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終わった後のはなし (2)


2.僕達の約束

「篠宮くん、今日なんだか上の空じゃないですか?」
職場での昼休み。
同僚の佐武 泰久が声をかけてきた。
僕に話しかけながら、僕の机の上のカップラーメンを指さす。
「それ、もう10分はそのままですよ?」
言われて腕の時計を確認すると、確かに湯を注いでから12、3分経っていた。

ずっと彼女のことを考えていた。
今朝の、今の、と言うよりも、出会った当初の
高校生であった頃の彼女のことを。

「まぁ、ふやけすぎてるのも、それはまたそれで美味いってね。」
僕は蓋をめくって、意外に湯が吸われて無くなっていることに気づく。
「そうは言ってもですよ。」
佐武はぼくの左隣の席だ。
給湯室にあるレンジで温めてきた、彼女の手作りの弁当を机にコトリと置いて、箸を持ち上げて合掌する。
「時間を勘違いして11時から昼食食べようとするし、朝から僕の周りに何が見えませんか?とか変なこと聞いてくるし。」
今日の僕の不可解な行動を佐武は次々指摘していく。
「体調が良くないとかじゃ本当ににないんですよね?」
本当ににない。とても元気だと僕は笑ってアピールするが、それがまた佐武にとってはどうもわざとらしくて嘘くさいらしい。
箸で持ち上げた湯を吸いすぎた麺は、悲しいくらい短いところでプツリと切れていった。
「佐武さぁ、おまえ彼女いるじゃん?」
僕は、上手く例えられないのは目に見えているのに、例え話を始める。
「はい。それがどうかしました?」
「例えば、一緒に住んでなかったとしてさ。
あー。でも、彼女なら勝手に家入って来れんのかー。」
もう少し頭の中で上手くまとまってから話始めればよかった。
話し始めた瞬間に僕のやりたかった事は頓挫した。
「なんですか?泥棒にでも入られました?」
んー、惜しい。泥棒ではないんだよな。
幽霊…のようなのに、本人はまだ生きているって言うよく分からないやつだよ。
…って言ったら、こいつ、どんな顔するんだろう。
僕の悪い癖だ。
ちょっと脇道の景色を見たくなってしまうところ。
「うちの中に居るはずのない人が、朝起きたら居たんだよ。」
「居るはずのない?幽霊…とかのことを言ってます?」
「いや、それが、本人曰く実態はまだ生きてるいるから幽霊じゃないって言うんだ…。」
佐武は何も言わずに1口、海苔を巻かれた俵結びを口にして飲み込むと、こちらを向き直って真剣な目をして言う。
「篠宮くん、今日はもう帰った方がいいです。あとは僕がやっておきますので。」

ありがとう。佐武。
でも、帰ってもなんにも解決しないんだわ。

家を出る時、城野さんには職場にはついてこないで欲しいとお願いした。
この、僕の見えている城野さんが、僕以外の人間にも見えるのかどうか、現段階では分からないから。
城野さんは、お仕事してる篠宮くんもちょっと見てみたかったなぁ〜なんて言いながら
「わかってるよ。お仕事の邪魔はしないから。」
と笑った。

しかし、"城野まいこ"という人間を一応、僕も知る人だ。
絶対についてくる。だって、"城野まいこ"なんだもの。そう思っていた。
「別に幽霊みたいに浮いてふわふわ動けるわけじゃないからさ、車で出かけられちゃったら私もさすがに追っかけられないよー。」
だから本当に邪魔はしに行かない。と彼女は言った。
時間が経って昔と変わったのだろうか。
朝、鍵なぞ無視して部屋の中にいたのだからひつようはなさそうだったが、僕は下駄箱の上に予備の部屋の鍵を置く。

どこかに行く予定はあるのか尋ねてみると、
他の人に自分の姿が見えるのか、試しに行ってみよっかな、と彼女は言った。

車に乗り込んだ後も、こっそりどこかに乗ってやしないかバックミラーばかり気にして追突しそうになった。あまりに不安すぎて出社した瞬間「僕の周りになんか見えない?」と聞いても回った。
なんたって、彼女は僕にストーカーかと間違われるくらい、昔から気がつくといつもそこにいたんだから。

