おもかげ
慶太は介護保険の認定調査員をしている。介護保険制度は介護サービスの利用が必要となったとき、市区町村に申請が必要だ。申請後、主治医の書いた意見書と、認定調査員が本人の身体状況や精神状態を聞き取り調査し、介護認定審査会を経て要介護認定がきまる。
今日は七八歳の男性が調査対象だ。
「お名前から教えて頂けますか?」
「浅木 次郎」
「生年月日と年齢を教えていただけますか?」
「昭和十九年三月二日やな。七十八歳。」
「ここにはどなたと住んでいますか?」
「嫁はん。娘は嫁にいった。息子もおったんやけどな、二十六年前に亡くなったんや。」
とビールを供えてある遺影を見つめる。
「仕事しててな。そうや、ちょうど先月の二十五日に事故にあって、十一月の二十六日に亡くなった。いや、二十六日に事故にあって、亡くなったのが二十五日だったかな。一か月生きとってん。ビールが好きなやつでな」
遺影が飾ってあるお宅は他にもある。お子さんを若くして亡くされた方は今までにもおられたが、浅木さんのように亡くなったいきさつや年月を話されることはほとんどない。浅木さんは息子が亡くなった月や日をいつも抱え、凪のような無念さは時を止めているのだろうか。
「自分、いくつなん?」
と浅木さんが聞いてきた。
「ええと、今年四十歳になります」
「ほお、そうかあ」
今回浅木さんが介護保険を申請したのは、腰痛が悪化し、休み休みでないと歩けなくなったからだ。
「わし、若い人としゃべるのが好きで、定年後もスーパーやドラッグストアで商品だししとってん。そん時から痛かったけど、歩けんようになるとは…。年やな。」
コロナ禍で馴染みのカラオケスナックも閉店してしまい、気分転換できる場所がなくなったと浅木さんは朗らかにいった。
浅木さん宅を辞し、慶太はふいに両親のことを思った。オヤジ、冬でもビールだったな。久しぶりに実家に帰ろう。