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シンギュラリティ信仰はいかにして生まれるか〜第2章

第2章 トランスヒューマニズムにおけるシンギュラリティ

 本章では、シンギュラリティの思想がトランスヒューマニズムに位置づけられることを示すことが目的である。第1節では、トランスヒューマニズムとは何かを説明するともに、シンギュラリティの思想がトランスヒューマニズムの特徴をふまえていることを示す。また、第2節では、カーツワイルの思想がトランスヒューマニストの一人であるハンス・モラヴェックから影響を受けていることについて説明する。

第1節 トランスヒューマニズムにおける人間観と霊魂観

第1項 トランスヒューマニズムとは

 トランスヒューマニズムは日本語でしばしば「超人間主義」と訳される。この言葉からもわかるように、トランスヒューマニズムでは、人間の生物学的限界を超えることが望まれている。シャナハンによると、トランスヒューマニズムとは、寿命の大幅な延長や認知拡張などを通じて、人間がその生物的制限を超越することを目指す思想および運動のことであるのことである(シャナハン 2016〔2015〕:253)。また、シャナハンは、トランスヒューマニズムの信奉者であるトランスヒューマニストついて、次のように述べている。

 トランスヒューマニストたちはテクノロジーを駆使して人間の身体と脳の生物学的限界を超越しようと主張する。人間の知能は、薬物、遺伝子操作、または人工器官など、さまざまな手段で拡張できる。医学の進歩は疫病を根絶し、老化を止めることで人間の寿命を無限に延ばす可能性を秘めている。さらに劇的なこととして、第2章で検討した全脳エミュレーション技術を使えば、議論の余地はあるにしても、人間の精神をコンピュータ基質にアップロードして、病気と衰退を永久に回避できるようになることが考えられる。[中略]/技術によって死を克服することはトランスヒューマニズムの基本的な目標だが、精神のアップロードはこの目標にアプローチするための方法の一つだ(シャナハン 2016〔2015〕:202-204, 211)

 このように、トランスヒューマニストは、テクノロジーを利用することにより、人間の身体や脳を変化させ、その能力を拡張しようと考えていることがわかる。また、さらに進んで、精神をコンピュータ上にアップロードすることで、生身の身体や脳を捨て去り、コンピュータの中で生きようという考えも存在する。このような考えはマインドアップローディングと呼ばれ、その実現はトランスヒューマニズムにおける最終的な目標のひとつであると言われる。これらのトランスヒューマニストたちの考えや思想のことを総称してトランスヒューマニズムと表現されているのだ。

 以上より、トランスヒューマニズムの思想の特徴に関して次のように言うことができる。

特徴① 身体や脳を変化させ、寿命の延長や認知機能の拡大といった人間の生物学的限界を超越しようとする。

特徴② 人間の能力を拡大する手段として、テクノロジーが利用される。

特徴③ 人間の生物学的限界を超えた存在であるトランスヒューマン像が目指される。

特徴④ トランスヒューマニズムにおける最終的なゴールの一つとして、マインドアップローディングの実現が目指される。

第2項 トランスヒューマニスト

 先述の通り、トランスヒューマニズムとは、サイエンスやテクノロジーの利用により、身体や脳を変化させ、寿命の延長や認知機能の拡大といった人間の生物学的限界を超越しようとする思想のことであった。

 では、このようなトランスヒューマニズムを信奉するトランスヒューマニストとは一体どのような人々なのだろうか。西垣によると、トランスヒューマニストの仲間には、SF作家のように誇大妄想じみた世界を描く人もいれば、科学者やエンジニアのように科学的根拠に基づいた考えをもっている人々も存在する(西垣 2016:92)。代表的なトランスヒューマニストとしては、J・B・Sホールデン、ハンス・モラヴェック、ニック・ボストロム、ジェームズ・ヒューズ、マックス・モア、ラルフ・マークル、デイヴィッド・ピアースといった名前が挙げられる。

 中でも、ニック・ボストロム(Nick Bostrom)は、デイヴィッド・ピアース(David Pearce)と共に世界トランスヒューマニスト協会を設立した人物として知られる。ボストロムは、スーパーインテリジェンス9)の登場により、半永久的な寿命の延長が行なわれることや、人々が若々しく健康的で活動的な生活を送ること、マインドアップローディングが可能になると考えている(ボストロム 2017〔2014〕:519)。

第3項 トランスヒューマンとマインドアップローディング

 先述の通り、トランスヒューマニズムでは、人間が生物学的限界を超越した姿であるトランスヒューマン像が目指される。また、トランスヒューマニズムにおける最終的な目標のひとつにマインドアップローディングがあることがわかった。

 マインドアップローディングは、日本語で「精神のアップロード」「アップローディング」「霊魂移入」とも表現される。ウェンデル・ウォラックは、マインドアップローディングについて、「マインドアップロードの形は多くがすでに理論化されているが、基本的な発想は、人がコンピュータのなかで自分の精神を再現することである」(ウォラック 2016〔2015〕:196)と説明している。また、ウォラックいわく、「そうすれば、その人はロボットの体で現実の世界を生きる、あるいはコンピュータのなかでサイバースペースの世界を自由に動き回ることができる」(シャナハン 2016[2015]:211)。

