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奇跡講座WB実践339 私は自分が要求するものを受けとることになる

第二部
12 自我とは何か
レッスン339
私は自分が要求するものを受けとることになる。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


ずっと自我の私こそ私だと信じてきた。
だから自我の考えこそ正しいと思ってきた。

自我は神から離れてみたいと思った結果、本当に離れてしまったと信じた。だから神からの罰を恐れた。
自我は神の罰から逃れるために私を小さく弱い存在にしておきたい。
こんなに小さく弱い存在になったのだから罰しないで、と。

それで私は私を小さく弱い存在だと信じるような状況を要求してきた。
それはすべて叶えられた。
私が望むものはすべて与えられてきた。

それは狂気であり、恐れと苦しみに満ちたものだ。



真実、私は神から離れたことなど一度もない。
分離などしていない。
だから神は私を罰しない。そもそも愛である神に罰という想念は存在しない。

狂気の世界から少しずつ真実を教えてくれ導いてくれているのが聖霊だ。

真実への道程は優しくはない。
だってこれまで信じていたことの真逆なのだから。
一歩踏み出すのに勇気と決断がいる。
そしてまた一歩踏み出すのに勇気と決断がいる。

自我は決して真実など知りたくない。
だから全力で抵抗する。

その抵抗に反して一歩を踏み出すのだ。
自分だけの勇気と決断では踏み出せないけど、
聖霊への揺るがぬ信頼があるから、
聖霊の助けを得て踏み出す。
さらにイエスが共に踏み出してくれているのに気づく。
それでもう一歩踏み出すことができる。


抵抗は赦しをし続けることによって聖霊が取り除いてくれている。
見つけた恐れ、ひとつひとつに赦しをする。
気づいた不安、ひとつひとつに赦しをする。
自他を責める気持ちに赦しをする。
罪悪感に赦しをする。
有罪性に赦しをする。


世界を心眼で見たい。
心眼で見たときどのように見えるのか、
まだまったくわからない。
でもイエスのように世界を心眼で見たい。


赦し続けた先に、
私の要求が狂気から正気に戻り、
心眼で見ることができるようになるんじゃないかと思っている。

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