見出し画像

われにかえる力

慰霊の日が近づいています。

今日は東村ご出身で、地域ガイド風の会比嘉涼子さんの
講演会
〜沖縄の過去・現在・未来を見つめて〜
ー戦跡から学ぶことー
に参加させていただきました。

涼子さんご自身は
戦後にお生まれになったそうですが、
体験者の方々のお話を
直接ご自身でお会いしてお聞きして受けとめて
ご自身の生きた言葉にして
語り継いでいらっしゃいます。

「ヌチドウタカラ」

沖縄の言葉で、命こそ宝、という意味です。

私自身は、戦争体験者ではないけれど
命が大事だということをほとんど軽視して自分を歩ませてきた経験があり
沖縄に命からがら助けてもらってもなお、
そのクセがなかなか抜けないくらいでした。

命以上に大事な「もの」なんてない。

そのことを、昨日よりは1秒でも多く
日々に落とし込める日も増えてきて
(それでもすぐ忘れる😂)

そんな中、お聞きできたこの講話。

二つのガマ(防空壕)の生死を分けた大きな違いはなんだったか。

私は「われにかえる力」だと思いました。
(この言葉は私の解釈です)

われを忘れる。
自分で命を大事にすることを奪い
その洗脳の上に胡座をかく。
それが、子供の頃から私の日常になっていたことに気づきました。
まわりもそう信じて疑わなかった。

そのことをモコさんの元で
森羅万象のあらゆる事象を通じて(みえるみえない垣根なく)
必死で学ばせていただいてきた、この10年あゆみ。

自由を謳うかのようにみえて
また洗脳に逆戻りしていたことも多々ありました。
自由になった気でいたから、混乱も半端ではありません。
何を信じればいいのかわからなくなった時もありました。

***
どの時代も、変わらない。

生きたくても生きることができなかった。
例え生きていたとしても
「生きている罪悪感」を抱えて生きることになった。
人間が人間らしさをなくす。
どこまでも生を蝕んでいく。

戦争は終わったようにみえて
洗脳という巧みな方法で
人の中に忍ばされて
続いているのだ。



「生きた」言葉を通じて
今、自分の内側の戦争は?どうなってる?


「ちゃんと生きなければならない!」となると
また繰り返すんだな・・・。これも罠である。



自分の中にある戦争を認め、
命があることへの感謝をただただ捧げる。

「暮らしを、自分を、家族を、大切にしましょうね」


締めくくりの涼子さんの
一言がとっても深く印象的に響きました。

***
次元の移行期だとのことで、
不安定になることが多い最近の細菌🦠(←私)です。

例えばこんな。

特に「本当にそれでいいの?」という
アタックが特に子供達のことで
自分から自分に向けて繰り返されていて
比較からくる
焦燥感てやつだなー
と、ながめています。

そんな時は、まずはとりあえず、呼吸しとこうか。うん。

と、ふとわれにかえって
あたりを見わたせば
事実、何一つ悪いことは起きていないのよ。

そして自分の大事にしてきたandしていることを
見直し、また拭き直して整理するとき。

こうやって、洗脳洗腸✨
ゴシゴシゴシゴシ。
われにかえる力を育てるとき。

はたから見ると、ぼーーーとしているだけにみえるでしょうけどw

こんな時間をもつことができるようになってきました。豊かだ。
ありがとうございます。


そしてすごい眠くなってきました。寝ますっ!

お読みいただきありがとうございました⤴️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?