 このように、トランスヒューマニズムにおいては、人々がマインドアップローディングによって、精神が肉体を離れ、コンピュータのなかに入っていくことで死を克服し、自由に動き回ることができる、と考えられているのだ。

第4項 トランスヒューマニストとしてのカーツワイル

 カーツワイルには、トランスヒューマニストとしての一面がある。ソニア・アリソンによると、カーツワイルが出した数冊の著書はひっくるめて「トランスヒューマニズム教」における宗教テキストとして見なされる(アリソン 2013〔2011〕:245)。なかでも有名な本の1つ『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』は、彼の科学的な考え方のなかにある宗教性について、予想以上に正確に論じている(アリソン 2013〔2011〕:245-246)。

 先述の通り、カーツワイルのシンギュラリティに関するアイディアには、⑨「G(遺伝学)革命によって、事実上全ての病が撲滅し、人間の可能性が飛躍的に広がり、寿命が劇的に伸びる」、⑰「非生物的な知能と融合することにより、人の能力が拡大される」といったものがある。これらは、テクノロジーの利用によって、人間の生物学的限界を超越しようとするトランスヒューマニズムの特徴をおさえている。よって、シンギュラリティの思想はトランスヒューマニズムに位置づけられる。

 また、カーツワイルの考えた人間の脳のアップロードというアイディアは、トランスヒューマニズムにおける最終的なゴールの一つとして、目指されるマインドアップローディングと共通している。なぜなら、どちらも、人間の霊魂をコンピュータにアップロードして、その中で生きることができると説くからだ。

 そして、カーツワイルは、自身の身体を生化学的に作り直しており、サプリメントや薬を摂取している(カーツワイル 2007:491)。カーツワイルによると、薬品、サプリメント、ほぼあらゆる体内器官の交換、その他人体へのさまざまな介入によるテクノロジーによって、人類はすでに本来の寿命を伸ばしてきた(カーツワイル 2007:387)。また、カーツワイルは、「体の部分を交換する技術はすでに整っている」(カーツワイル 2007:387)と述べ、その例として、腰、ひざ、肩、肘、手首、あご、歯、皮膚、動脈、静脈、心臓の弁、腕、腿、足、指、つま先、そして、さらに複雑な器官(たとえば心臓)を取り替えるシステムの導入を挙げている(カーツワイル 2007:387)。そして、人間の体や脳が動く仕組みが明らかになるにしたがって、手持ちのものよりはるかに優れた器官をじきに作りだせるようになり、それらは長持ちし、機能面でも優れており、弱ったり、病気になったり、老化したりしない(カーツワイル 2007:387)とカーツワイルは説くのだ。

 このように、カーツワイルは、自身の身体を生化学的に作り直していることや、これからの体の部分を交換する技術について説くなど、身体の拡張によって生物学的限界を目指そうとするトランスヒューマニストとしての一面がある。

第2節 モラヴェックからカーツワイルへ

 ここでは、カーツワイルのアイディアのいくつかが、トランスヒューマニストの一人であるハンス・モラヴェックから影響を受けていることを示したい。カーツワイルは、著書『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』の3章の中で、人間の脳のコンピューティング能力を見積もるために、ロボット工学のパイオニア、ハンモラヴェックの研究を取り上げた(カーツワイル 2007〔2005〕:131-132)。また、カーツワイルは、一九八九年に出した著書『インテリジェント・マシンの時代』では、二一世紀前半には、必ずや、機械が人間の知能を大幅に凌駕するという予測をしたが、それは、モラヴェックの著書『電脳生物たち――超AIによる文明の乗っ取り』10)と同様の結論であったと述べている(カーツワイル 2007〔2005〕:37)。

 そして、モラヴェックは、カーツワイルよりも前に、マインドアップローディングについて言及している(モラヴェック 1991〔1988〕:159-181)。モラヴェックによると、人間の心をコンピュータに移すことができ、一つのコンピュータ・プログラムとして、心は情報通信路を経由して旅行できると説いたのである(モラヴェック 1991〔1988〕:165)。彼のこのようなアイディアの根底には、「パターン本性論」というものがある。モラヴェックによると、「パターン本性論では、人間――たとえば私――の本質を、私の心と体の中で起こっている「パターン」と「過程」にあるとし、その過程を支えている機構には認めない」(モラヴェック 1991〔1988〕:170)。そして、「もし過程が維持されれば、私も維持される」(モラヴェック 1991〔1988〕:170)。このように、モラヴェックは、人間の本質が心と体の中で起こっている「パターン」と「過程」にあると考え、そのパターンを転移することで精神転移が可能になると述べた(モラヴェック 1991〔1988〕:171-172)。

脚注

9)ボストロムによると、「人類がいつの日か、汎用知能(一般知能)において人間の頭脳を超越することができたなら、それは非常にパワフルなスーパーインテリジェンス(超絶知能)となりうる」(ボストロム 2017〔2014〕:5)。このように、ボストロムは、超人的な知能をもつ人工知能のことを「スーパーインテリジェンス」と呼んでいる。

10)ハンス・モラヴェック 『電脳生物たち――超AIによる文明の乗っ取り』 野崎昭弘訳、岩崎書店、1991年。

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