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シンギュラリティ信仰はいかにして生まれるか〜序章

序章 カーツワイルの描くシンギュラリティ像

 シンギュラリティとは何か。シンギュラリティは日本語で「技術的特異点」あるいは「特異点」と訳される。特異点とは何かについて、マレー・シャナハン(Murray Shanahan)は次のように述べている。

 物理学において特異点というのは、ブラックホールの中心もしくはビッグバンの瞬間のような空間か時間の一点であり、そこでは数学の常識とわれわれの理解力が共に崩れ落ちる。そこからの類推で、人類史においての特異点とは、われわれが今日理解しているような人類のあり方が終わりを告げるほどの劇的変化が、技術の指数関数的進歩によってもたらされることを指す。(シャナハン 2016〔2015〕:3)

 このように、人類史におけるシンギュラリティとは、物理学における「特異点」という概念の類推であり、「われわれが今日理解しているような人類のあり方が終わりを告げるほどの劇的変化が、技術の指数関数的進歩によってもたらされる」(シャナハン 2016〔2015〕:3)地点のことを指す。

 しかしながら、シャナハンのシンギュラリティに関する定義はあいまいであり、これではシンギュラリティが具体的にどのようなものであるか見えてこない。そこで、シンギュラリティとは何か具体的に知りたいのなら、レイ・カーツワイル(Raymond Kurzweil)の著書『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』1)を薦めよう。カーツワイルは、アメリカの発明家兼フューチャリストであり、現在は米Google社で機械学習と自然言語処理の技術責任者を務める等、テクノロジーに精通した人物だ。彼は、その著書の中で、シンギュラリティに至る過程やシンギュラリティの訪れる時期、シンギュラリティ後の未来について詳細に述べている。本章の目的は、このようなカーツワイルの描くシンギュラリティ像を明らかにすることである。

 第1節では、カーツワイルの考えるシンギュラリティの概念について紹介する。ここでは、カーツワイルの描くシンギュラリティ像について大まかに理解してもらうことを目指す。第2節では、カーツワイルの描くシンギュラリティに至る過程について、収穫加速の法則とGNR革命という二つの観点から紹介する。ここでは、収穫加速の法則により、テクノロジーの成長率が急速に上昇し、ほとんど垂直の線に達する地点がシンギュラリティと呼ばれることや、G(遺伝学)革命とN(ナノテクノロジー)革命、R(ロボット工学)革命が共に作用して起こる結果として、シンギュラリティが訪れることを示す。第3節では、カーツワイルの描くシンギュラリティの訪れる時期について紹介する。ここでは、非生物的な知能であるコンピューティングの能力が人間の全ての知能よりも約一〇億倍強力になることでシンギュラリティが訪れ、それが、二〇四五年ごろであることを示す。第4節では、カーツワイルの描くシンギュラリティ後の未来の主な出来事として、「強いAI(人工知能)の登場」、「人体の拡張」、「非生物的な知能との融合」、「人間の脳のアップロード」、「完全没入型のヴァーチャル・リアリティの実現」という五つの観点から紹介する。第5節では、以上のまとめとして、カーツワイルの描くシンギュラリティ像に見られるアイディアを挙げる。第6節では、本稿の目的と先行研究における位置づけを示す。

第1節 シンギュラリティの概念

 カーツワイルの考えるシンギュラリティの概念とはいったいどのようなものだろうか。カーツワイルは、シンギュラリティを「テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のこと」(カーツワイル 2007〔2005〕:16)であり、「われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点」(カーツワイル 2007〔2005〕:20)であるととらえている。また、カーツワイルによれば、「特異点にはさまざまな特徴があるが、それが指し示すもっとも重要な点は、テクノロジーが、人間性の粋とされる精巧さと柔軟さに追いつき、そのうち大幅に抜き去る、というものだ」(カーツワイル 2007〔2005〕:20)。そして、カーツワイルは、「特異点に到達すれば、われわれの生物的な身体と脳が抱える限界を超えることが可能になり、運命を超えた力を手にすることになる」(カーツワイル 2007〔2005〕:19)と予測している。その例として、「死という宿命も思うままにでき、好きなだけ長く生きること」(カーツワイル 2007〔2005〕:19)を挙げている。さらには、「特異点以後の世界では、人間と機械、物理的な現実とヴァーチャル・リアリティとの間には、区別が存在しない」(カーツワイル 2007〔2005〕:20)とさえ述べた。

