見出し画像

どうしたらいいのかわからない

※終始暗いので、読んでいて気持ちがいいものではありません。ただ、私の心のうちを言語化して吐き出すための投稿です。




 どうすればいいのかわからない。頭の中がずっとぐちゃぐちゃな状態。

 4年間大学に行った。在学中に就活はしなかった。
 インターンシップや説明会に行き、エントリーシートを書いてスーツを着て面接や試験を受けて。早ければ1年生から活動し始める新卒採用のテンプレートであるこの行動を、私はどうしても出来なかった。履歴書を書いたりスーツを準備していると吐き気に襲われどんどんネガティブになって動けなくなる。合同説明会や就活イベントの情報を得て、その時は行こうと思っても、前日にやっぱり行くのやめようとなってしまう。

 4年生の秋学期すべての授業が終わった1月末、どうにかしないといけないと急に思い立ち、求人サイトで合いそうなところをいくつか受けた。4月から働き始めるも、立っていられないほどの足の痛みと仕事内容の相性の悪さのため3週間で退社。
 現在は某大学の通信制で司書課程を受講、スキルアップの一環で資格や検定を取得しつつ、友人の事業や身内の手伝いをする日々を送っている。

 今思うと、私は体調を犠牲にしてでも就活し、新卒採用の枠に入って、無理やり社会に組み込まれなければいけなかった。多くの働き方がある時代だが、私にとって新卒採用の枠に入るのは正しい道だったと後悔している。

 私は今22歳だ。社会に出て、稼いで、自分の力で生きていかないといけない歳というのに、早々に逃げて甘えている。頑張って働いている同年代が沢山いる中で、のんびりしている気まずさもある。
 私と同様に、就職して早々に仕事を辞めた友人が1人いる。先日近況報告を兼ねて会った際に、私たちは大多数とは違う方法で頑張っていこうとお互い発破を掛けあった。その時は少しは気が晴れたが、今はもう完全に心中は常に土砂降りだ。


 仕事を辞めて以来、スケジュールが埋まらない日々が続いている。まずこれが一番堪える。スケジュール帳に空欄が多すぎる。
 さっさと次の仕事探せば?と思われそうだが、自分がどうしたいか曖昧で、このままではまた自分に納得のいかない道を選んでしまい早々に辞めかねない。それを避けるためジョブパークの面談や自己分析で得意不得意だけは把握し、しばらく色々模索しようと準備期間を送っている。が、それもまた上手くいかない。貯金を切り崩すだけでは厳しいためアルバイトにも応募した。今月から業務が始まるが、勤務時間がかなり少ないため掛け持ちをしないといけない。

 大学時代、何もない日は月に1日か2日あればいい方だった。高い学費の分は元を取ると決め、4年間全ての学期で、受講できるコマ数の上限ギリギリまで受講していた。
 私が所属していた学科の卒業要件は124単位だったが、学芸員資格課程の単位と他の自由選択も合わせると、私は卒業時には200単位以上取得していた。そしてアルバイトも週3.4日、多いときは8時間、少なくても5時間は働いていた。2年生の必修授業が一番多い時がコロナ禍真っ只中で、アルバイトは年末までできていなかったが、3年生になってからは学業とアルバイトを両立させていた。既に必修科目の7.8割を取得していたため時間割作成が容易で、丸一日授業の日・丸一日アルバイトの日というように、曜日によって一日の動きが確定している日々を送っていた。例えば火木日は朝から晩までアルバイト、月水金土は朝から晩まで大学or勉強漬けというような感じだ。授業後やアルバイトの日数調整で空いた日には遊びに行ったりしていたため、終日何もしない日は無いに等しかった。課題や勉強は休み時間や休憩時間、帰宅後の時間を割いていた。その傍らに、友人の企画を手伝いや、大学の図書館の活動への参加、学科の広報活動では執筆もしながら代表を務め、はたまた興味があるのがあれば他大学の無料公開講座にも赴いていた。ついでに車と二輪免許、趣味と実益を兼ねて資格や検定も取得した。
 また、多趣味なため、ゲームやバンドのライブや旅行、日課のような読書やオールナイト映画鑑賞をしたりと、思い返せばやることが多い日々だった。尚、色々やりつつも睡眠時間は確保していたため健康面に支障は出ていない。