あの身体、飯、食えんのかな…
また1人で考えるモードに入ってしまっていると、佐武はいつの間にか食べ終わった弁当を片付け、ついでにぼくのベトベトになったカップラーメンをも片付けようとしている。
「あ、ちょっ…おい、」
「食べないでいいですから、もう帰りましょう?それとも…」
佐武は慌てて立ち上がろうとする僕を椅子に押し付けて耳元で小さく言う。
「帰らないって言うんなら、何があったか僕に話すことを要求します。」
静かに佐武は僕を抑え込む。決して強くはない視線だったが、さぁ、どっち、と僕に迫っていた。
「わかった、話すよ。その代わり引くなよ。」
佐武は僕のベトベトのカップラーメンを再度机に置き直した。
「こんなんでも、何も食べないよりはいいでしょう。」
今からこれ食べるんだから、こんなんって言わないでくれよ。
「外のベンチに居ます。」
佐武はスマホだけ持って、席を立った。
僕はもう一度カップの中を覗き込む。
…こんなの、と言われても仕方ないものがそこには見えた。

「朝目覚めたら、高校の同級生が部屋にいたんだ。」
"こんなの"を胃に収めた後、僕は佐武に話し始める。佐武はもうこの段階で顔をしかめた。
「1番有り得ないのが、その身体、透けて触れないんだ。」
佐武はもっと顔に皺を寄せる。
「でも、実態は生きている…んですか?」
「そいつが言うにはそうらしい。」
佐武は納得いっていないくせに「はぁ。」と一旦それを飲み込んだ。
「これは本人曰くだから証拠は何もないんだけど、彼女は事故にあったらしいんだ。その後気がついたらどうもこの辺りで意識だけが目覚めていたらしい。それで、もうすぐ死んでこれが最後になるなら僕に聞きたかったことがあるとかで、僕に会いに行こうと思った、って言ってた。」
僕はなるべくありのままを伝えようと、朝、彼女に言われたままの言葉を思い出して言う。
佐武は腕組みをして考え始める。
「彼女はどうして…」
そこまで言ったところで、佐武はハッと目を開いて僕の方を見た。
「彼女?女性なんですか?その同級生。」
…なんだよ。それ、どういう意味だよ。
「母校共学だからそりゃ女子もいるよ。」
「いや、そうじゃなくて…」
「何が言いたい。正直に言え。」
佐武は目をキョロキョロさせて、無意識に辺りに自分の助けはいないか確認したようだが、どうやら見当たらなかったらしい。
観念したのか俯いて小さな声で言った。
「篠宮くん、異性の友達がいるようなタイプに見えないから…。」
うっせぇ。
それも、向こうからかなり圧強めに詰め寄られて出来た"友達"だぞ。凄いだろう?
「まぁ、それは置いておきましょうか。」
たぶん、その後の対処ができないとの判断だろう。自分で指摘した部分を佐武はすぐに放置した。
「彼女はどうして、この辺りの土地で意識が目覚めたんでしょう?故郷だから?…あれ?でも、篠宮くんって他県からこの辺りに越してきてるから、ここ地元じゃないですよね?」
佐武の言う通り。
僕と彼女の地元は田舎の3駅隣だが、僕は進学をきっかけに他県からここに越して来ている。
「…彼女は以前、篠宮くん宅に訪れたことがあるんですか?」
やるじゃん、名探偵。
答えはイエス。
大学に通っている時に1度だけ、彼女を部屋に招いたことがある。
僕が肯定した後から、佐武はしばらく何も言わなくなった。
名探偵は何をどう推測しているのだろう。
「先程、篠宮くんが言った話の中に、『最後になるなら聞きたいことがある』と彼女が言っていたとありましたよね?」
…あれ?
僕は佐武の問いでふと気づく。
僕が目的を問うた時、彼女は「星を見に行きたい」と言った。
"星を見に行く"のは、それこそ部屋に招いた時、高校卒業後しばらくして、再び彼女に会った時にした、僕と彼女の約束だった。
台風のせいで見れなかったんだけど。
それはいい。

城野さんが僕に聞きたいことって、なんだ?

