見出し画像

いつでも教えて学んでる

”真理を知って実践して習得したら、今度はそれを伝えるんだ。”
なんてことを漠然と思ってた。

でもこれは全部違ってた。

真理を習得するなんてことないみたいだ。
真理はいつでも聖霊が伝えてくれている。
それに耳を貸すかどうかは自分の決断だ。
実践しようと決めるのも自分だ。

真理を知って実践することは決まってる。
いつやるかは自分が選べる。
決断したときがその時だ。

でも習得するっていうのは違うみたいだ。
自分の努力で習得できるものと違う。

私は自分の心や、目の前に起きる出来事のなかに、
私が誤って信じていることを見て、それを赦していく。
私の赦しを聞いて、聖霊はその間違いを取り去ったり修正したりしてくれる。

私の心から間違いが一切なくなったなら、私はこの世界にはもういない。
間違いがあるからこそ、私はこの世界で赦しをする。

私たちはひとつ。間違いもひとつ。
この大きな間違いに赦しをする。


伝えるというのは学校の先生が生徒に勉強を教えるようなイメージを持っていたけれど、これも全然違うようだ。

すべての人は自分が信じていることを教えている。
そして学んでいる。
間違ったことを信じていれば、その言動はその間違いを相手に伝えている。(教えている)
見聞きした人は自分も信じているその間違いを信じる心を強化する。(学んでいる)

意図しようとしまいと、
私たちはつねに、自分が信じていることを教え、それと同時に学んでいるんだ。


本当の私は誰なのか、奇跡講座のワークブックを実践してわかったつもりだけど、私の心はまだまだ間違っている。
瞬間的に今まで通りの自我の見方で見るし、
自我の考え方をするし、自我の反応をする。

整体のようだ。
以前歩くとふくらはぎがつるので整体にいくと、
骨盤の歪みを1回で治してくれた。
その時言われたことがある。
「骨盤は正常な位置に戻りましたが、筋肉は骨盤が歪んだ時についた状態だから、立ち歩き、座る姿勢など意識してないとすぐにまた歪みますよ。」

まさに私の心の筋肉は歪んだまま。
気を付けていないと赦しの機会も見逃してしまう。
そしたら私の心とみんなの心の間違いを強化してしまうことになる。

記事内容を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!