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ノーベル文学賞のルイーズ・グリュックにもの申すこともできやしない文学斜陽の国

↓こんなツイートを見かけた途端、日本で何も出版されていないし、研究者もいなさそうなアメリカの詩人が受賞。いい加減この国の人たちは文学の分野におけるガラパゴス化が行くところまで行き着いて、文学不毛の国になっているのに気づくべき。科学の分野だけじゃなくて。

私も最初にルイーズ・グリュックって聞いたときは、東欧あたりの人かと思ったよね。でもよくよく見てみたら、アメリカ人で、ああそうか、この名前、見たことあるぞ、何年か前に全米図書賞の詩歌部門で受賞しているから既視感あるんだ、となった。でも私ったら思いっきり「グリック」って勝手に思い込んでたし。読んだことなんてないかも、という反応だった。

でも、知り合いのアメリカの編集者やリテラリー・フィクションのエージェントの間で買わされるSNSのメッセージをみる限り、読んでいる人は読んでいて、私のフェイバリットはこの詩のこの節、と挙げている。確かに「テーレマコスの告白」の冒頭に出てくる、自分の親に対する印象が歳とともに変わるのを読んだ部分はよく引用されている。

When I was a child looking
at my parents’ lives, you know
what I thought? I thought
heartbreaking. Now I think
heartbreaking, but also
insane. Also
very funny.

他にはざっと見たところでは、Snowdropsとか、Octoberが好きと言っている人多し。大学生ん時、図書館で泣きながら詩集「Wild Iris」読んだよ〜とか。ひとつ即興で訳してみるか。(Octoberは長いのでカンベンw)

Snowdrops

Do you know what I was, how I lived? You know
what despair is; then
winter should have meaning for you.

I did not expect to survive,
earth suppressing me. I didn't expect
to waken again, to feel
in damp earth my body
able to respond again, remembering
after so long how to open again
in the cold light
of earliest spring--

afraid, yes, but among you again
crying yes risk joy

in the raw wind of the new world.

待雪草(正確には日本のマツユキソウとはちょっと違う)

私が何者で、どう生きてきたか知ってる? なら
絶望がどういうものだかわかるわね
冬が何を意味するのかも

生き残れるとは思わなかった 大地に押しつぶされて 
二度と起き上がれるとは
ふたたび自分の体を 湿った大地に感じられるとは
初春の冷たい光の中で
ふたたび花開くのが叶うとは

そう、恐いけれど あなたといっしょだから
泣いて、そう、この幸せに賭けてみる

新しい世界で 厳しい風に吹かれながら

スウェーデンアカデミーの人が言うには、「厳粛な美しさで、個人の存在を普遍的なものにした」そうで、日本のマスコミはそれをそのまま書くしかないのだろうけど、私の評価は全然ちがっていてですね。彼女の詩には確かにギリシャ・ローマ神話にちなんだ題のついたものも多いけれど、その一方で、アメリカの祝日や地名が出てくるのも多くて、そういうのは「あ゛〜わかる」となって、そしてわかるからこそ「イタタタタ」「あ〜、そこは突かないで」ってな詩も多い。特に初期の作品。サンクスギビングとか、ナンタケットとか。

なんでだろ?と思ってプロフィール見たら、グリュックはロングアイランド育ち、ニューヨークで大学行って…って経歴なのね。バックグラウンドが被る分、刺さってくるわけだ。

例えばLabor Dayと題された一編があるのだけれど、「レイバーデイ」と言われた途端、季語のように、あ、新学期が始まる前の夏の終わりのあの時期ですね、っていう感覚が蘇ってくるし、彼氏のStamfordのquasi-farmと聞いただけで、裕福な中産階級のご家族がトライステートの土地に広々とした家があって、周りを農場っぽくしてるヤツですね、って情景が浮かぶ。これも何箇所か、わからないところがあったけど訳すとこんな感じ。

LABOR DAY

Requiring something lovely on his arm
Took me to Stamford, Connecticut, a quasi-farm,
His family’s: later picking up the mammoth
Girlfriend of Charlie, meanwhile trying to pawn me off
On some third guy also up for the weekend.
But Saturday we still were paired; spent
It sprawled across the sprawling acreage
Until the grass grew limp
With damp. Like me. Johnston-baby, I can still see
The pelted clover, burr’s prickle fur and gorged
Pastures spewing infinite tiny bells. You pimp.

レイバーデイ

とりあえず彼女を連れてくって名目で
スタンフォードにある農場っぽい彼の家へ 
その後でチャーリーのデブな彼女を迎えに。その間ずっと
同じように週末来ていた違う男に押し付けようとしてたでしょ
でも土曜日になってもまだ一緒。
何エーカーもある広い農場で 寝っ転がって過ごした
芝生が体の形になぎ倒されるくまで、
湿って ジョンストンベイビーの私みたいに 
あたりのクローバーや、トゲトゲのついた草や
ツリガネソウが広がる牧場の中で この女衒が。

韻を踏ませるための句読点のつけ方も独特だし、これなんか最後が「you pimp」でっせ。こんなん読むと、私も大学時代に友達以上彼氏未満のヤツといっしょに、ちゃんと彼女できたよというポーズ取るためだけにフィラデルフィア郊外の両親のところに連れて行かれて、週末泊まることになって、チヤホヤされながら夜は一緒に彼の親と食事して、挙げ句の果てに帰ってきてからケンカになって、もう放っといて!と振り回した腕が、ヤツの鼻に肘鉄食らわす形になって、鼻血ブーで、さすが白人男の鼻は高くて当たると痛そうだと思いながら、両親に怒鳴り声聞かれるのも申し訳なくて、でもヤツの車に乗ってきたから急に帰れなくて…という若かりしのエピソードがまざまざと蘇ってきてしまうのだよwww

要するにこんなに個人的に彼女の詩が刺さってきて、あれこれ出てくる固有名詞で情緒が掻き立てられるのは、私と同じように、東海岸育ちの中産階級で白人かジューイッシュで出版社で働いています、みたいな編集者が大勢いるからファンもそれなりにいるという説なんで、これをスウェーデンアカデミーの人も同じ気持ちで読んでいるとは思えなくて。

もちろん、そんなことないよ、グリュックは誰が読んでも素晴らしい詩人だよ、という反論もほしいところ。でもいかんせん、日本語になってないし、これから翻訳版を期待すると言っても、彼女の作品をとことん研究した人じゃないと掘り下げた訳はすぐにできないだろうし、英語だからどうにかなるだろうと原文読んでみても、固有名詞がわからないと、かなり難解なんじゃないかなぁ、という気がする。

まぁ要するに、高校国語を論理国語と文学国語に分けてみたり、毎年バカみたいにハルキストで飲み屋に集まったりしてるような国だと、ノーベル文学賞が発表されるたびにこれかrも「誰それ?」ってことになるって話な。違うかw



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