「それ、まだ聞いてないかも。」
佐武はそうですか、と答えた。
「根本的な質問ですが、篠宮くんはどうしたいんですか?」
「どう?と、いうと?」
「篠宮くんは彼女の登場を喜んでいるのか、嫌がっているのか。彼女の望みを聞く気があるのか無いのか。」
嫌がる…なんて、そんな。
だって、彼女は…。
「元カノ、とかでもなさそうだし。」
名探偵佐武はハッキリとそう言い切った。
なぜ言い切れる。
「元カノだったら初めに"同級生"なんて言い方しないでしょう?」
確かに。
癖らしく、相手の年齢に関わらずそうで無いと落ち着かないらしいその敬語口調のせいで、本当に敏腕刑事みたいだぞ。

「もしくは気があったのに、そうならなかった人、とか。」

名探偵よ…そろそろ推理はお終いにしようか。

「お、休憩終わるな!戻ろうか!」
サッと立って歩きだそうとする僕の背後から、佐武はまるで犯人が人質を取るようにして僕を首元をロックする。
「なるほど。図星ですね。」
稀に見る佐武のかなり機嫌のいい嬉しそうな顔が憎たらしい。
「そのあたり、終わったら詳しく。」
「終わったらって、おまえ彼女飯作って待ってんじゃないのかよ?」
「あぁ、そうですね。うちのじゃなくて、そちらの"彼女"が待ってますもんね?」
佐武、おまえ、覚えてろよ。
明日勝手にレンジのワット数あげといてやるからな。彼女手作りのおかず、カピカピになれ。

「今日の進展も併せて、また明日ということにしましょう。」
佐武は鼻歌でも歌いそうな勢いで事務所に戻っていく。
すれ違った総務の女子達が「佐武さん、なんかご機嫌〜」なんて言ってるのが聞こえてきた。

いや、でも佐武の言う通り
僕はこの状況をどうしたい、の前に
どうするべきなのだろう。
本当に、城野さんに残された時間が少ないとしたら…。


考えながら、家へ帰ると
予想を超えた状態になっていた。

「あ!篠宮くん!おかえり〜」

玄関を開けた瞬間漂ってくるカレーの香り。
揚げものの匂いも混ざっている。
…なんだ?この状況は。

「聞いて!スマホ使えたし、買い物も出来た!
みんな私のこと見えてるみたい!」
城野さんは嬉しそうにまだ靴を脱いでもない僕の手を引いて台所へ連れて行き、「見てー!今日カレーだよ〜トンカツも揚げたからカツカレーだよ〜」と鍋の蓋を開けた…。
って!待った!!!!
「城野さん!触れるの?!」
僕は彼女に掴まれたその手を挙げる。
彼女はポカンと僕を見た。
「触れるよ?朝もいっぱい触ってたじゃん。」
そういえば、信じてくれと僕を掴んで度々揺さぶっていたな…すると?!
僕は掴まれていない方の手で持っていたカバンを床に落として、ゆっくりと彼女の頬に手を伸ばす。
「それはムリ。」
城野さんは、僕のドキドキに鋭く言葉を刺した。
「私は触れるけど、相手は私に触れない。
それが、買い物に行ってわかったこと。」
今朝、置いていった部屋の鍵を持ち上げて、城野さんは僕の手のひらに置く。
「篠宮くん、それ、私の手に置いて?」
胸の前に出された彼女の手のひらに、僕は受け取った鍵を置いた。が、それは彼女の手のひらを通過して、音を立てて床に落ちた。
「こういうこと。」
なるほど。状況は理解したけど、それどういう原理なの。
「とりあえず、冷めちゃうから先にご飯食べない?」
手を引かれて体は引っ張られるけれど、彼女に触れられているという感触は感じない。
「城野さん、」
聞きたいことはたくさんあった、どれから聞けばいいかもまとまらないほどに。
彼女の目は何もかも分かっているようだった。
食べてから、彼女の目はそう言っていた。
「ごめんね、使えるもの何もなかったでしょ。夜、あんまり飯作らないから。」
「ううん、私こそ勝手に冷蔵庫見てごめんね。」

