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国際舞台で非難されるP・ハントケのノーベル文学賞受賞と日本のゆるい大宅賞ノンフィクションと戦争の記憶を語るナラティブ

今年は2年分のノーベル文学賞が発表され、昨年分の受賞者が私の好きなオルガ・トカルチュク(ポーランド)だったので、もう片方の今年の受賞者について少しモヤモヤしながらもオメデタイ気分になっていた。だがやはり今年分のペーター・ハントケ(オーストリア出身、最近はパリ郊外にお住まいのようだが)が受賞したことについてそれなりの「物言い」はついたようだ。

hon.jpのニュース記事でもちょっと言及してあるけれど、米ペン協会のジェニファー・イーガン会長はさっそく反対声明を出したし、ムスリムの国である、アルバニアのエディ・ラマ首相は「吐き気がする」と発言し、コソボのはシム・サチ首相も「(ボスニア紛争の犠牲者を)鞭打つようなもの」と非難するコメントを出した。

リベラルでいつも厳しい記事が冴えてるThe Interceptではペーター・ハントケにノーベル文学賞を授与したスウェーデン・アカデミーをmoral and intellectual collapse(道徳的、知的な崩壊)とまでバッサリ切りつけ、ドイツ語メディアよりも厳しく詳しくこの問題を追求している。

日本でハントケは、自殺したセルビア人の母について語った『幸せではないが、もういい』や、『左ききの女』、『ドン・フアン』、『アランフエスの麗しき日々』などの著作の他に『ベルリン 天使の詩』などの脚本で知られているようだが、どれも政治色の薄い作品といってよく、90年代半ばからハントケがボスニア紛争でセルビア軍による残虐行為が行われていたことを否定する、あるいは軽く見る歴史修正バリバリの100田的おっちゃんになってしまっていることはあまり知られていないのではないだろうか。というかそもそもあまり読まれてないよね。

ボスニア紛争中、私のようにアメリカにいた者にとっては、これはヨーロッパ内では収まりがつかなくなって、アメリカ政府(クリントン政権)が介入してようやく収束に向かった戦争、という記憶が強い。日本でも慰安婦問題で韓国やその他の国とずっともめているけれど、ユーゴスラビアで(主に)セルビア人がやったethnic cleansing(民族浄化)というのは、敵国の女性をレイプして孕ませることを目的とした卑劣な戦争犯罪で、紛争終結後、国連裁判所の場で立件されているが、この訴状など読むに耐えないほど卑劣きわまりない。こういったよその国の事態であっても、非人道的なことが行われていると判断すれば、世界の警察として自分の国の国民の血を流してでも、民主化や正義のために動けるアメリカは偉いと思う。今はロシアの属国だからダメだけど。

日本語翻訳版はないが、ハントケが1997年に出したA Journey to the Rivers: Jusitice for Serbiaという本は、ボスニア紛争が集結に向かっていた時期に彼がセルビアを訪ねた時のエッセイであり、そこで1992〜95年ごろに戦争を取材していた欧米のジャーナリストが紛争の実態を大げさに書いたのがアカンかった、と示唆している。

さらに終戦後にこの本の続編として書かれたSummer Addendumでは、1995年に8000人のムスリム(ボシュニャク人)が犠牲になったスレブレニツァの虐殺について、ハントケは、それ以前に近辺の地域で逆にセルビア人が殺されていたことに対する「報復」だったとしているが、数人、数十人単位の事件ならいざ知らず、スレブレニツァを正当化できるようなものではなく、これも歴史修正の材料とされている。さらに彼はセルビア軍兵士をfreedom fightersと呼び、アメリカにやってきた白人に抵抗したネイティブ・アメリカンになぞらえている。

同じSummer Addendumでは、ビシェグラードで民族浄化の名の下に悍ましい残虐行為を指揮したセルビア軍のミラン・ルキッチ(2005年に逃亡先のアルゼンチンで逮捕され、2006年に国際戦争犯罪法廷において戦犯として起訴され服役中)を英雄視するかのようなエッセイを書いているが、彼が滞在したとされるVilina Vlasホテルこそ、セルビアの「狼組」の兵士たちが町のボシュニャク人を拘留し、拷問やレイプを行った場所だとThe Interceptのピーター・マース記者が書いている。

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そして1992〜95年頃に欧米のジャーナリストがバルカン半島に押しかけ、一方的にセルビア軍の悪行をでっち上げたのではないか?とハントケは疑問をなげかける。さらに彼は2006年にセルビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領(戦犯として公判待ちの間に心臓発作で死去)の葬式で追悼の辞を述べているのだ。

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時事通信がハントケの受賞に関し、賛否両論があるような書き方をしているが、こんな両方の意見をとりあえず拾ってみました的なfalse equivalencyの域を出ていない書き方しかできないことに不安を覚える。ケンカ両成敗だからどっちも悪い、で済ませちゃっていいんでしょうかね?

