な量の廃棄物を日々生み出していて、自身の生活さえも圧迫している。他の生物の生産物や排泄物は、全て自然界のなかで利用されて循環していくので、そもそも「ごみ」という概念がない。

わたしたちは日々当たり前のようにごみを排出していて、もはや考えを及ばすことなんて無いけど、「不要物」とされるものは自然に存在しない物なのだ。

とはいえ、人間も生物の仲間なので、自然の摂理にしたがって生きている限りは全てか循環利用されるようにできている。ただ現代では、わたしたちが数多くの非自然的な化学物質を大量に作り出したり、地中から化石資源を持ってきたりして、その後始末をし切れていないということが問題だ。もともとの自然のサイクルにそぐわないものは、自然界には受け入れられない。なんでも吸い込んでくれそうな海は、人々の過信が重なってごみだらけになっている。例えば、2050年以降は海中の魚の量よりプラスチックの量が勝るだろうと言われている。

ゆりかごからゆりかごへ

「ゆりかごから墓場まで(cradle to grave)」という表現に照らして、「ゆりかごからゆりかごへ(cradle to cradle)」という考え方がある。前者はイギリスの社会福祉政策のスローガンで、後者はいわば循環型社会のモデルと呼ぶべきものだ。すなわち、最終的にはごみとして燃やされたり埋め立てられたりする固形廃棄物(solid waste)になるのではなく、継続的なサイクルの一部として製品を考えるというものだ。
下の図がその概念を表している。左の生物サイクルと同じように、右の技術サイクルが循環していけば、実質的な「ごみ」は発生しない、もしくは最小限に留められるという考え方だ。

スクリーンショット 2020-05-23 19.56.29

(出典: "Living in the Environment")

この概念は今から約50年前に提唱されたものだけど、最近ではそのエッセンスが引き継がれた「循環経済(circular economy)」が世界のキーワードになってきている。

そもそも、なんでごみを出しちゃいけないの?

シンプルな質問には、シンプルに答えたい。なぜなら、人間が出したごみはなかなか無くなってくれないので、結果的に自分たちや生物を害してしまうからだ。人為的に発生したものがなくなるまで、莫大な時間がかかる。そして、鉛や水銀、ガラス、発泡スチロール、ペットボトルなどは完全には分解されない。

わたしたちが出すごみが分解までどれくらいの年数がかかるかといえば、例えばこんな感じだ。

アルミ缶  :500年
おむつ   :550年
レジ袋   :1,000年
放射性廃棄物:10,000年〜240,000年

この数字は自然条件や物によってもちろん変化するけど、埋め立て処理した場合、分解までおよそこれくらいの年数がかかるのだ。

排出量が少なければ自然に頑張ってもらいたいところだけど、わたしたち人間は毎日ものすごい量のごみを出す。日本のように焼却処理をして減容している地域は全世界で見るとまだまだ少なくて、特に発展途上国は収集されて埋め立てていれば良い方で、多くがオープンダンピングされている。つまりは、衛生管理も秩序もない「ごみ山」だ。フィリピンのスモーキーマウンテンなどでは、収入得るために子どもたち含めた多くの人たちが不衛生な環境で働いている。

ごみを出さない経済への移行

かの有名なアインシュタインはこんなことを言ったそうだ。
"A clever person solves a problem; a wise person avoids it(賢い人は問題を解決し、賢明な人は問題を回避する)"

廃棄物問題に置き換えて考えてみると、賢明な人は「そもそもごみを出さない」という選択をするということになる。じっさい、この考え方を適用して「ゼロ・ウェイスト」運動を始めている自治体、団体、企業が多くある。その基本は、日本でもよく言われている「3R(リユース・リデュース・リサイクル)」だ。これにリフューズ(断る)も加わって4Rと呼んだりもする。

廃棄物による汚染を未然に防ぎ、廃棄物を減らし、ごみを出さない社会へと移行するための原則は以下の通りだ。

1.すべてのものはつながっている
2. 私たちは実質的にはごみを「捨てる(through away)」ことはできない
3. 生産者と汚染者は、自分たちが生産する廃棄物の代金を支払うべきである
4. 廃棄物を再利用、リサイクル、堆肥化、交換することで、自然の循環を真似る(biomimicry)ことができる

「ごみ」をさらに深堀りしてみる

"cradle to cradle"デザインの提唱者のMcDonoughさんいわく、"in nature, waste equals food(自然においては、「ごみ」は「食物」のことだ)"だそうだ。

「食物」である必要はないけど、あくまで自然界で暮らすわたしたちが目指すべきは、「ごみ」が「不要物」ではなく当たり前に有効活用され循環していく世界だ。
そのためには、そもそもわたしたちは何を「ごみ」として捉えているのか考えて、どうしたら有効活用できるようになるか、知恵を絞っていかないといけない。つまり、大事なのはごみを「ごみ」として諦めるんじゃなくて、その先の価値を見出して、きちんと循環させられるようにすること。
そうすると、生きる上で必要なものと、使うべきでないものがはっきりしてくるんじゃないかな。

さて、身の回りのごみが気になってきちゃった人にうってつけのよい機会がある。5月30日=「530(ごみゼロ)の日」に合わせて、ゼロウェイストな取り組みを共有するキャンペーンだ。気軽に何かしら始めてみたいあなた、まずは覗いてみてね。


サポートありがとうございます。お金を使ったり体を張ったりする取材の費用に使わせてもらいます☺