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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#62 デストラーデ編

オレステス・デストラーデ

内野手 右投げ・両打ち 1962年5月8日生まれ
ライオンズ在籍:1989途中~92、95年途中
通算成績:(打者)517試合 1816打数 476安打 打率.262 
         160本塁打 389打点 42盗塁
     (投手)1試合 0勝0敗 
背番号:39(89途中~92、95年途中)
当日所属:TEAM SEIBU

産まれたのはキューバだが、フィデロ・カストロの独裁政権下、反対勢力が次々に粛清されていく国内情勢に不安を覚え、家族でアメリカに亡命する。デストラーデが5歳のときだった。

しばらくは親戚のいるニューヨークで暮らしたが、マイアミのキューバ出身者のコミュニティに移り住み、野球を始める。そもそも左利きだったのを、右投げ右打ちに矯正されて、左投手と対峙するときだけ右打ちにしていたとか、偶然左打席で打ったら面白かったからとか。本人の証言はさまざま残っているのだが、子どもの頃からスイッチヒッターだったことは間違いないようだ。

19歳でニューヨーク・ヤンキースと契約するが、マイナー生活が続く。87年、25歳のときに、ついにMLBに初昇格したが、9試合の出場に終わっていた。

森祇晶監督4年目だった89年、ライオンズは開幕からBクラスに低迷。前年に38本塁打していたバークレオが不振にあえぐなか、打線のテコ入れに緊急補強したのが、当時ピッツバーグ・パイレーツ傘下のチームでプレーしていた、オレステス・デストラーデだった。
 
来日して2週間足らずで1軍合流。6月20日オリックスブレーブス戦に、5番指名打者で出場して、いきなり第2打席で2ランホームラン。持ち前の聡明さで瞬く間に日本野球に適応すると、7月6日から3試合連続ホームラン、1試合の小休止をはさんで、12日からまた3戦連発。

最終的には83試合に出場して32本塁打、仮にシーズン130試合フル出場していたら、50本に届くペースで本塁打を量産。「カリブの怪人」と、他球団から恐れられる存在となった。

この年こそ、最後はラルフ・ブライアントのダブルヘッダー4連発で、近鉄バファローズにパ・リーグ王座を明け渡したものの、翌90年の開幕戦では日本ハムファイターズのエース西崎幸広から、3番センター秋山幸二、4番ファースト清原和博、5番指名打者デストラーデの3人がいずれもホームラン。いわゆる「AKD砲」の揃い踏み。ここからライオンズの3年連続日本一がスタートする。
 
デストラーデはこの年から3年連続ホームラン王、かつ2年連続打点王。スイッチヒッターのホームラン王はNPB史上初めてで、外国人選手による3年連続ホームラン王も初めてだった。また89年6月20日の来日デビュー戦から92年8月5日まで、423試合連続出場。これはパ・リーグ外国人選手の最長記録となっている。

ちなみに「AKD砲」のホームラン揃い踏みは、レギュラーシーズンで8度実現しており、もちろん8戦全勝だ。

AKD砲 同一試合ホームラン

愛称は「オーレ」。トレードマークの眼鏡姿で「Boom!」と叫びながら、右手は弓を引くようにして、左手は前に突き出すガッツポーズを、多くのライオンズファンが真似をした。

忘れられないのは、日本シリーズでの活躍だ。90年読売ジャイアンツとの第1戦、1回表に槙原寛己から先制3ラン。4勝0敗だったこのシリーズ16打数6安打、4試合すべてで打点をあげる活躍でMVPに。91年広島東洋カープとの第1戦では、1回裏に清原の先制2ラン直後の2者連続弾。93年ヤクルトスワローズ相手には、やはり第1戦の最初の打席で岡林洋一から先制ソロ、7回表にもこの日2本目のホームラン。

日本シリーズ通算18試合で7本塁打、15打点。日本シリーズ開幕戦3年連続初打席本塁打は、デストラーデしかしか達成していない大記録だ。

94年MLBの球団拡張によって、フロリダ・マーリンズが誕生。心惹かれたデストラーデはライオンズとの契約を延長することなく、第2の故郷のマイアミに生まれた新球団でプレーすることを選択した。

巨大な注目とプレッシャーのなか、初代4番打者としてチームトップの20本塁打したのだが、翌年は開幕から状態が上がらず、5月末に解雇されてしまう。一方のライオンズは、デストラーデの退団後、獲得した外国人選手が、ことごとく期待外れ。チームは日本シリーズで、2年続けて敗れていた。互いの利害が一致して、95年から再びライオンズでプレーすることになる。

だが、マーリンズ退団後のブランクが響いたのか。以前の迫力は戻らず。5月9日オリックスブルーウェーブ戦で、0対9と大量リードをされた8回裏、東尾修監督にリクエストして、ピッチャーをやったことが話題になったくらい。6月15日には、33歳での現役引退が、突然発表される。

のちに本人が明かしたところでは、いち早くアメリカに帰国していた夫人との間で、さまざまな問題が生じていたことが大きな理由だった。1ヶ月前の登板も、すでに近いうちでの引退を決めており「辞める前に1度マウンドに上がってみたい」との想いからだったそうだ。

引退後は、WBCなどの国際大会の中継で、スペイン語コメンタリーを担当。ときおり来日して、球界関係者と旧交を温めている。

もし、次に「LEGEND GAME 2024」のような機会があったときには、秋山・清原・デストラーデ、AKD砲3人の再集結が実現することを、おそらく多くのライオンズファンが待ち望んでいる。

デストラーデ 年度別成績

主なタイトルなど
 ・本塁打王3回(90~92年)
 ・打点王2回(90~91年)
 ・日本シリーズ最高殊勲選手賞(90年)
 ・オールスター出場(92年)

「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」
3月16日(土)12:00開場/14:00試合開始
会場:ベルーナドーム
配信:パーソル パ・リーグTV
放送:BS朝日(翌日録画放送)

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