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『ヨハネの黙示録』についての一考察、メモちょこちょこ共有検討中

聖書(キリスト教)の最後に収められる『ヨハネの黙示録』(以下、また今後があれば、特筆なければ、単に黙示録と略記します)。

それは、今や、プロテスタント諸教派教団だけでなく、カトリック教会、またギリシャ正教会でもロシア正教会でも同じ。多分、その他の宗派があっても、みんなそう。(違う!ということがあれば、お知らせください。)

黙示録は(またその他の文書も)そもそもは単体で記されたもの。それが写され、共有され、あちこちに散在するようになり、いつしか「正典」として認められたリストに入ったり入らなかったり。とりあえず黙示録の「正典」入りは、7世紀頃には、”西方”でも”東方”でも、認められたよう。)で、「聖書」としてまとめられ、製本されると、必ず(でしょう)最後に位置づけられるようになり。

「正典」は認めても、実質的にはそう扱わない著名な神学者や牧会者は数々あり。「聖書」を重んじる方々の中でもそう。

それもそのはず。まあ謎の生き物はわんさか登場するし、超常現象は次々描かれる。でもって、聖書が普及するようになった頃のエライ人たちの思考パターン(いわゆる「論理的」とか「合理的」とかいわれるもの)にはちっともそぐわない。何がどうなってるか、一見すると???な文書。

で、それを良いことに(?)、知ってか知らずか(?)、黙示録から部分的に単語や話題を切り取って、独特の考えとあわせて、エライ騒ぎを巻き起こした輩もちらほら。昔っから、今はどうなのかな???  

そういう私も、黙示録との出会いは、怖くてたまらなかったホラー映画の『オーメン』に出て来た「666」。(いや、聖書で一番先に知った箇所は、悲しいかなそれかもしれない! で、聖書は怖い本と思っていたような気がする。)

そんないわくつきの黙示録。何だかんだあってイエス・キリストを通して神様を信じるようになって、よくよく読んでみたところ、分からないなりにも、非常に興味深い。大切なメッセージが盛り沢山。(実際にそのメッセージに自分の信仰がついていないよなと思うけれども。)

ということで、この先、ちょこちょこメモを残してみたいなと思っています。とりあえず、ちょこっとメモはまとめたので、そこから引っ張ってきたいなと。(とんでもなくかた~く、まどろっこしい文のままになるかもですが。また、自分でもまとめられない文面のままかもですけれど。)

途中で恥ずかしくなったら撤収(≒全削除)するかもしれませんが、よろしくお願いいたします。


<追記>
今、自分のダッシュボードを見たら、
よりによって「66」って・・・

半日経ったら、こちら↓😊
良い感じ、かも!





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