第2節 シンギュラリティに至る過程

第1項 収穫加速の法則

 カーツワイルは、シンギュラリティに至る過程を説明するために、「収穫加速の法則」と呼ばれる概念を用いている。収穫加速の法則とは、「進化のプロセスにおける産物が、加速度的なペースで生みだされ、指数関数的に成長していることを表すものだ」(カーツワイル 2007〔2005〕:55)。この法則は、世界を変えるアイディアがもつ力そのものが加速度的に成長している、というカーツワイルの実感と、あらゆる情報関連のテクノロジーに見られる加速度的な成長についての経験的なデータ収集により、発見されたものだ(カーツワイル 2007〔2005〕:8)。そして、カーツワイルは「収穫加速の法則は、全てのテクノロジー、さらにはどのような進化のプロセスにも当てはまる」(カーツワイル 2007〔2005〕:87)と考えた。収穫加速の法則から見て指数関数的成長をするとうかがわれる分野の事例としては、あらゆるたぐいの電子工学、DNA解読、通信、脳スキャン、脳のリバースエンジニアリング、人間の知識の量と範囲、テクノロジーのサイズの急速な縮小化を挙げている(カーツワイル 2007〔2005〕:87)。

 さらに、カーツワイルは、多様なテクノロジーの進歩と成長が指数関数的に成長していることに加え、テクノロジーの指数関数的な成長率、つまりは指数そのものも、指数関数的になっていることを発見した(カーツワイル 2007〔2005〕:24-25)。こうして、テクノロジーの進歩が「二重の」意味で指数関数的に成長していった結果、テクノロジーの成長率は急速に上昇し、ほとんど垂直の線に達するようになる(カーツワイル 2007〔2005〕:19)。カーツワイルは、この地点をシンギュラリティと呼んだのである。

第2項 GNR革命

 カーツワイルは、「収穫加速の法則は、全てのテクノロジー、さらにはどのような進化のプロセスにも当てはまる」(カーツワイル 2007〔2005〕:87)と考えたわけだが、その主なテクノロジーについて、G(遺伝学)とN(ナノテクノロジー)とR(ロボット工学)の観点から述べ、それぞれの分野における革命のあらすじを描いている(カーツワイル 2007〔2005〕:252-378)。

 G(遺伝学)革命について、カーツワイルは、現在は発展の初期段階にあるとしつつも、「われわれは生命の基盤となっている情報プロセスを理解して人類の生命活動プログラムを作り直し、事実上全ての病を撲滅し、人間の可能性を飛躍的に広げ、寿命を劇的に伸ばそうとしているのだ」(カーツワイル 2007〔2005〕:253)と述べている。

 また、N(ナノテクノロジー)革命については、「『N(ナノテクノロジー)』革命によって、この肉体と脳、そしてわれわれと相互作用している世界を──分子ひとつひとつのレベルで──再設計・再構築できるようになり、人間は生物の限界をはるかに超越できるだろう」(カーツワイル 2007〔2005〕:253)と述べている。

 そして、R(ロボット工学)革命については、今まさに起きようとしている最も力強い革命であると認め、「人間並みのロボットが生まれようとしており、その知能は、人間の知能をモデルとしながら、それよりはるかに優れている」(カーツワイル 2007〔2005〕:253)と述べている。

 さらに、それぞれのテクノロジーの前身が絡み合うことで、相互作用や無数のシナジーが生まれるとカーツワイルは考えた(カーツワイル 2007〔2005〕:87)。いわく、「たとえば、G(遺伝学)とN(ナノテクノロジー)とR(ロボット工学)の革命が絡み合って進むことにより、バージョン1.0の虚弱な人体は、はるかに丈夫で有能なバージョン2.0へと変化するだろう」(カーツワイル 2007〔2005〕:383)。そして、何十億ものナノボットが血流に乗って体内や脳内をかけめぐるようになり、体内で病原体を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素を排除し、他にも健康増進につながる多くの仕事をやってのける(カーツワイル 2007〔2005〕:383)。その結果、人間は老化することなく永遠に生きられるようになる(カーツワイル 2007〔2005〕:383)、とカーツワイルは説くのだ。

