自己紹介

18歳〜23歳 シドニー

通信簿で英語は3以上取ったことはなかったけど、高校卒業後にオーストラリアシドニーに語学留学後、州立の専門学校にてホスピタリティーマネージメントと調理を学ぶ。丁度その頃オーストラリアが調理師に永住権ビザを発行していたのもあり、あれとあれよと気づけば5年以上居たオーストラリア。ハーバーブリッジが見渡せるモダンオーストラリアレストランにてシェフ生活をして居たがオージーシェフ達の大酒っぷりにあわせて酒を浴びていたら30で死ぬと思ったのと、このままシドニーに慣れてしまったら日本社会に帰れなくなると思いもうすぐで取れそうだった永住権を捨ててアメリカに。

23歳〜25歳 フロリダ

日本社会に戻りたいなら日本帰れよと思うかもしれませんが、始めから日本社会はきついと思って、日本の某大手百貨店がアメリカの夢の国で働く日本人を集って居たためリハビリもかねてアメリカで日本企業で働くことに。一年間オーランドの夢の国の中にある鉄板焼きレストランでウエイトレスとして働く。シドニーでの激務の後の仕事であった為楽すぎて一年間の夏休み状態。同期が多く一気に日本人の友達が増えて本当に行ってよかった一年間。この一年は旅行しまくり。ナパバレーにてワインを飲みまくったり、メキシコカンクンでマルガリータを浴びたり、2日連続の休みがあればすぐお隣のニューヨークまでひとっ飛びしたり。夢のような一年間を過ごしました。

プログラム終了後は南米を2ヶ月パックパックで旅行。色々物を盗られながら荷物を軽くして思い出を重くした旅行。うまいこと言って見たけど一眼レフやら旅日記やら盗られた時は結構落ち込んだ。ガラパゴス島で漁船みたいな船で5日間のクルーズしたり、パタゴニアで氷山の氷でウィスキーを飲んだり。お湯が出るだけで嬉しかったり日本やアメリカの生活がいかに恵まれているかなど毎日思うことがあった旅。この旅でスペイン語に興味を持つ。

25歳 東京

日本に帰って初めての就職活動。ニューヨーク発のハンバーガー屋さんのオープニングで日本の飲食業界の闇に触れる。とりあえず長い労働時間。休みも少ない。転職を考える暇もなく、日本のビジネスルールも知らずに始めたが、始めて電話に出た時『お世話になっております』と言われて会った事ないのにと思って『はい?どーも』と答えたのは内緒。その後現場から本部に移動し、経理部にて5年ほど勤め、ずっと喋れるようになりたいと思ってたスペイン語留学の為に退社。本当にお世話になったし、色々ごめんなさい、そしてありがとうございますな私の日本生活は6年で終わる。

31歳 バルセロナ

色々な縁があり留学先はスペインバルセロナに決定!来て見たらスペイン語じゃなくてカタルーニャ語が公用語というきちんと調べとけよ的な事もありましたが、31歳、独身は怖いものなし。2018年6月、10年ぶりに気ままな学生生活を始める。初めは1年間一本勝負の予定だった為、1年でできる事は全部やろうと行く前から3ヶ月後の9月から1年間の料理学校を申し込んでいた。今考えでも謎。なんでスペイン語なんも知らないくせに3ヶ月後にスペイン語の料理教室を申し込んだのか。。タイムマシンがあったら私が料理学校で白目むいてる白目むいてる自分を自分に見せてあげたい。やりすぎだぞって。

現在33歳。

バルセロナ生活がちょうど2年になりました。カタルーニャ人の彼とカップルビザを取得し労働許可も得たのでスペイン生活第二章のスタート。


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