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天上のアオ 14.5

彼の寝息が聞こえる。
よほど疲れていたんだろう。横になってすぐ、まるで気絶するかのように眠ってしまった。そういえばすぐ眠るのって気絶と変らないんだっけ。こんなときに変なことを思い出した。

わたしは枕元の椅子に座って、彼の寝顔を見ている。
穏やかというよりは、すべての力を使い果たしたというほうがしっくりくる表情をしている。

間に合って良かった。

ふう、とため息をついて背もたれに体重を預ける。そのまま天井を見上げた。気丈に振る舞ってはみたが、わたしの限界も近い。あまりに多くの感情と思考に触れすぎた。それはパーツとして持つわたしの力を遥かに凌駕していた。

感じないはずの眠気を感じる。
本来のわたしに備わっていないはずの感覚だ。
並のパーツなら強制的な休止状態に追い込まれていただろう。

自画自賛でもなんでもなく、わたしが今かたちをもって存在できているのは、それだけわたしという存在が彼にとって重要だということだ。

わたしは彼の空想から生まれた。
もし自分が、という想像から生まれた。

実のところ、それは強い願いでもあり、傷でもあったのだ。
あの男が司るのが獣性であり、代行するのが恐怖と怒りであるなら、わたしが司るのは人間性であり、代行するのは「こうありたかった」という願いと「こうあらねばならなかった」という傷だ。

わたしはある種の偶像のようなもの。
彼のイメージの核になる存在。

だからわたしは彼の創造力のままに、多くの物語を生きてきた。
ときに主人公として、ときにヒロインとして。
これからもきっとそうだろう。
彼の豊かな想像力は、わたしを色々な場所に連れて行ってくれるはずだ。

わたしに名前をくれてありがとう。
わたしに形をくれてありがとう。

鼻歌を口ずさむ。
彼が敬愛してやまなかったミュージシャンの歌。
もうこの世にいないその人の歌。

彼の世界に音楽をもたらしてくれた人
その人の音楽を通してたくさんの友達ができた。
居場所ができた。大切な人ができた。

頭の中で歌詞をなぞる。

(世界の終わりがそこで見てるよと)

初めて立ったステージの風景が脳裏に浮かんだ。

(紅茶飲み干して君は静かに待つ)

友達に囲まれている彼の姿が浮かぶ。

(パンを焼きながら待ち焦がれている)

大きなものを喪った悲しみが伝わってくる。

(やってくる時を待ち焦がれている)

ギターの音色としゃがれた歌声が頭に響く。


眠気に意識が覆われていく。
椅子に座ったまま、わたしは寝てしまうのだろう。
思い出の海。記憶の雪原。
彼の大切にしてきたもののすべて。

ありがとう。
おやすみなさい。


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