そんな私は友人や先生方から、忙しい人というイメージを持たれていた。今でも友人と会うと「○○(私の名前)は大学の時忙しそうなイメージしかなかった笑」と言われる。だが私は、もっと忙しい人は山ほどいるし、自分は上手く動けないし遊んでばかりだと思っていた。同じだけ時間があるのに、世の中にはもっと頑張っている同年代が同じ大学にも世界中にもいる事実がある以上、もっと頑張って動いて頭働かせて効率よく得れるものは得て、後悔しない4年間(コロナ禍直撃のため実質3年間のようなものだが)にしないといけないと思っていた。

 最近、友人や大学でお世話になった先生方と会った。近況報告や心境を零していると、燃え尽き症候群のような状態なのかもねと言われた。在学中の稼働率が90%~100%なら、今は0%~20%、多くても30%くらいだ。脳みそも同じくらいしか動いていない。思考が全然まとまらず、自分が何をしゃべっているのか意識できないことが増えた。誰かと会った後には、こんなに私は喋るのが下手だっただろうかと怖くなる。


 ではその多忙と言われる4年間は、充実した満足のいくものだったのか。
 残念なことに、あまり上手くいかなかったと感じている。周りは私の大学生活を評価してくれるが、自己評価では後悔ばかりだ。勉強、卒業論文、その他色々。全て中途半端で終わってしまった。

 私は昔から自分が何がしたいのか、何が好きなのかわからなかった。自分の将来が全く想像できなかった。将来設計が全然見えなかった。正直、早く死にたいと小学生くらいからずっと思っているため、自分の未来に希望も期待もなかった。
 だが世の中そう甘くなく、時間はどんどん過ぎていく。心では死にたいと思っていても何故か毎日生きている。まだ死ぬときじゃないんだなと言い聞かせ、作動するのかしないのかわからない爆弾のような希死念慮を抱えながらも生きていくしかない。どうしようもない現実を恨めしく思いつつも、在学中に少しでも何か得ることができたらと思い、どんな分野にでも応用が利く学科を選んだ。

 私は4年間で最終的に何を得たのか。私は一体何を頑張ってきたのか。周りは一体私の何を評価してくれているのか。
 良い人間関係を得たことには感謝している。だが、自問自答をしていると結局ただ無為に4年間過ごしてきただけだと思えてきて仕方がない。

 過ぎたことを考えても無駄ということはわかっているが、それでも私は大学時代、はたまた物心ついた頃から今までの時間全てを、あの時ああすればこうすればと、後悔せずにはいられない。今後の人生でやれることもあるかもしれないが、タイムリーでやってこなかった現実がある以上、たった今の自分が悔やんでいる。

 自分の選択や行動には責任が付きまとう。人に指図されて行動するのは嫌いなため、結局すべて自分の意思でやったことだが、その意思すらいつも間違いだらけだ。


 自己PRや履歴書には都合のいいことばかり書いているが、実際長所も特技も無いに等しい。この世の中「一生懸命何事にも真面目に取り組む」ことができる人の数は?
 近しい人は評価してくれても、所詮上位置換だらけの世の中では、私は無個性で無価値だ。正に、「井の中の蛙大海を知らず」の蛙そのものだ。私には同期130人程の学科という小さなコミュニティの、その中のたった一部でしか呼吸できなかった。

 周りと一緒は嫌だから色々頑張ってはみたが、振り返ると中途半端のどっちつかずのまま終わってしまった。挙句、大多数と同じ選択ができなかったことで地に足がついておらず、売り込めるものもない。惨めな有様だ。

 私は私を否定し続ける方法しか生き方がわからない。否定しなければ逆に自分が壊れてしまう。カウンセリングやネットからは、自分を甘やかす・褒めてあげるというアドバイスを与えられてきたが、簡単に言ってくれるなと心底思う。どうやってすればいいのかわからないし、そのようなことをする自分が許せない。第一、ゲームをしたり音楽を聴いている時点で既に自分を甘やかしているだろう。近頃は何もできなかった日が増えつつあるというのに。これ以上自分を甘やかしたり褒めることは、堕落への道を爆走するのと同義だ。