 カーツワイルは、このようなGNR革命が「特異点の黎明を告げるもの」(カーツワイル 2007〔2005〕:252)であり、それにより、「人間は生物の限界をはるかに超越できるだろう」(カーツワイル 2007〔2005〕:253)と述べている。

第3節 シンギュラリティの訪れる時期

 カーツワイルは、一〇〇〇ドルあたりのコンピューティング能力の成長、つまりはコストパフォーマンスの進化を計算し、「二〇四〇年中盤には、一〇〇〇ドルで買えるコンピューティングは10の26乗 cpsに到達し、一年間に創出される知能(合計で約10の12乗のコストで)は、今日の人間の全ての知能よりも約一〇億倍も強力になる」(カーツワイル 2007〔2005〕:150-151)と考えた。ここまでくると、確かに抜本的な変化が起きると予測し、こうした理由から、特異点──人間の能力が根底から覆り変容するとき──は、二〇四五年に到来するとカーツワイルは述べたのである(カーツワイル 2007〔2005〕:151)。また、彼いわく、「二〇四〇年代には非生物的な脳のほうが数十億倍もの能力を発揮するようになる」(カーツワイル 2007〔2005〕:501)。そして、「二一世紀末までには、人間の知能のうちの非生物的な部分は、テクノロジーの支援を受けない知能よりも、数兆倍の数兆倍も強力になるのだ」(カーツワイル 2007〔2005〕:19)。

 このように、カーツワイルは、非生物的な知能であるコンピューティングの能力が人間の全ての知能よりも約一〇億倍強力になる地点を計算によって求め、その帰結として、シンギュラリティの訪れる時期が二〇四五年であると予測したのだ。

第4節 シンギュラリティ後の未来

 カーツワイルの描くシンギュラリティ後の未来の主な出来事としては、「強いAI(人工知能)の登場」、「人体の拡張」、「非生物的な知能との融合」、「人間の脳のアップロード」、「完全没入型のヴァーチャル・リアリティの実現」がある。以下では、これら四つの出来事について詳しく見ていきたい。

第1項 強いAIの登場

 カーツワイルは、AI(人工知能)の特徴について、AIの学習速度は、通常の人間の学習速度よりずっと速く、機械の知能は学習した内容や知識をパターンとして共有できる(カーツワイル 2007〔2005〕:378)と述べた。そして、彼は、人間の知能を超える強いAIが登場すると考えている。いわく、「強いAIの登場は今世紀にわれわれが目撃するもっとも重要な変革だ」(カーツワイル 2007〔2005〕:378)。カーツワイルは、強いAIの特性について次のように述べている。

 強いAIはひとたび完成すれば簡単に進化し、その能力を倍加し続ける。それが機械の性能の本質だからだ。ひとつの強いAIが強いAIを多数、誕生させると、生まれたAIは自分の設計にアクセスし、それを理解し、向上させ、さらに高性能でさらに優秀なAIへとまたたく間に進化する。

 このように、カーツワイルは、強いAIがひとたび完成すれば、その能力を倍加し続け、新たな強いAIを生みだしていき、生まれたAIはさらに高性能でさらに優秀なAIへとまたたく間に進化すると考えている。

第2項 人体の拡張

 カーツワイルは、「わたしにとって人間であることは、その限界をたえず拡張しようとする文明の一部であることを意味する」(カーツワイル 2007:495-496)と述べている。また、彼いわく、「人類は、その生体を再生し補強する手段を急速に増やすことにより、すでに生物的な限界を超えつつある」(カーツワイル 2007:496)。

 たしかに、人類はテクノロジーを発展させ、治療による病気の克服や寿命の延長をはかってきた。しかし、カーツワイルは、それらよりも大きな変革を予測している。たとえば、カーツワイルは、ナノボットによる人体への変革を説く。彼によると、「ナノボットとは、分子レベルで設計された、大きさがミクロン(一メートルの一〇〇万分の一)単位のロボットで、「呼吸細胞」(人工の赤血球)などがある」(カーツワイル 2007:44)。

 そして、カーツワイルは、このようなナノボットが人体の中で無数の役割を果たす、たとえば遺伝子工学などのバイオテクノロジーで達成できるレベルを超えて加齢を逆行させるようになる(カーツワイル 2007:44)と考えている。さらには、ナノボットを体内に組み入れることによって、身体的特徴を好きなようにすぐ変えられるようになる(カーツワイル 2007:399)とさえ述べている。

