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世界の難民政策 シドニーの就労支援〜パン職人を作る場所〜


◆多文化国家の就労支援

https://www.asahi.com/articles/ASP2Q3Q7VP2MUHBI00X.html

まずは、ぜひ上の動画をご覧ください!

オーストラリア、シドニーのバーク・ストリート・ベーカリーが行う就労支援の様子です。
パン屋のオーナーのアラムさん夫婦がタイのミャンマーの人々が暮らす孤児院で、パンの焼き方を教え、感謝されたことをきっかけにソーシャルビジネスとして、難民の就労支援も兼ねたパン屋さんをオープンしたそうです。

研修生はアジア、アフリカなど様々な国から来ており、パン作りはもちろん、オーストラリアの慣習や英語学習の時間も設けられています。

オーストラリアは近年、1万数千人の難民を受け入れてきました。しかし、オーストラリアのような多文化国家でさえ、難民は文化の違いや英語ができないなどの理由で、就職の壁にぶつかることが多いのです。バーク・ストリート・ベーカリーはそんな難民の為の、オーストラリアの就労支援のモデルケースになる事を目指しているそうです。

オートラリアではこのパン工房の他に、難民の就労を受け入れている農園もあります。
(記事参照)

◆移民の国

オーストラリアは移民に寛容な歴史であるというイメージがありますが、今のような多文化の国になるまで、さまざまな段階を踏んでいます。


 ・オーストラリア移民推移

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19世紀半ばにオーストラリアで金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起こり、ヨーロッパやアメリカ、中国から沢山の移民が入国しました。
中でも安い賃金で働く中国人が増えたことに対し、脅威を感じるようになったオーストラリアは、白人の移民優先の「白豪主義」をとります。
しかし、第二次世界大戦後、オーストラリアは世界から白豪主義への批判を受け、加えて労働力不足に陥ります。オーストラリアは対策としてまずヨーロッパ、1960年代から1970年代にかけては中東、アジアから大量の移民を受けれました。
そして1975-1980年代にかけインドシナ難民が定住し始めます。
1975年には「人種差別禁止法」の制定をし、「白豪主義」から「多文化主義」の道を歩み始めました。

現在、オーストラリアの国民の30%が移民(オーストラリア統計局より)で、オーストラリアは多文化主義政策として以下を掲げています。


①移民の定住と社会参加
行政から移住者への財政支援、多言語通訳サービスなど

②移民、難民文化言語の維持 
各民族コミュニティの文化活動、フェスティバルなどを行う

③異文化コミュニケーションの促進で相互理解する
国民の多文化理解、差別をなくす啓蒙活動など
多 文 化 公 共 放 送 局 SBS(Special Broadcasting Service)の設立など


上の三点を重要視することで、移民、難民を経済活動を行う貴重な人材として受け入れ、入国してきた人々がオーストラリアで社会的弱者にならず、生活できるようになることを目指しています。

また、日本同様に少子高齢化が進んでおり、1990年代以降、労働力として移民の受け入れ数を拡大させ、特に人口の少ない地方での技術移民の受け入れに力を入れています。

難民として入国した人々は、前述のベーカリーのような場所があることで、国内で働くことができるスキルを身につけオーストラリアの経済を支える一員になることができます。

オーストラリアは国として多文化主義を掲げているため、「パン職人を作る場所」があるのは必然なのかもしれません。

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現在、日本の外国人の住民の割合は2.5%(総務省調査2020年1月1日時点)です。オーストラリアの30%が移民と比べると非常に少ないですが、日本の政府は労働力として、技能実習生などを積極的に受け入れようとしています。
しかし、日本に入国して来た人々に対して、日本での生活の支援が行き届いていない事があるのが現状です。そんな日本の社会では、移民・難民は社会的弱者になる可能性があります。

私たち日本人は、同じ国に住む人間として、支え合えるような社会づくりを意識する必要があるのではないでしょうか。


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執筆:里見 春佳(Living in Peace)

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