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罪悪感…自分を許すということ

罪悪感

罪が悪い感じ

罪とは

英語ではSin。これは宗教的な意味があるもの

日本では悪いこと全てが「罪」と呼ばれることが多い…

日本古代では、道徳的に悪いことだけではなく、病気やケガ、人間が嫌いこと全てが
「罪」とされ、これは神の思いよりも人間の共同体の意識が強い。

では罪悪感とは。。。

これは自分が間違ったことをしてしまったという意識や感情。
社会的、道徳的、宗教的などの理由で自分の中で間違ったことをしてしまったという意識や感情なんです。

罪と罪悪感。。。

私たちが罪悪感を感じる時、それは必ずしも「罪を犯した」時とは限りません。

時には「何もしなかった」という思いから罪悪感を抱くこともあります。

逆に罪悪感から「罪」を起こすこともあります。

実は今朝、私は強い罪悪感を感じて苦しくなりました。犯罪を犯したわけではない。

ただ、道を聞かれた相手に間違った道案内をしただけ…

気付いたときにはもう手遅れ

それで、ものすごい強い「罪の意識」、罪悪感で苦しなってしまったんですよね。

間違った道を教えてしまって、
相手に申し訳ない。

迷惑をかけてしまった。

相手が望んでいない答えを渡してしまった。

次々と出てくる罪悪感…

でもふと思ったんです。

なぜ私は間違ったことにこんなに罪悪感をいだくのか。

そもそもなぜ間違ったことをしたときに罪悪感をいただいてしまうのか。

それはきっと「人に迷惑をかけてはいけない」という思考のせいだと思う。

スーパーとか電車の中で聞いたことがありませんか?

母親が子供に「周りの迷惑になるかから止めなさい!」と言っているのを

そう、これ。

私も人に迷惑をかけるな!で育ったの。

だから今でも自分のミスで誰かに迷惑がかかったと思うとものすごく罪悪感が生まれるんです。

例え迷惑がかかったとその人が思っていなくても。

私自身がそう思ってしまうとものすごく落ち込んでしまう。

でもその罪悪感の奥底にはミスをしてしまった自分を許せないがいるのに今朝、気付きました。

他人に迷惑をかけた自分が許せない

ミスを犯した自分が許せない

自分が許せない!!
が罪の認識が重くさせている

私たちは本来はまず、「自分」を大切にするようにプログラムされているものだと思ってます。

自分→親しい人→他人→嫌いな人

この順番で愛を分けていくのが本来、私たちの中にプログラムされているとしたら、まず何かあると「自分」を一番にする必要がある。

自分を愛する、自分を許す

罪悪感をいだいたそのとき、相手がいる場合は自然と相手に許しを求めたくなる。

相手から「大丈夫」と言われたくなる。

でも今日のケースだと、私は相手に謝罪が出来なかった。相手に「大丈夫」と言ってもらう機会すらなかった。

これはね、私自身が自分を許すことをしないといけない学びだったのかもしれない。

相手に「ごめんね」が言えなくても、「大丈夫」と言ってもらえなくても、私たちは自分を許すことが出来る。

そして自分を許した先には自然と「不安」や「心配事」から解放されるような気がする。

相手に傷付けらたり、迷惑をかけられた時も一緒。

例え相手から謝罪がなくても、自分で自分を許すことは出来れば、相手も許すことが出来るはず。

まずは自分
全てそこから始まります

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