 このように、カーツワイルはナノボットによる人体の拡張を説いた。その例としては、加齢の逆行や身体的特徴の可変がある。

第3項 非生物的な知能との融合

 カーツワイルによれば、「非生物的な知能が人間の脳にひとたび足場を築けば(すでにコンピュータチップの動物神経組織への移植実験によってその萌芽が始まっている)、脳内の機械の知能は指数関数的に増大し(実際に今まで成長を続けてきたように)、少なくとも年間二倍にはなる」(カーツワイル 2007:44)。また、彼いわく、これにたいし、生物的な知能の容量には実際的な限界があるため、人間の知能のうち非生物的な知能が、最終的には圧倒的に大きな部分を占めるようになる(カーツワイル 2007:44)。

 このように、非生物的な知能が脳に組み込まれることで、その知能は指数関数的に成長し、脳内における非生物的な知能の割合が人間の知能の割合よりも大きくなる、とカーツワイルは考えているのだ。これは、明らかに人と非生物的な知能との融合を説くものである。また、彼は、多数の知的ナノボットを脳に移植することにより、記憶力がはるかに増し、あらゆる感覚、パターン認識、認知能力もはなはだしく向上するようになる(カーツワイル 2007:409-410)ことや、人間の脳とコンピュータを接続することにより、数十年先には、両者がますます密接に融合するようになる(カーツワイル 2007:235)ことを予測している。

第4項 人間の脳のアップロード

 カーツワイルのシンギュラリティに関する主張の中で、おそらくもっとも議論を呼びそうなのが、「人間の脳のアップロード」である。この技術について、カーツワイルは次のように述べている。

 人間の脳をアップロードするということは、脳の目立った特徴を全てスキャンして、それらを、十分に強力なコンピューティング基板に再インスタンス化〔プログラミングにおいて新たなデータを取り込み直す〕することである。このプロセスでは、その人の、人格、記憶、技能、歴史の全てが取り込まれる。もしも、ある人物の頭脳プロセスを本当に取り込むのなら、再インスタンス化された頭脳には、身体が必要となる。なぜなら、われわれの思考の多くは、身体的なニーズや欲望に向けられているからだ。第五章で説明するが、人間の脳をその全ての細部まで取り込み再現するツールを手にするころには、われわれの知能を拡張し利用している非生物的人間、および生物的人間双方の二一世紀型身体が、豊富に用意されていることだろう。人間の身体バージョン2.0には、完全に現実的な環境における身体や、ナノテクベースの物理的身体、その他もろもろのラインナップが準備されている。(カーツワイル 2007:242-243)

 このように、カーツワイルは、人間の脳のアップロードによって、その人の、人格、記憶、技能、歴史の全てをコンピュータに取り込み、その中で用意された身体を用いることができると考えているのだ。また、彼は、脳をアップロードするために重要な脳の中で記憶の鍵となっている細部2)を取り込むためには、ナノボットを用いて脳の内側からスキャンする必要があると述べた。(カーツワイル 2007:244)

 カーツワイルは、このようなナノボットを用いたスキャンによって、移し換えが行なわれていく過程を次のように説明している。

 わたしの考えでは、アップロードのもっとも重要な点は、われわれの知能や個性や技能を、非生物的な知能へと、徐々に移し換えることだ。すでに、多様な人工神経装置の移植が実践されている。二〇二〇年代には、ナノボットを使って、非生物的な知能で脳を増強させるようになる。まずは、感覚処理や記憶といった「定常的」な機能に始まり、技能の形成、パターン認識、論理的分析に進んでいく。二〇三〇年代には、われわれの知能の中に占める非生物的部分の割合が優勢になり、二〇四〇年代には、第三章で述べたように、非生物的な部分の性能のほうが何十億倍も高くなる。ある程度の間は生物的な部分を保持しようとするかもしれないが、そのうちに、それはたいして重要なことではなくなる。そういうわけで、われわれは事実上アップロードされた人間になる。たとえその過程が徐々に進み、移管にほとんど気づかなかったとしても。(カーツワイル 2007:247)

 このように、カーツワイルは、人間の知能や個性や技能を、非生物的な知能へと、徐々に移し換えていくと、二〇四〇年代には、非生物的な部分の性能のほうが何十億倍も高くなり、われわれは事実上アップロードされた人間になると予測している。

