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#11 第2段階【自分の感情を受け入れる1】

いつもなら寒くなり始める頃だけど暖かい十一月だ。助かる。

自転車で買い物に行ったり、近くの温泉に行ったりできるのはとても助かった。


知り合いが近くに住んでいることもわかり、その方に時々お風呂を借りたり、車で買い物に連れていってもらったりしてとても助かった。


友人もあれこれと差し入れをしてくれたり話をしに来てくれたりする。


空き屋とは言っても使えるのは一室と台所スペースだけ。

それでも快適に過ごせるものだ。猫たちにストレスがかかるかと思ったけれど、体調も猫らどうしの関係も、広々とした家にいたときよりも良く見えた。

みんなごはんを良く食べるしお水も飲む。

大丈夫かなとあれこれ心配していた時は、ちょっと寒くなるとすぐ涙目になったり鼻をグスグスさせたりしてたのに。

やっぱり「目に映るものはすべて私自身。人の言うこと、出来事は私自身を映している。」ということなんだなと実感した。

私が深いところで信じている通りに物事は起きるんだ。



レンシー・スペザーノさんが書かれた「愛に道を譲りましょう」のなかに、


”怖いときにはいつも、変容のプロセスが進んでいるのだと覚えていてください。あなたに起こることはどれも偶然ではありません。

起きることはどれも成長のチャンスであり、なんらかの形であなたのより大きな人生のゴールをサポートしています。”とあった。


この言葉にものすごく励まされた。

こういう励まされた言葉は、この本に溢れていた。十八個もメモってるくらい!


”状況をどんどん危険にしているのは、自分自身の怖れだったのです。この状況が癒されるためには、私の内面にある怖れを癒す必要があるとわかりました。

怖れを癒すには、怖れを感じることにサレンダーするのが一番であることを学んで知っていました。”


サレンダーとは明け渡す、降参するという意味。

始めはよくわからなかったけど、やっていくうちに怖れを感じた時に、怖れを見ないようにしたり、気分いいことをしたり考えたりすることで上塗りしないで、しっかりその気分を味わうこと、受け入れることだと気づいた。


あー、私はまだ怖いんだな。
そうだよね、怖いよね。
そうすると、怖れが解放されていく。

始めはこれが怖い。
これこそが怖い。
怖れをまっこうから受け止めるなんて。
怖れの感情と向き合うなんて。

でもひとつやってみる。
ひとつでいい。
やってみる。
やり続けるうちに少しずつうまくなってるように感じた。



この「愛に道を譲りましょう」の中に本当の自分を生きるためのガイドブックとして知られる「奇跡のコース」が一部引用されていた。

人を許すステップだ。


何かが起きた時、まずそれが起きたのは私の中の罪悪感が象徴的に現れたのだと思い出す。

そして相手を神の子(愛の存在)として見ようとする。

あとはハイヤーセルフが助けてくれると信じて任せる。

心に起こる判断に反応せずにただ見て流す、というもの。


ここを読んだ直後に、これを実践できるような出来事が起こった。


ある頼み事をした人からの返事がまったく来なかったのだ。
少し前のその人ならすぐ返信が来ていたのに、既読にもならない。
SNSでは活動してるみたいだけど。
二日、三日、結局返信は来ず、別のかたちでなんとかするしかなかった。

忙しかろうとなんだろうと一言二言の返信はすぐくれてた人だったのにと、
私は内心イラッとした。


それで奇跡のコースの人を許すステップを実践してみることにした。

まず私の罪悪感を感じることはできるけど、その罪悪感がこの現象を起こしたと結びつけることができない。

イライラが強すぎるー。
愛の存在としてなんて見れないよ!


まずは私の中のイライラを癒すことを実践。イライラを充分味わった。


”感情が起きるに任せ、感情を知り、そうやって怖れが解放されていくに任せるのです。
パニックに陥るのではなく、怖れを終わらせるのを目標にして怖れを感じるのです。”

「愛に道を譲りましょう」より


これを実践した。怖れをイライラに置き換えて。

そして何度か人を許すステップにチャレンジしてやっとハイヤーセルフに任せるという意識にまできた。


怖れを癒すワークについては、その後不安や心配の感情についてたくさん練習した。

すると私の癖がはっきり見えてきた。

不安や心配が無いと、安心してればいいものを、不安なことはないか、心配することはないかと探すのだ。
そして目ざとく見つけて不安や心配になる。
まるで私は不安や心配の状態でいたいみたいだ。

そういう癖があるんだなと認める。
受け入れる。
しっかり気づいていれば、いずれ不安や心配を探す癖も消えていくだろう。


そういえば母も心配探すの上手だったな。



今までいい状態になりたいと思ってきたけれど、いい状態とはどんな状態か。

漠然と期待していたのは、心配や不安、怖れになるような出来事が起きない状態だった。
でもそれは違うと気づいた。

そのような出来事は勝手に起きているのだ。
私が何をしようとしまいと。

その出来事が起こったときに、それが心配に見えるか、不安に見えるか、怖れに見えるかどうかだった。

いい状態というのは、何が起きても起きなくても、それが不安や心配や怖れに見えない状態なんだ。

つまり私の精神の状態によるんだ。


これは大きな気づきだった。



私は、自分の心配の他にも他人に対してもすぐに心配していた。

相談を受ければ、その後大丈夫だろうかと心配する。
猫らがゴハンを食べなかったり目に涙が出ていたり、便が緩いと心配する。
一羽でいる白鳥を見れば、どうしたんだろう、はぐれたのかなと心配する。
そして相談に来た方に対しては、帰りに良くなるように、幸せになるようにと願ってハグしていた。


でもこれも大きく違う。

私が心配を探していたのだ。

白鳥はその時だけ一羽だったのかもしれないし、猫らはゴハンを食べないことで身体を休め癒しているのだし、相談事もその相談の内容は私自身が気づく必要のある事柄だったりした。

心配を手放す練習を繰り返すうちに、私が心配のエネルギーを持たず、ただ大いなる存在と意識を合わせて幸せの中にいれば、私が何もしなくても勝手に周りを癒すことに気がついた。

いや、むしろ何もしないからこそ高い波動のエネルギーが流れるのだ。

私が癒そうとした瞬間に波動は下がり、不純物がエネルギーに入るのだ。


ということは、私がするべきなのは、
自分を癒すということに尽きる。

私のハートに繋がってみると、すぐに「寂しさ」や「悲しみ」が見えた。

その感情を受け入れる。

抱き締める。

不安も心配も罪悪感もすべて、あったまま受け入れる。



すべては勝手に起きている。
ハイヤーセルフはそれらをすべて受け入れている。
私もすべて受け入れる。

#12 第2段階【自分の感情を受け入れる2】へ続く



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