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クロスバイク(笑)

優れた脱力は美しい。必然性がそのまま華になる様は手放しで美しい。ジョンフルシアンテのカッティング、ビリー・スキーナーの左手、猫の伸び、意図を咀嚼した結果のバランスが生む黄金比。これは生きた物へ抱く感覚であり、無機物に関してはたった一つの強引なメッセージに惹かれる。椅子の「座れ」だったり、ベッドの「横になれ」だったり。佇まいそのもので読解力やリテラシーとは違った理解と納得を与える。どこか歩いていても必ず「なにか座れる場所」を探している。行間を埋める心地よさと愚かさとナルシズム、そういったものに支配されて(あるいは録音物のプレイバック中に電池が切れて)椅子で寝てしまう毎日。

移動する物に興味も無ければ積極的にお金を遣うことをしない。電車が嫌いでバイクにも車にも興味がない。18の頃、HONDAのモンキーに乗っていたがあまりに面白さを感じられず〇〇〇〇した。音楽はどこへも行けないが不思議な充足感があり、それが自分の性格にマッチしている。何曲作ろうとどんな曲を作ろうとどんな反応があろうと、二畳ほどの防音室から何処かへ行けるわけではない。

ある種消去法で自転車に跨る事が多く、お~んなじ自転車ばかり何年も乗っていた。所謂ミニチャリなので、ライブの日など肝臓の運び屋になっている際は非常に消耗する。一度くらい良いものに乗ってみてもバチは当たらないかというスケベ心からクロスバイクに手を出した。「跨れ」と言われたような気がしたからだ。

ケツの位置が高い。理性的なフォルム。何もかもが恥ずかしく、一発目の漕ぎだしはいよいよ重たかった。こけない為には漕ぐしか、ない。どう斜めから見てもそういう形をしているのだから。

直後切る風、変わる景色、自然と適切に減る「力み」を連れて坂を上る。世界の大きさは変わらず、風だけが増えた。幼い頃よく感じたようなソレを顔に感じる。サカノボルほどの記憶ではないにせよ、畏くも華を感じた。

モッズコートを着て、金髪おかっぱを揺らし、ジョージコックスを履いて、落語を聴きながら自転がてら景色をザッピングしていると世界を騙しているような気分になる。今すぐアイロニカルの最小単位をリニスタにしろ。

今までありがとう。君のことならすぐに忘れるさ。

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