 さらに、カーツワイルは、「非生物的存在になっていくにつれて、われわれは『自分をバックアップする』(知識、技能、性格の基本をなす重要なパターンを貯蔵しておく)方法を手に入れ、たいていの死因は取り除けるようになるだろう」(カーツワイル 2007:418)と述べている。つまり、カーツワイルは、アップロードが死を免れる手段であると考えているのだ。

 では、人間をコンピュータにアップロードして、その人の、人格、記憶、技能、歴史の全てを取り込み、その中でたいていの死を免れながら生きることができるという彼の主張は、どういったアイディアがその根底にあるのだろうか。そのアイディアは、「パターン主義」というものである。カーツワイルは、自身を「パターン主義者」と名乗り、情報のパターンこそが現実の根本であると考えている(カーツワイル 2007:10)。パターン主義とは、「自分は基本的に、一定時間、持続するパターンだと考える」(カーツワイル 2007:10)ことである。カーツワイルによると、たとえば、わたしの脳や身体を構成している粒子は数週間で置き換えられていくが、それでも、これらの粒子が形作っているパターンには継続性がある(カーツワイル 2007:10)。このように、カーツワイルは、人間の脳や身体を粒子のパターンととらえ、いずれこのパターンをアップロードし、自分の身体と脳を複製できるようになると述べたのである(カーツワイル 2007:511)。

第5項 完全没入型のヴァーチャル・リアリティ

 カーツワイルは、「フォグレットと呼ばれるナノボットは、イメージや音波を操作して、モーフィング技術を使って作成したヴァーチャル・リアリティを現実世界に出現させることができる」(カーツワイル 2007:44)と説いた。彼によると、脳内では、広範囲に分散したナノボットが生体ニューロンと互いに作用し合い、それはあらゆる感覚を統合し、また神経系をとおしてわれわれの感情も相互作用させ、完全没入型のヴァーチャル・リアリティを作りあげるのである(カーツワイル 2007:383)。また、このようなヴァーチャル・リアリティでは、「生物的思考とわれわれが作りだす非生物的知能がこのように密接につながることによって、人間の知能が大いに拡大する」(カーツワイル 2007:383)というのだ。そして、カーツワイルいわく、「ヴァーチャル・リアリティでは、人は、身体的にも感情面でも違う人間になることができる」(カーツワイル 2007:45)。さらに、「それどころか、他の人(ロマンスの相手など)が、あなたが自分のために選ぶ身体とは違う身体を、あなたのために選ぶこともできる(その逆もあり)」(カーツワイル 2007:45)とカーツワイルは述べた。

 このように、カーツワイルは、フォグレットと呼ばれるナノボットによって、現実の脳内において、完全没入型のヴァーチャル・リアリティを出現させることができるようになり、人間の生物的思考と非生物的な思考が密接につながって、人間の知能が拡大すると説いた。また、それに加え、このような環境では、人は、身体的にも感情面でも違う人間になることができ、他の人であっても、その人の身体を自由に選ぶことができる、と述べたのである。

第6節 カーツワイルのアイディア

 以上をまとめると、カーツワイルの描くシンギュラリティ像には、次のようなアイディアがあることがわかる。

アイディア① テクノロジーが人間性の粋とされる精巧さと柔軟さに追いつき、さらには抜き去り、人間の生活が後戻りできないようになる。

アイディア② 生物の思考とテクノロジーが融合する。

アイディア③ 生物的な身体と脳が抱える限界を超えることが可能になる。

アイディア④ 人間と機械、物理的な現実とヴァーチャル・リアリティとの間の境界線がなくなる。

アイディア⑤ テクノロジーの進歩と成長が指数関数的に成長し、さらにその成長率も指数関数的になっていく、という収穫加速の法則がある。

アイディア⑥ 「収穫加速の法則は、全てのテクノロジー、さらにはどのような進化のプロセスにも当てはまる」(カーツワイル 2007〔2005〕:87)。

アイディア⑦ 収穫加速の法則により、テクノロジーの成長率が急速に上昇し、ほとんど垂直の線に達する地点がシンギュラリティと呼ばれる。

アイディア⑧ GNR革命によって、人間が生物の限界をはるかに超越できるようになり、シンギュラリティが訪れる。

アイディア⑨ G(遺伝学)革命によって、事実上全ての病が撲滅し、人間の可能性が飛躍的に広がり、寿命が劇的に伸びる

アイディア⑩ N(ナノテクノロジー)革命によって、身体と脳、そして人間と相互作用している世界を──分子ひとつひとつのレベルで──再設計・再構築できるようになり、人間は生物の限界をはるかに超越できるようになる。

