儒林外史 第一章 序にかえて (4)

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翟は里へすっ飛んできて、秦さんの家に着くと、王冕を呼び寄せて事の次第を話した。王冕は笑って言った。
「左様でございましたか。しかしこの王冕は一介の農夫でございます。畏れ多くもお話しなどとんでもない。謹んで辞退いたしますとお伝えくださいませ。」
調達役の翟は顔をこわばらせ、だんだん赤くなりながら言った「せっかく知事殿が来なさいと言っているのに断るやつがあるか! そもそも今回のことは俺が知事殿におまえの絵を紹介してやったからなんだぞ。それでお呼びがかかっているのに俺への感謝はおろか茶の一杯も出ていないとはなめられたもんだ。ご遠慮いたしますとは大した度胸じゃないか。俺が知事殿のところに戻って、百姓に追い返されましたと言えばいいというんだな」

王冕は言った。
「落ち着いてください。もしも私がなにかやらかして、逮捕状でも出ているというならば、それは行かなければなりません。しかし今回のはお誘いですから、私が行きたくないということなら、わかってもらえるはずではないでしょうか。」
翟は言った。
「逮捕状が出れば喜んで参りますとはとんだ天の邪鬼だ。いいかげんにしろ。」

秦さんも王冕を説得しようとする。
「王冕よ、知事殿がじきじきにお呼びとは、たいへんなご厚意じゃないか。ぜひお邪魔するべきだと思うよ。それに『家系を滅ぼす知事』なんていう常套句もある。下手にお断りして波風を立てるもんじゃないよ。」
王冕は言う。
「秦さんなら知っているでしょう。いつか話したあの段干木と泄柳の故事ですよ。僕は行きたくないんです。」

※ 段干木。中国、戦国魏の賢者。 生没年不明。田子方、呉起らとともに、孔門十哲の一人子夏に師事したが、同門の諸士と異なり仕官を好まず、仕官を勧めに訪れた魏の文侯を避けて牆(かきね)を乗り越えて逃れた。

※ 泄柳は、孔子から少しあとの世代で、魯の賢者とされた人物。魯の穆公(ぼくこう)の来訪時、門を閉じて入れなかった。

調達役の翟が言った。
「いや、勘弁してくれよ。俺は戻って知事殿に一体なんて説明すればいいんだ。」
秦さんが言った。
「いやこれは難問じゃ。あんたが行けと言っても、王は行かんという。行かんと言っても調達役どのの仕事にならん。とりあえずこうしたらどうだろう。王冕が嫌がっていることはとりあえず伏せておいて、今日王冕は体調が悪くて寝込んでいるから、二、三日したら行くと思いますと伝えておいては?」
翟が言った。
「病気ということなら、隣近所と斜め向かいの家に証明書を書いてもらわんとならんぞ。」

言い合っている間に、秦さんはこっそり晩御飯を用意させ、翟に食べさせた。食事のすきに王冕に耳打ちし、家に戻らせ彼の母親に三钱二分の銀貨を用意させ、それを翟に足代として握らせてなんとか帰らせた。

儒林外史 第一章 序にかえて (5)

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