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変わらない愛

こちら(私/あなた)が落ち込んでいようと、
感じられなかろうとも、
聞く気がなくても、
絶賛ツミをおかし中でも、
めちゃめちゃ楽しんでいるときも
病気で落ち込んでいるときも
どんなときにだって
神さまの愛は変わらず、むしろ大き過ぎて近すぎて見えてないのかも。
そう思いつつ、すでに示された愛があることを覚え、また思い出したいと思います。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

ローマ人への手紙 5章6~8節

いつだってイエスに同意するかどうか。
神さまの価値観、聖書の価値観に同意するかどうかが
私たちの生き方そのものに影響してきます。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が
忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が
希望
を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ローマ人への手紙 5章3~4節

そのときは同意できなくても、”そのときにも神様はそこにいた。”
”ともにいた(インマヌエル)”と思える日が来る。
この希望と愛は、変わることも揺るがされることもありません。
それを信じ受け取ることは、私たち側で決めることができます。


祈り
神さま。今日もありがとうございました。
見える形でイエス様が愛を示して下さり、神様の愛が確かに
そして永遠に私に注がれることをただ感謝します。
救い主イエスの御名で祈ります。アーメン。

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