アイディア⑪ R(ロボット工学)革命によって、人間の知能をモデルとしつつも、それよりはるかに優れたロボットが生まれる。

アイディア⑫ G(遺伝学)とN(ナノテクノロジー)とR(ロボット工学)の革命が絡み合って進むことにより、互相作用や無数のシナジーが生まれる。たとえば、何十億ものナノボットが血流に乗って体内や脳内をかけめぐるようになり、体内で病原体を破壊し、DNAエラーを修復し、毒素を排除し、他にも健康増進につながる多くの仕事をやってのける。その結果、人間は老化することなく永遠に生きられるようになる。

アイディア⑬ 非生物的な知能であるコンピューティングの能力が人間の全ての知能よりも約一〇億倍強力になることで、二〇四五年ごろにシンギュラリティが訪れる。

アイディア⑭ 人間を超える強いAIが登場し、それは能力を倍加し続ける。

アイディア⑮ 強いAIは、新たな強いAIを生みだしていき、生まれたAIはさらに高性能でさらに優秀なAIへとまたたく間に進化する。

アイディア⑯ 加齢の逆行や身体的特徴を好きなようにすぐ変えることが可能になる等、人体の拡張がもたらされる。

アイディア⑰ 非生物的な知能と融合することにより、人の能力が拡大される。

アイディア⑱ 人間の脳はそれを構成する粒子のパターンであり、それをコンピュータにアップロードすることにより、その人の、人格、記憶、技能、歴史の全てが取り込まれる。

アイディア⑲ アップロードによって、われわれの知能は非生物的な知能へと徐々に移し換えられていく。

アイディア⑳ 死に関する制約が取り払われる。

アイディア㉑ 完全没入型のヴァーチャル・リアリティが現実の脳内において実現する。

アイディア㉒ ヴァーチャル・リアリティでは、人間の生物的思考と非生物的な思考が密接につながって、人間の知能が拡大する。

アイディア㉓ ヴァーチャル・リアリティにおいて、人は、身体的にも感情面でも違う人間になることができ、他の人であっても、その人の身体を自由に選ぶことができる。

第6節 本稿の意義・目的と先行研究における位置づけ

 以上のように、カーツワイルは、シンギュラリティという概念によって、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような未来を描いた(カーツワイル 2007〔2005〕:16)。その未来では、強いAI(人工知能)が登場したり、人体が拡張されたり、人と非生物的な知能が融合したり、人間の脳がコンピュータ基板にアップロードされたり、現実世界でヴァーチャル・リアリティが実現したりする等の出来事が起こる。その結果、人は知性を得たり、不死の身体を手に入れたり、姿を自由に変えられたたりするようになる。

 このようなシンギュラリティの思想の系譜は以下のような系譜をたどる。すなわち、サイバネティクスがシンギュラリティの源流であり、サイバネティクスの発展に貢献したジョン・フォン・ノイマンがシンギュラリティをはじめて提唱し、それがヴァーナー・ヴィンジによって発展し、カーツワイルへと受け継がれていったのだ。

 そして、人が知性を得たり、不死の身体を手に入れたり、姿を自由に変えられたたりするようになるといったカーツワイルの楽観的な未来観、つまりシンギュラリティは、シンギュラリタリアンと呼ばれる人々の支持を集め、信仰化されていった。シンギュラリタリアンたちは、シンギュラリティが2045年ごろに到来すると信じ、シンギュラリティ大学と呼ばれる学校を設立し、シンギュラリティの到来に向けて、テクノロジーの発展を進めようとしている。

