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怒りのあまりウクライナ語を学ぶ

メロスは激怒した。

どころの怒りではない。自分にもこれほど激しい感情が湧き起こるものかと困惑するほどだ。原因は 2022 年 2 月 24 日に始まったロシアによるウクライナ侵攻である。
この怒りは,時間とともに黒い熔岩とその下の巨大なマグマ溜まりに変化しながら,250 日を経過した今も続いている。
ウクライナに縁もゆかりもなく,どんな国かもよく知らなかったが,この前世紀的なクソ事態に私は激しく怒り,苛立っている。

侵攻開始後,目を背けたくなる惨状が連日報じられるのに打ちのめされながら,何かをしなくてはならないが何をしてよいか分からない悶々とする日々が続いた。
隣国への避難者を支援する活動をしている日本の NGO に少額の寄付をしてみたものの,どうしようもない無力感に苛まれた。
(こう書くと寄附行為を否定的に捉えているみたいだがそうではない。その後また別の組織にも寄附したし,今後もする。少額だけど。)

アタマがおかしくなりそうだった。精神が少し不安定になった。
今もそうだ。車を運転中に突然涙が滲むこともある。
抑鬱状態が続くときもある。

本題に入ろう。
4 月 14 日,発作的に電書版『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』を買った。激情に駆られて購入ボタンをクリックした。
そして何の目的もなくウクライナ語を学び始めた。

私は語学が好きだが,根本的に向いておらず,モノにできた言語が一つもない(いちばん学習時間の長い英語もダメダメ)。
学生時代に何年もやったロシア語が全く身に付かなかったのに,50 代半ばで脳がはるかに劣化したオッサンが仕事の合間に半年や一年勉強したところで何がしかのウクライナ語能力がつくとは到底思えない。
『エクスプレス』(全 20 課)も第 10 課に到達する前に沈没するのではないかと思う(半年経った今,第 6 課で足踏みしている)。

だから私がウクライナ語を学んだところで,侵攻の停止はもちろん,苦しみを強いられている人々の支援に 1 μm も役立たないことは明らかだった。死ぬまで(あと 20 年くらいか)にウクライナ語話者と話をする機会もたぶん無いだろう。
「何の目的もなく」と書いたのはそういうことだ。避難者を助けるためとかでは全くない。無理無理。

ふと,自分は何をやっているのだろう?と疑問に思う。
何と言えばいいのか,遠くの村の火事を知って「火事だ! 大変だ!」と叫びながらいきなり(その村の特産品であるらしい)味噌を(やったこともないのに)作ろうとし始める,そんな感じ。

ただ,文法や語彙と格闘している間はマトモでいられるような気がするんだ。やってないとおかしくなりそうなんだ。自分が壊れてしまわないためにやるんだ。

私のことだからかなり初歩的なレベルで終わってしまうだろうが,やれるところまでやってみる。
怒りと,悲しみと,嘆きと,虚無感とに突き動かされながら。

今回が note 初投稿。このあと,ウクライナ語学習にまつわる投稿をしばらく続けてみる。

その後

この記事を投稿して以降のことをここに追記していく。

2023/05/14 追記

ウクライナ語を学び始めてから一年以上経過。
途中,短い休止期間が何回かあったものの,(私にしては珍しく)ずっとモチベーションが維持でき,学習を継続している。
ゆっくりだが,少しずつ進歩している(といっても低レベルだが)。
『ニューエク』はなかなか進まなくなった(既習の文法事項が十分に定着していないので)。いま第 16 課のあとの練習問題をやっているところ。まずは完走したい。
並行して Duolingo もやり始めた。
辞書も買ってしょっちゅう引いている。

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