文春の記事に至っては結びの言葉が「選考委員は文学の鑑賞には長けていても、生身の人心を読むのは不得手ということか」となっており、「はぁ?」というリアクションしかない。これ誰か説明して下さい。ナニが言いたいんだかわかんないので。

さて、ハントケ受賞に対する批判を受けて、スウェーデン・アカデミーの男性審査員2人が授与を決める際の資料として参考にした本を発表したのだが、その2冊の本というのはいずれも原文のドイツ語以外に翻訳されてなく、アメリカのPR会社、ラダー・フィンが、アメリカの世論、そしてアメリカ政府をモスリム側につくように、セルビア軍の残虐行為を巧みに大げさに宣伝したとする陰謀論を引用している、とThe Interceptは書いている。

紛争当時、アメリカ政府が介入しないことに抗議して辞任した米国務省のボスニア担当マーシャル・ハリスは辞任後、ボスニア活動家団体を率いてルダー・フィンと連絡していたが、アメリカがバルカン半島への介入を決めたのはミロセヴィッチがとった行動のせいであって、政治的コネもないちっぽけなPR会社のおかげで成功したなどというのは、虐殺行為を甘く見ることに他ならないという。

ルダー・フィンの影響力を過大評価し、セルビア人を擁護する意見は、紛争当時からあったし、今も白人至上主義のアングラなサイトではポピュラーなようだ。その元ネタになっているのはフランスのジャーナリスト、ジャック・メルリーノが1993年にルダー・フィンの上層部に話を聞いた時のインタビューだが、そのメルリーノ本人もルダー・フィンが主張するほど実際に効果があったのかまではあずかり知らぬところだと言っている。

メルリーノのインタビュー相手は、首都ワシントンのオフィスにいたジョン・ハーフという人物。PR会社の人間なのだから、自社の手柄を大げさに宣伝するなど朝飯前だろう。実際に民族浄化ethnic cleansingという言葉は、ルダー・フィンが発明したわけではなく、紛争当初から呼称としては存在していたのをバズワードとして繰り返したのだった。

そのルダー・フィンのやり方を「PR会社の鑑」と持ち上げて大宅賞をとった日本のノンフィクションがある。悪いんだけど、たかだかNHKのドキュメンタリーの人が、バルカン半島に取材に行って現地の人や、そこで起こった事実を取材したわけでなかろうし、どうせ、アメリカ国内で一方的にルダー・フィンの言い分を報道しただけでしょ? この本の書評などを読むと、読者はバルカン半島の紛争の実態より「PRの力ってスゲー」「日本ももっとPRまじめにやらんとあかんな」みたいなあさっての方向に感心されているようだし、著者も「企業にとってもPRとっても大事です」という役割のコンサル業をやっているようで、まぁ、日本のノンフィクションなんてこんなもんでしょう。甘い。実に生温い。

ルダー・フィンみたいなPR会社の話は読むと胸クソ悪くなるだけなので、今はSaša Stanišićサーシャ・スタニシチの『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』を読み返している。ボスニア紛争に巻き込まれる混血の家族の行く末をたどった成長譚として書かれているけれど、こっちの方がよっぽど民族間の争いがどんなものかを正確に語っていると思うよ。

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英語版は確かGrove Press。(エイミーんとこ、手堅くやってるよな。)本当はドイツ出版賞を受賞したばかりのスタニシチの最新作「Herkunft(出自)」を読みたいのだが、翻訳されるのはいつのことやら。まぁ日本語翻訳版より英語版の方が早そうだから、そっちで読むとして。スタニシチもその授賞式の席でハントケのノーベル文学賞受賞を批判したようだ。

世界各国の文学賞受賞作品を追っていると、時々トレンドのようなものを感じるのだが、今特に評価されているのは、小説作家がいかに戦争の記憶、ひいては人間の負の歴史をナラティブとして紡ぎ出していけるか、という部分だと思う。カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』しかり、マーガレット・アトウッドのThe Testamentsしかり。海外では多和田葉子もよく「記憶」にまつわる話を書いているし、今年ブッカー翻訳部門のノミネートに引っかかった小川洋子の『密やかな結晶(英語タイトル:Memory Police)もそうだし。

ハントケのノーベル文学賞授与の意味を考えるどころか、毎年毎年「今年こそ村上春樹がとるんじゃないか」とオラガ村的に騒ぐぐらいしか能のないマスコミを含め、ノンフィクションを書く力が弱い国なんだな、という残念な思いしかない。そういう国では、政治家が自分たちの都合のいいように歴史を塗り替えることも容易いだろう。戦争の歴史は、どんなに昔のことになっても真実はなんだったのかを問いつづけるマスコミと、嫌な過去であろうとも見据える力を持った読者がいないことには語り得ない。

追記:ようやくこのコラムをアップしたその日に、スウェーデン・アカデミーが新しく招いた外部審査員5人のうち2人が辞任したというニュースが。しかもそのうち1人はハッキリとハントケ受賞が理由で辞めたと言っている。今年のノーベル文学賞選考はそれでも着々と進行中と会長はコメントしているが、どうなることやら。

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