 本稿の目的は、このようなシンギュラリティの思想の系譜をたどることによって、新たな宗教、信仰としてのシンギュラリティの特徴を示すことである。

 本稿で論じるようなシンギュラリティの思想の系譜を客観的に分析した研究や、シンギュラリティを新たな宗教、信仰としてとらえるような研究は、これまで十分になされてこなかった。西垣通は、シンギュラリティがユダヤ=キリスト教の一神教文化を背景としていると論じているが、その系譜や宗教性についてはほとんど注目していない。また、マレー・シャナハンは、シンギュラリティを、「実存」という言葉のより哲学的な意味において、実存の好機であるととらえ、もしいかなる損傷をも修復できて、最終的に、おそらくは非生物的な気質を用いて、生物的な実存をゼロから再構築する手段を獲得すれば、意識の無限の拡張を阻むものは何もなくなると述べた(シャナハン 2016:9-10)。しかし、シンギュラリティの宗教の性質についてはほとんど注目していない。そして、ソニア・アリソンは、「トランスヒューマニズム」は死も含めて人間の生物学的限界を超えるためにテクノロジーが利用されるのを期待する運動であると述べ、カーツワイルが出した数冊の著書を「トランスヒューマニズム教」における宗教テキストであると見なした(アリソン 2013:245-246)。しかし、宗教とはどのようなものであり、どういった宗教性がシンギュラリティに見られるかについてはほとんど踏み込んでいない。そして、ジャン=ガブリエル・ガナシアは、大企業がいくらかの費用を使って、シンギュラリティを宣伝しており、ハイテク企業の経営者たちはテクノロジーの改善をする必要がなく、何が起ころうともテクノロジーの側で改善に向かってくれると主張することで、自らの責任を回避していると述べた。(ガナシア 2017〔2017〕:154-156)しかし、シンギュラリティのもつ宗教性についてはほとんど踏み込んだ議論をしていない。

 一方で宗教社会学の分野では、伝統的な宗教が影響力を失っていくという世俗化論の文脈の中でスピリチュアリティ研究やトーマス・ルックマンの言うような「見えない宗教」論において現代社会における新たな宗教性についての議論がなされてきた。島薗進によれば、「世俗化」とは、「本来、聖なるものとして俗なるものから切り離されてあるべきものが、俗なるものにまみれてしまうこと」(島薗 2012:10)、あるいは「宗教的なものとして威力をもっていた思想や観念が、宗教色を失って世俗的な観念に形をかえること」(島薗 2012:10)によって、「主にその社会のなかで(いわゆる伝統的な意味での)宗教がもつ影響力が次第に縮小していく」(島薗 2012:10、括弧内筆者)ことを指す。そのような意味での世俗化をふまえて、彼は現代社会に特徴的な宗教性としてスピリチュアリティに注目する。たとえば、島薗は「社会の個人化が進むが、その個人が世俗主義に安んずることができずにスピリチュアリティへと向かっていく」(島薗 2012:141)と論じている。伊藤雅之もスピリチュアリティについて論じており、それを「おもに個々人の体験に焦点をおき、当事者が何らかの手の届かない不可知、不可視の存在(たとえば、大自然、宇宙、内なる神/自己意識、特別な人間など)と神秘的なつながりを得て、非日常的な体験をしたり、自己が高められるという感覚をもったりすること」(伊藤 2003:iii)ととらえている。それに対して、ルックマンは、従来の伝統的宗教のような制度的に特殊化された宗教ではない、新たな形の宗教が現代社会に生まれていると論じ、そのような宗教を「見えない宗教」と読んだ(ルックマン 1976〔1967〕)。

 また、アンソニー・ギデンズは、われわれは「専門家システム3)」を信頼しており、それは一種の信仰であると述べた(ギデンズ 1993〔1990〕:44)。科学に対する信仰の一形態であるシンギュラリティ信仰も専門家システムに対する信仰の一形態であり、伝統的な宗教の一形態でない新たな形態の宗教性として位置づけられる。

 しかし、特定の科学思想に対する信仰を宗教の新たな形態としてとらえるような研究は十分に行われていない。本稿では、シンギュラリティの思想の系譜を客観的に分析することにより、それを新たな宗教、信仰としてとらえることによって、それが新たな宗教研究の対象になりうることを示そうと思う。これが本稿の意義と目的である。

脚注

1)レイ・カーツワイル 『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』 井上健監訳、NHK出版、2007年。

2)カーツワイルによると、「シナプスの中で記憶の鍵となっているのは、神経化学物質であるアクチン分子がとる位置と、プリオン様のCPEBタンパク質分子の形だということが明らかになりつつある」(カーツワイル 2007:244)。

3)ギデンズによると、「専門家システムとは、われわれが今日暮らしている物質的社会的環境の広大な領域を体系づけている、科学技術上の成果や職業上の専門家知識の体系のことをいう」(ギデンズ 1993〔1990〕:42)

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