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オタクとツイッターと脳疲労と

先日推しの誕生日でした。
ツイッターのタイムラインは彼を祝福する投稿に溢れ、更新しても更新しても新たな作品やツイートが表示される、まさに飽食の時代。
そのとき、気がついたのです。
さすがに情報過多だわ」と。

ツイッター疲れは、ある。

一見なんとも贅沢な悩みかもしれませんが、人には処理できる情報量というものがあります。
ごく稀な例を除き、私たちはツイッターという電脳世界だけで生きているのではなく、人によっては勉強だったり仕事だったり家庭だったり、リアルに手を動かして携わるべき何かを抱えています。そんな私たちには平等に一日24時間という時間が与えられ、そこで見聞きできるものには当然限りがある

ツイッターに限らず、ネットの世界では常にものすごい勢いの、ものすごい速さの、ものすごい量の情報が私たちの前を通り過ぎています
ただ通り過ぎるだけなら良いのですが、いまこのご時世に私たちの前を通り過ぎる情報は、大抵私たちが自らフォローしたジャンルだったり、あとはCookieやら何やらでこちらの興味関心を把握した上で私たちの目の前に表示されます。つまり、ただの無関心ではいられない。それなりに私たちの興味を惹きつけるコンテンツなのです。

限られた時間のなかで、私たちはそれらと常に向き合っています。そう常に。常にその情報の海の中にいたらどうなるのか。当然疲れてしまいますよね。

スマホ認知症なんて言葉もある時代。
大量の情報と常に向き合っていると脳が疲労し、その状態が慢性化すると、新たな情報を取り込み処理する能力が落ちてしまいます


推しがみんなに愛されていることが嬉しいのにツイッターを見ていると疲れてしまう自分がいて、あまりにも大量の情報になぜか苦しくなって涙が出たりして。
最終的に病んだりなんだりしてツイッターのアカウントを削除してしまう。
推しを愛でたくて、推しを愛でる仲間たちのツイートを見たくてツイッターをやっていたはずなのに、わたし何してんだろうか……ともなりかねない。

かと言って、いきなり全ての生活習慣を変えることもできない。このノートだってスマホで書いています。
だから、まずは向き合い方というか、付き合い方というか、自分の中でのツイッターの役割を変えてみることにしました。

ミニブログとしてのツイッター

この人の作品好きなんだけど、ツイートのテンションがなんだか苦手なんだよな〜とふと思うことがありました。
なんだか苦手なのにフォローしていたのは、その人の作品が見たかったから。でもツイートが苦手なので、目に入るたびちょっとずつストレスが溜まってゆく。それでもフォローし続けていたのは、私がフォローしている別の人もその人をフォローしていて、なんだかフォローを外しにくかったから。

なんだか……

なんだかって….

やめだやめだ、ばかばかしい!

こういうツイッターの使い方が一番ダメですね。
見てストレスになるアカウントなんてフォローすべきじゃない。

作品が目的だったら、その人が別のプラットフォームに(例・pixiv等)作品だけアップしていたらそれをフォローすれば良いのです。
ツイッターが一番早い?
緊急性の無い情報にスピード感を求めすぎると、これまた脳が疲れてしまうことにつながるので避けた方がいいです。

というわけで自分の中でフォロー基準を設けました。明確なものでありませんが、自身のアカウントを『ミニブログ』として扱うことにしてみたら、自然とフォローするアカウントもそういう傾向になってゆく。
タイムラインは、わたしにとってのZINE的な存在になっています。興味のあるテーマが短い文章でサラサラと流れるノンストレスな場。

因みに、個人的なこと、自分語りや何か重かったり激しかったりする感情を伴うツイートを私は『自我ツイート』と呼んでいます。これといった定義はありませんが。

例えば公式アカウントで見られる自我ツイート。その公式のスタンスとは別に中の人が個人的に表明する「自我ツイート」が目に余るようになると、アカウントが炎上するじゃないですか。(あくまでアイコニックでキャラクター性があれば、それはそれで中の人コンテンツとして愛されますが)
どうせ自分が持つ複数の顔のひとつでしかないのなら、あくまでミニブログとして使った方がフォロワーたちとも良い距離感を保てるのではないかと思います。そしてこの考え方で、私は趣味アカウントの運用がとっても楽になりました。

今現在、私が同人活動メインのアカウントで具体的にやっていることというか努めていることは、次のとおりです。

  • ツイートは基本的に萌え語りと作品アップに限る

  • 他の方への感想は基本的にリツイートand一言
    長々書きたくなったら、設置されている感想箱などへ(TLに放流しない)

  • 空リプしない

  • 人を選ぶツイート(イデオロギーの表明、何かに対するご意見等)をしない その際は別アカウントへ

こういう配慮、面倒だなって思われるかもしれないんですが、ちょっとしたブレーキが長期的に見て自分の心を健康にしているように感じ始めています。
少なくとも、自分自身が自分の情報に苦しめられることは無くなってきたな〜と思います。負の感情を伴う自分語りは、後々読み返せるかたちにすると胸がザワザワしてしまいますし、感情的で個人情報がダダ漏れになっているような投稿は、そもそも危険です。

あと、最近はサークル機能を使ってゆるく自我を発散しています。
場合によってはサークル外の人に見えてしまうというのが逆にミソですね。当たり障りのない、個人情報の薄い個人的なツイートをするのにぴったりだなと思ったので、原稿進捗などはサークル内でぼそぼそ呟いたりしています。
あまり積極的にTLに流したくないというか、こういうどうでも良いツイートをやたら流すことで誰かの脳を疲れさせたくもないというか……気休めです。

前向きに複数アカウント運用

これは最近やっていることなんですが、前向きに複数アカウントを使用しています。

【🔒なし】
・同人活動用アカウント
・自我アカウント(同人以外の趣味について呟いたりする。一桁程度しかフォローしていない)
・キャンペーン参加用アカウント

【🔒あり】
・オフの人とのつながりアカウント(SNS的活用)

以上が現在実質運用しているものです。
同人活動用アカは、もうジャンルごとにまとめるのはやめようと決めました。管理が面倒なので一本化しました。

それって情報の海になっちゃって疲れるのでは?と思われるかもしれません。
でもフォローする方を選んでいるので案外それほどでもないし、ジャンルを絞ると却って要らぬ交流が増えてそれがストレスになることもあるので、敢えてそうしています。
それでも疲れる時には自我アカウントにこもっています。こちらはさらにフォロー数を絞っているのでタイムラインの流れがかなり穏やかです。もはや風呂。ほぼ流れない。みんなこちらを見ないでただ呟いている。居心地いいです。

あとご覧のとおり、鍵のかかった裏アカ的なものは持たないことにしました。見られても困るようなものをわざわざ呟くこともないし、自我アカウントは鍵をかけないことで逆に自分自身の精神衛生を保全しています。鍵をかけるとマジで便所の落書きになるので。オープンにしているからこそ守られるものもある。

今後やってみたいこと:根本的解決

そもそも生産的ではない時間を過ごすことを減らしたいなと。
というわけで、今更ながらスクリーンタイムを導入してみることにしました。

まずは一日二時間から。甘いかな。

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