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海の見える街 (7)


「裕はこれから、たくさんの人の不安を取り除いて、すくってあげられるよ。」

咲生が最後に自分に言った言葉は、咲生の意図に反して完全に俺を縛り付けていた。
 タバコに火をつけて軒先に立つと、学校の方からピアノの音が聞こえて来る。 全身を冷たいものが駆け巡って、ゾワっと鳥肌を招いた。
咲生が居なくなってから鳴らなくなった音だ。

咲生は、この島生まれの同級生で俺の幼馴染だった。
今は潮風となっているあの学校に一緒に通っていた。
面倒見が良くて、誰に対しても分け隔てなく優しく、同世代だけでなく、他所の親御さんや島中の老人まで、みんな彼女が大好きだった。
皆が島を離れていくきっかけとなった本土での大地震で、彼女は本土で働いていた両親を亡くした。
その後すぐに、親戚に引き取られて彼女も本土に渡ってしまった。
俺らはまだ十代。どれだけ好き合っていても、俺が彼女を支えて生きていく事は現実的に出来なかった。 それでも彼女は、同じ大学を目指して、そこでまた毎日一緒に暮らしていこう、と俺の傍にいてくれることを選んでくれた。
受験勉強の合間を縫って、俺たちは本土と島を行き来した。
地震の後、俺の両親も本土で精力的に仕事をし始めて移住の話が出た時期もあったが、俺は島が好きだった咲生のためにも島に残っていたかった。 最終的に俺の両親は、仕事のために本土へ移住したが、俺は同居していた祖母と一緒に島に残って島の高校を卒業する道を選んだ。

咲生が、急に帰りたくないと言い出したのは、高校二年生の秋だった。

 「おばあちゃん、私、しばらくここにおってもええ?」
うちで祖母と三人で夕食を取っている時に、咲生は突然言った。
引き取られた親戚は皆優しくしてくれるのだが、逆にその優しさが怖いと言った。
「お皿を割ってしもても、約束の時間を破ってしもても、誰も私を怒らんの。咲生ちゃんは可哀想じゃったんじゃけん怒らんようにしてあげようね。ってされとるみたいで、なんか怖いんよ。私、両親が災害の犠牲になった事、ちゃんと受け止めとる。可哀想なんかじゃない…。」
祖母は好きなだけおったらええと、咲生を受け入れて、そのまま家に置いた。
 咲生はそのまま、その年が明けるまでうちに居続けた。 高校三年生に進学する手前で、親戚と学校と話をつけて、一人で島に戻って来た。 時を同じくして、咲生のことも可愛がっていた祖母が他界して、俺も島で一人になった。
俺たちは居住者のとても減った島で二人でうちで暮らしていた。
そんな時に突然訪ねてきたのが、地震の数年前に、本土から移住して来た後藤夫婦だった。

「廃校になった小学校を、改装…ですか?」 杏香さんの亡くなった夫、義晴さんは俺たちに小学校改装の話を持ってきた。
俺は、もう生徒が数人とは言えど、一応高校生をやっていたので土日に参加。咲生は本土の高校を中退して島に戻ってきたので夫婦と毎日。いかがだろうか?と言う。
「改装をして、どうするんですんですか?もう、誰も使わんのに…」
咲生の問いかけに、義晴さんは自分がなぜこの島に移住してきたのかを話してくれた。
「私はね、恥ずかしいことに、社会でしんどさに耐えられず、逃げ場を探してここにきたんだ。」
話が始まると杏香さんは静かに席を外した。
「みんなが耐えていられるものに耐えられない自分が、許せなくて、不甲斐なくて、そのうち家から出る事が出来なくなっていった。そんな時にこの島のことをインターネットで見て知ったんだ。きっかけは…友瀬君、君の投稿した記事だったんだよ。」
俺は島の季節の景色、花、行事や、野良の動物などを写真と共に昔から投稿していた。まだ生徒がそこそこ居た頃の学校のホームページを先生たちと協力して運営し、部活動の紹介をしたり、行事を紹介したりしていた。
そういう活動が、まさか本土のそれも全く知らない人にちゃんと届いているなんて、思ってもみなかった。
「そうやったんですね!裕は昔から写真を撮ったりするんが好きじゃけん、この島を調べて出て来るもんは、ほとんど裕が投稿したもんじゃって思います!」
なぜか咲生が嬉しそうにそう言った。俺は嬉しいのも、恥ずかしいのもあり、「どうも。」くらいしか言葉が出てこなかった。
「ここにきてから、私は精神的にとても開放されたよ。どれだけ休みをもらってもね、他人の多い街じゃ、何も休まることはなかった。でもここに来てから、話しかけて来る人たちには目に見える心があるし、いい按配で放置もしてくれる。私は少しずつ、家から出て、近所の方と交流もできるようになっていったよ。」
「だから、学校を改装して、そういう、心がしんどくなってしまった人が休みに来れるような場所にしたいなと、私たちは考えているのですよ。」
席を外していた杏香さんが、手に手作りのお菓子を携えて戻って来て、俺達に振舞ってくれた。 咲生がこの話にとても興味惹かれている事は顔を見ていればすぐにわかった。 彼女も、「心がしんどくなって休みに来た人」に該当していたからからだろう。
俺は、今までの島の風景が変わってしまいそうであまり気乗りしなかったが、すでに浮き足立っている咲生を見ていると反対や否定を述べる事ができなかった。