いただきます。
昼に佐武がしていたのを思い出す。
作ってもらったご飯。有難い。

「城野さん、先に1個だけ聞いていい?」
僕は箸を持つ前にやっぱりと思って口に出す。
「なぁに?」
「今朝、"もうすぐ死んじゃうかもしれない"って言ったよね。」
…言ったら、城野さんはいなくなってしまうかもしれない。
それでも、優先順位は明らかに僕のあれこれじゃなくて彼女自身だ。
僕はゆっくり息を吸う。
「実態がどうなってるのか、見てなくて、いいの?」
城野さんは、なんだそんなことか。みたいな顔をして、箸を置いた。
まっすぐ、僕を見る。
この感覚、あの頃から少しも変わらない。
「今日1日、私もそれ考えたの。どうして気がついたのがここだったんだろう、って。」
城野さんの次の言葉が僕には全く読むことが出来ない。妙な緊張感の中で息を呑む。
「ここであったことに私は意味があると思っているんだ。これは、篠宮くんにちゃんと答えを聞いてからにしなさいって、神様がそうしたんじゃないかなって思ったの。」
あ、そうだよ。
その"答え"とは、一体何の答えなんだ。
「そういえば僕に聞きたいことがあるからとか言ってなかった?なんの事?」
僕の質問に城野さんはサッと置いていた箸を持ち直す。
「それ、"最初の1つ"に含まれてないですっ。」
なんだそれ。
「じゃあ2つに訂正するよ。」
「後出しは受け付けられませーん。」
少しムスッとした顔で、スプーンに山盛りにした白米とカレーを口に押し込んで、城野さんは少し俯いた。
「だいたいさ…、そんなすぐ聞けるなら今までそのままにしてないんだって。」
ギリギリ聞き取れるくらいの声量だった。

あの時は、どうだったっけ。
この部屋で一緒に飯食ったっけ?
記憶の鮮明な部分に容量を食われて、そうでないところが抜け落ちている。

「スマホがあるなら、家族とかに連絡取れたりしないの?」
僕はふと思って聞いてみた。
「篠宮くん、私からのメール届いた?」
メール?なんの事だろう。
「昼間試しに何度か連絡したんだけど、無反応だったからきっと通じてないんだろうなと思って。」
そうか、じゃあダメそうだな。僕にはなんにも届いていないし。
「あれ?じゃあ、スマホ使えた!って言ってたのは?」
「電子マネーのはなし。」
…なるほどね。
「私が事故にあった事、誰も気づいてないかもしれないね。」
彼女はぽつりと、そう言った。
連絡が無いと不審に思う人とか、いないんだろうか。その…彼氏とか。旦那とか。
「仕事は?無断欠勤してると、緊急連絡先とかに連絡いったりしない?」
僕は思った事とあえて違うことを口に出す。
「どうだろ…勝手にとんだくらいに思われてるかもよ。私非正規雇用だし。」
いや、それでも普通は放って置かないだろ。
東京って、そんな冷たいの?
「篠宮くん…」
なんだか急に改まって城野さんが真剣な目をするから僕も無意識に背筋を伸ばす。
「ものすごく今更なんだけど…彼女とか、奥さんとか…、大丈夫?」
今更すぎて転げそうだった。
さっき僕が思ったことなんか伝わってしまったのかもしれない。
「いたらさっさと城野さんの事追い出してるよ。」
そう答えると、城野さんはちょっと嬉しそうに笑った。
…嬉しそうに見えたのは、僕から見た彼女だったから、かもしれない。
「てか、それは僕も思ってるよ。こんなとこに居たんでほんとにいいのか?ほんとに時間が残りわずかなら、もっと会わなきゃいけない人とかいないの?」
「いるよ。」
城野さんはわりと食い気味でそう言った。
いるんだ。
まぁ、そうだろうな。城野さんだもん。
「でも、きっと私が死んでしまっても、あの人は何も変わらないよ。」
伏し目がちなその表情から、僕は全てを読み取ることが出来なかった。
なんも変わらないことなんかあるか。
あるとしたら、そいつ人間じゃねぇぞ。
犬や猫でも変わるっていうのに。

「今日までの篠宮くんの話を聞かせてよ。」
そうだな、まずはそうしようか。
大して面白い話は無いけれど。

1口カレーを口にした。
コンビニの味とは随分違うな。
爽やかに辛味が鼻をぬけていく。
めちゃくちゃ美味かった。


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