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愛おしいのかもしれない。


ワケあって、現在僕は有線イヤホンを使っている。


Bluetoothイヤホンを持っていないわけではない。壊れたわけでもない。ある日、Bluetoothイヤホンの耳と接触する部分のぷにぷに(イヤーピース)だけを紛失してしまった。しばらく探してみることにした。

その後の家宅捜索も虚しく、どこからもあのぷにぷには出てこなかった。

でも大丈夫。そういえば、買った時の箱の中にサイズ違いのスペア的なものがあったはず。と物置を探す。たしか電化製品系の箱をまとめていたケースがあった。その中にあるはず。これか?iPhoneの箱。違う。これか?その一個前に使っていたiPhoneの箱。違う。これか?そのもう一個前に使っていたiPhoneの箱。違う。

その後の家宅捜索も虚しく、購入時の箱自体見当たらなかった。

出てこなかったのは一旦置いといて、誰か教えてくれ。
iPhoneの箱って、いつ捨てんねん。



僕は小さい頃からすぐにモノを失くす。今まで色んなモノを失くしてきたが、特に印象に残っているのは、小学校の時のスキー研修。僕は初めてのスキーに備えて、母にスキーウェアを一式買ってもらった。そのスキー研修から帰ってくると、買ってもらったばかりの、たった一回しか使っていない手袋を片方失くしていた。あの時の母の呆れたような、悲しげな表情は今でも覚えている。今月35歳になろうとしている現在も、この失くしもの癖は変わらない。

そんなワケで、ぷにぷにを失くした僕は、100均で新しいぷにぷにを買うまでの間、有線イヤホンで代用する生活が始まった。

その初日。朝の電車。いつもの電車のいつもの車両に乗り込んだ僕は、いつものカバンの中からがさごそと有線イヤホンを取り出す。それだけがいつもと違う。取り出したイヤホンは、お菓子の”紗々”(さしゃ)さながらに強く絡み合っていた。久々に見るこの絡まりに、懐かしさが芽生えた。もちろんこの懐かしさは、たった1秒後にうっとおしさに変わっていた。

そしてなんとか紗々状態を脱した僕は、ようやっと音楽を聞き始める。そしてもう一度懐かしくなる。そうか、地下鉄って、こんなにうるさかったんだ。ノイズキャンセリングもへったくれもない有線イヤホンから流れる音楽は地下鉄の轟音にほぼほぼかき消され、僕の耳元では、竹内まりやが力なくなにかをささやくだけだった。



帰り道。
ほどいたはずの右と左。聞かせておくれ。君たちはどうしてまた紗々っているのかね?どうしてそんなに絡み合いたいのかね?

そしてまた轟音の中で、早く元気だして的なことを、耳元なのにとても遠くで、彼女は言っていた。



その時僕は気付いた。
自分が意識していることや、自分ごととして捉えていることに、自然に目がいくことを、「カラーバス効果」というらしいが、まさにそれだ。同じ電車の中に、有線イヤホンをしている人が何人かいる。

考える。考える。
あの人は、あの人は、あの人は。
なぜこのBluetooth全盛期の今、
有線イヤホンをしているのだろう。

僕はあまり音楽に詳しくないが、もしかしたら本当に音楽が好きで音質にこだわっている人は有線イヤホンを使うのかもしれない。

でも、もしかしたら僕と同じように、ぷにぷにを失くしてしまった人なのかもしれない。それどころか、どちらか片方のイヤホン自体を失くしてしまっている人かもしれない。

あの有線イヤホンに僕は、そんなメッセージを感じていた。何気なくこの電車内の景色に溶け込んでいるあのお兄さんも、その奥で何気なく携帯を見ているあのお姉さんも、もしかしたらそんなおっちょこちょいで可愛らしい部分を内包しているのかもしれない。

そう考えると、あの人たちが急に愛おしくなってきた。



ああ、話しかけたい。

「わかります!僕も失くしもの多いタイプです!おっきい傘なんてどうせ失くすからいつからか持つのやめましたもん!ただ折りたたみ傘を入れるあの袋とかも失くしがちですよね!なんだったら折り畳み傘ごと失くしますよね!もう雨降ったらどうしろって話!雨って止むから傘失くすんですよね!もういっそ降るなら家帰るまで降り続けてくれwww」


それか、寝る前に充電するのを忘れがちな人かもしれない。

「めっちゃわかります!朝起きたときに充電したいモノがもれなく充電できてることなんてほぼないですよね!僕は携帯とイヤホンとアイコスとアップルウォッチとモバイルバッテリーを本当は充電しなきゃなんですけど、こんなのハードル高すぎますよね!モバイルバッテリーが充電できてたことなんてほぼないですよね!ちょっと重いかたまりカバンに忍ばせてるだけwww」

脳内で話しかけているうちに、僕は最寄り駅に着いていたし、聞いていたはずの竹内まりやは、シャッフル再生を経て山下達郎に変わっているというミラクルも起きていた。




これも悪くないな。たしかに不便だけど、だけどそれもまた愛おしい。だからもう少しだけ、有線イヤホンを使っていようと思った。






次の日、カバンの中の紗々を見て、
僕は普通に舌打ちをした。





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