そうして【潮風】が出来上がったのである。

咲生は、自分が最初の入居者になりたいと申し出て、一つ選んだ部屋を優先的に改装を終わらせた後、校舎に部屋を持って生活した。 入居者になった時に、咲生は後藤夫婦と何か約束事をしたという。 その内容は「約束したけん、秘密なんよ」と頑なに話してくれなかったが、その約束をしてから、たまに気が向いた時に行っていた登録制アルバイトも辞めて、完全に島の中でだけ、生活をするようになったので、資金援助の話でもあったのだろうと思った。
俺は島の高校に卒業まで通い、現役合格は難しかったとしても、咲生と一緒に大学を受験するために、咲生に習った勉強を教えた。杏香さんも得意分野は手伝ってくれた。
中学や高校の時に学校のホームページの作成に協力したり、役場があった頃に同じように協力した時の先生や担当さんが、高校卒業後に簡単なウェブデザイナーのようなアルバイトをくれて、俺は両親から以外にも小遣い稼ぎをした。
咲生の気持ちが、年々前向きでなくなって来ていることに俺は気づいていたが、だからこそ、理由が大学進学でなくてもいいから、一緒にこの島から出て生活しなくてはと考え始めていた。

 そんな、俺たちが二十三になる年の事。
義晴さんが、居なくなった。

最終的に俺たちは、校舎の改装に五年近くの歳月を費やした。 それをやっている間、何かしらの目標に向かって毎日を生きて居たわけだが、それらが全て終わった時、 おそらく義晴さんは、次に目指すものを失ってしまったんだろう。
杏香さんはこちらが驚くほど冷静だった。
まるで、初めから全てわかっていたかのように。
俺は、この時すでに義晴さんと同じ気配を咲生から感じ取っていた。
この島の中に求める幸せが整ってしまって、それが中毒性を持って 、彼も咲生も、休んだ後の再出発を辞めてしまったのだ。
もうここでパートナーと一緒に暮らせればそれで良い。そういう甘えに、負けてしまっていた。

義晴さんは、居なくなって一ヶ月近く経った頃、遠く離れた海の上で浮いているのを、本土の漁師に発見された。
俺と咲生は、それから二年という長い時間、彼がどうして自らを葬ったのか、話をした。
こんな事を考えたのではないだろうか。
あの言葉がこんな気持ちを生んでしまったのではないだろうか。
俺はそうする事で、咲生から漏れ出す、引きづられそうな不安定な気配を除こうとしていた。
 その時間が全部、彼女を貫く弾となるなんて思わずに。

そして、トリガーが、自らここにやって来るなんて思わずに。


 その日は、朝から地味に小雨が降る寒い日だった。
潮風に一本の電話が入り、それを知らせに朝から咲生がうちを訪ねて来た。
「さっき、本土の港務署から電話があって、朝の便に、潮風に行きたいんじゃ言うて、若い女の子が一人、荷物と一緒に乗ったんじゃけど、なんか知っとるか?って。裕、杏香さんから何か聞いとる?」
「は?何も聞いとらんよ。杏香さんに聞きに行こうか。」
俺たちは、杏香さんに同じく説明したが、杏香さんも何も聞いてないと言った。
「とにかく本当だとしたら、ここまで連れてくる必要があります。裕さん、荷物を引き取ってくるのと一緒に、その方を乗せて連れて来てもらえませんか?」
俺はは承諾して、義晴さんが生前使っていた車を借りて港に向かう事にした。
咲生と島を出て暮らす事を想定して、高校を卒業する時に、本土に出た両親を頼って、俺は普通自動車第一種免許を取得した。杏香さんは免許を持っておらず、自転車で港まで荷物を引取りに行くにも年々しんどさがにじみ出ていたので、車がそろそろ必要かなと、思い始めていたし。

「私も一緒に行く。」 そう言うので、咲生も一緒に乗せて、向かった港には、まだ未成年のような女の子が一人、佇んでいた。
 それが、茜さんだった。



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