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癒し依存、ヒーリングジャンキーって??

ずっと、
変わりたい
欠けてるものを埋めたい
が全てのモチベーションだった私。

よく言えば上昇志向が強くて頑張り屋で、悪く言えばいつも焦っていて劣等感の塊で、自分のことが好きじゃなくて。

様々な経緯を経て、今は安心感を感じて目の前を生きていてやりたいことが湧いてきて、突然不安になったり自信がなくなったり、がなくなっている。(もちろん日々の波はある)

癒されて生きやすくなった実体験があるからこそ、過去の未消化のエネルギーをきちんと統合して(ネガティブ感情をしっかり身体で感じて自分の気持ちに気づいてあげて)いくことは、本当に人生を変えていくパワフルなツールだと思っている。

と同時に最近は、
いつまでも癒し、ヒーリングにこだわりすぎるのもどうなんだろうか?
という気持ちも湧いてきていて、この文章を書きながら頭を整理している。

癒しに終わりはない。
癒しや浄化、瞑想などを長年やっている人はみんな同意して頷いてくれると思うけれど、
記憶の中の感情を浄化したら、
今度は過去世だったり(過去世が本当にあるかどうかの話ではなく、そういった集合無意識レベルの過去の傷のエネルギーが本当に出てきたりする)いつまでもいつまでもキリがない。
というかそもそも、
癒してすっきりピカピカ綺麗になれる!
といった思考こそがエゴそのものだ。

もっと癒さなきゃ…
まだまだ私には癒されていない不完全な部分がある…
もっともっと…

んん?この思考って最初の、欠けている自分を埋めるための行動そのものじゃないか…

そんなことを思っていたら、上記の状態のことをヒーリングジャンキーというらしい。
癒し依存?ってことかな。

私もどこか、こんな風になっていた時期があった。もっと瞑想しなきゃ、もっと自分と繋がらなきゃ、まだ癒されていない私がいるに違いない、まだまだだ…

そして現段階で個人的にたどり着いた結論は、
日常全般が生きづらくて仕方ない段階の時をある程度抜けたなら、日々出てくるネガティブな感情や不必要な思い込みに気づいた時に癒しに取り組むものの、フォーカスするのは自分の喜びや目標とすること(意図)、やりたいこと。

なぜなら人生とはその人だけに与えられた命を最大限に生きることだと(私は)思っているから。

いったん生きづらさが抜けてきたなら、自然とその人の命の本来の意図や望みが出てきて当然だし、過去の癒しと願望実現は密接に関わっている。

いまここで喜びを選ぶ。
いまここで完全な自分に安心する。
いまここで自分の意図を設定し行動する。

生きづらさを抜けてくる=思考中心の生き方からハート中心の生き方に変化していくから、
自然と変わらなきゃ、ではなくて、いまここしあわせ、にフォーカスしていく。
(これも日々のコツコツ練習が大事、新しい神経系を構築していくことでもある!)

そう私たちは不完全で完璧。
癒されていないところがあってもそれでパーフェクト。
生まれた、ということだけで祝福されていて、
生きている、ということは存在価値がそれだけである。
やっぱりPerfectly imperfect🌼

だから私は、知識や頭の理解からのアプローチだけでなく、
ヨガやレイキなど身体やエネルギー的なアプローチをしっかり大切にしたいと改めて。


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