 ふとした拍子に襲ってくる希死念慮に悩まされることが多く、ストレスにもあまり強くなかったため、昔からスクールカウンセラーを利用し、時々相談に行っていた。しかし病院に行くほどではなかった。だが4年生の時、生活に支障が出た。思考がまとまらず無気力状態で思うように動けない日が続いた。怪我や、熱が出ている訳でもないのにサボる自分が許せずアルバイトや授業には何とか意地でも出ていたが正直毎日辛かった。メンタルクリニックに行くと軽度の鬱と言われ薬をもらい飲んだが、酷いめまいと頭痛に襲われたため、すぐに飲むのを止めた。


 物心ついた頃から生きるのがずっと辛い。自分自身があまりにも嫌いだ。性格、考え方、言動、容姿等、私という人間を構成する全てが気持ち悪くて仕方が無い。
 容姿に関してはメイクをしたりコーディネートを考えたりと、世間に笑われないくらいにはなっていると思う。何もしていないというわけではない。体型は俗に言う標準体重くらいだが、全く垢抜けておらず同年代と比べると幼く見えるため、現在はダイエット中だ。
 多様性とか言いつつも、世の中瘦せている人間・容姿が良い人間はやはり見栄えがいい。頭が足りずとも容姿で補えるケースがある。そのためにも、どうにかせねばと努力はするが、頑張り切れない自分もまた嫌いだ。


 最近、つまらないと思うことが増えた。自分の感性や感覚が曖昧になってきている気がする。被害妄想なのか現実なのかもあまりはっきりしていない。例えばだが、多趣味だと称してはいるが本当に私は多趣味なのだろうか。できる・得意と言っていることはただの自己暗示で本当はできないんじゃないだろうか。友人の事業や身内の手伝いをしに行っているが、本当はお邪魔虫状態になっていないだろうか。普段の何気ない会話から、こいつ頭悪いなと思われている可能性は。
 正直しんどい。部屋も汚いが片付けられない。流石に水回りやゴミは綺麗にしているが本や服は散乱している。
 鬱状態になっているわけではないだろう。食事はできているし、今こうやって文を書くことはできるし、人との約束は遅れずに行っている。今日も大学で自習してきた。
 だが思考がまとまらず、先のことを考えるのが難しくなっているのは確かだ。情報収集も得意だったが、最近下手になったと実感している。現状維持は良くないとはわかっているし、タイムリミットもあるため、動かなければ何も始まらないとはわかってはいる。しかし、次に何をすべきか、自分のしたいことを探すにはどうしたらいいのか、今自分がなにをしたいのか、さっぱりだ。


 今のままではダメだとわかっている。動かないことには何も進まない。情報やきっかけは、ベッドでダラダラしていても降ってこないに決まっている。

 でも中々動けないし、わからない。情報収集がてら大学に行ったり、勉強したり、手伝いに行ったりしても、そこで頑張っている学生や人々を見ると更にわからなくなってしまう。頑張れない私は一体何をしているのか。頑張ることはこんなに難しかっただろうか。

 先日アルバイトの面接の後、自己嫌悪に襲われて狂いそうだった。面接で言ったことは本当に私の本心だったのだろうか。
  採用されたからには精一杯努力はする。今まで同様、努力をしないといけない。だがここでも疑問が頭をよぎる。私は今まで本当に努力をしてきたのか?これからも努力していけるのか?

 何を言っても後の祭りだが、これならば新卒として8時間週5日出勤の社会に揉まれている方が、「仕事」というやるべきことを与えられていてそこで早く仕事を覚えるように「努力」していただろう。これこそが私にとっての正解だったのかもしれない。

 何もわからないまま今日も自己嫌悪に苛まれていたら、日が変わってしまった。気分が悪くなりそうな内容で5000文字も書いてしまった。もうここで終わろうと思う。


 お目汚し大変失礼しました。明日も頑張って生きようと思います。