モルヒネか、孤独か#4『本当の依存症の話をしよう』

1970年代に行われた「ラットパーク(ネズミの楽園)」というネズミの実験の漫画を読みたくて手に取った。

ゲージに隔離された1匹のネズミと、多数のネズミに対し、普通の水とモルヒネ入りの水を用意して与え、57日間観察した。

楽園ネズミ、ゲージのネズミは、モルヒネ水に依存していくのだろうか?などを観察した実験である。

(モルヒネはヘロインと同じ麻薬で、覚醒剤よりもはるかに強い依存性を持つ薬剤)

結果は、ゲージに隔離されたネズミが依存していった。楽園ネズミは、少量のモルヒネ水を飲んだが、他のネズミと遊んだりしてなかなかモルヒネ水を飲もうとしなかった。(研究成果を割愛して記載しており、詳細は本をご覧頂きたい)

つまり、ネズミをモルヒネに耽弱させるのは、依存性薬物の存在ではなく、孤独で自由の利かない窮屈な環境ということが示唆された。

関連書籍↓

●私の思ったこと

依存症の正体は?

関連著者、カンツィアンとアルバニースは、1970年代に依存症の自己治療仮説を提唱した。依存症という病気を、「その根底に心理的苦痛が存在し、他のさまざまな精神障害とも密接に関連することが多い障害」と定義した。当時は、画期的な臨床概念であった。依存症は遺伝的素因等の生物学的なメカニズムを原因とする考え方に加え、その後もこの分野の発展に大きく寄与している。

また、何らかの依存症を抱える人の苦痛とは、(1)感情、(2)自分には価値があるという感覚、自尊心、(3)人間関係及び(4)行動(特にセルフケア)といったものの調節障害に由来していると定義した。依存性物質には制御困難な感情や自己価値観、あるいは人間関係や行動上の問題が引き起こす苦痛を束の間の間だけ、緩和したり、変化させ得たり、耐えられるものとする効果があるとした。

病気を障害と捉えることで、社会や重要他者との相互作用も含めて、障害に影響を及ぼすと考えやすい。精神領域だけでなくプライマリケアでも重要な概念である。

プライマリケアの現場の問題について、この苦痛の概念を敷衍して考えてみた

高齢者の多診療科にまたがる受診行動について、上記の苦痛の概念を敷衍して考えてみたい。多診療科にまたがる受診行動の背後にも、類似した苦痛がある可能性もあるのでは?

私の経験上、生活に支障をきたしている外来通院高齢者が一定数いた。おそらく内服もできていないようにみえたが、医学的な問題(蜂窩織炎、肺炎、転倒など)が顕在化したのちに訪問看護導入に至ることが多い(という所感がある)。なぜなら、本人らが支援の必要性を感じておられないためである。しかし、長期的にみれば、疾患が安定期にあったとしても、訪問看護やヘルパーの早期導入は、低コストで生活の機能不全を未然に防ぐ(症状の観察、内服管理、排便、排尿コントロールのアドバイスや腹部マッサージなどのケア、その人にとって必要なリハビリ、肺炎、脱水、皮膚トラブルの予防的ケア、何かあった時に相談できる相談先の窓口にもなることが可能)ことができると期待している(これも信頼に足る研究が必要で、私は現在その一部を分析中)。外部からのお節介的なサポートも時に必要?

行政的なサポート、地域包括支援センターをはじめとする保健師やケアマネージャーの働きは素晴らしいと思う。ただ、支援者側のマンパワーの問題は深刻で、生活困窮者が優先されること、さらに都会となると近隣のサポートが得られるとも限らない点も考慮し、行政に任せきりは良くない。デイサービスやピアサポートグループ、自治会の活動、趣味活動などに参加できる人は、参加したい意欲、活力がある人が少なくない。もっと当事者や家族が、自主的に訪問看護や介護といったフォーマルなサービスの導入を検討する余地があるのでは?とはいえ、私は当事者の経験をしたことがないし、自分の正義の押し付けは、全くのお節介であると思う。もっと看護研究者が、訪問看護やヘルパーの介入効果を検討した知見を発信していく必要がある、自戒を込めて言いたい。地域によっては、自治体主体で相談会の実施、訪問看護フェスティバルの開催など、認知度は高まりつつあるようだ。

一方で、その効果があるとしても、本人が看護、介護職に侵入されることに抵抗がある人もいるだろう。依存症の本人の語りにあるように、本人が支援を必要と感じていない、看護師らのケアに対し猜疑心がある、その職種にその役割を期待をしていないこともあるだろう。。これまた依存症の方々の回復プロセスのように、地域のお節介精神を発揮して、時間をかけてゆっくりと関わってゆけば、本人の拒否的な反応にも変化があり、ケアを受け入れ、歓迎されることも多い(という経験もある)


あとがき

(※病院、クリニックなどの医師、医療者も、全人的に患者を捉えた治療、薬剤調整、訪問看護やヘルパーの紹介などの療養調整にも努めておられることを存じ上げている。私自身も、クリニックや病院で、療養調整や生活状況の把握に努めていた経験を持つ。その上で、僭越ながら、思うことを書かせていただいた。まだまだ勉強不足で、知識不足で未熟な文章ですが、ここまで読んでくださり感謝です。)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?