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炭酸(短編小説)

進む。視界が進む。
 それは、体全体が動いているから。
 頭から体から足へ 順に力を込めて、全体が前へ前へ倒れ動いたので、結果、私は歩くという動 作を行ったことになる。
 しかし、それは必然ではない。 私とは関係のないは ずなのだ。 私は何をされているというのだろうか。一体、何に向かっているのだろうか。

また歩く。
今度は右ではなく左へ重心を寄せることで歩くという動作を行う。
歩く、歩く。
私はもうひたすら歩き続けてきた。これらの行為によって、 私の魂は私の体は、いや、私の魂の入れ物は、謂わば肉塊は勝手に前へ動かされる。この流れはひたすら繰り返されてきた。
あぁまだ続くのだろうか。
本当にこの行為に何があるというのだろうか。
自動運転は、いつ手動運転へ と切り変わるのだろうか。

私の意思とは無縁の行為はまだ続く。

私は、ただひたすらに歩かされ続けていた。 これからも、いや、これまでも。
 視界の前方に広がる暗闇は、行為を行うに従って深くなり、街灯が唯一 の灯りとなってきている。この街灯でさえ、いつ私を見離すかなど予想もつかない。この舗装された安全とされてきた道でさえ、まだまだ先がある、なんて安心出来る訳がない。これらの行為だって、私の意思は永遠に介入でき ないままなのかもしれない。
 いつか、終わりが来るなんていうけど、それは いつかなんてわからない。 それでも皆、先があると信じるではないか。 その瞬間は今かもしれないというのに。もうすぐなのかもしれない。もう消える のだ。そんな予感がしてならない。消える、消える。いや、これは私の現在 に対する願望か。

 もし消えたら私は、私という存在はなくなる。しかし、それも果たして安心できるのだろうか。 それは私の願っている答えなのか。
 この問いに答えは、 あるのだろうか。 恐らくまだこの先もこの行為は続けられるのであろう。

私が私でいる限り。

  気づけば、靴底もボロボロに、パカッパカッ狂気の悲鳴をあげている。この靴もまだ買ったばかりじゃないか。一体、私にどうしろというのだろうか。 反抗期に入ったとでも言いたいのか。
 私の靴の叫びは、私の苛立ちをさらに 加速させる事にしかなり得なかった。それでも、私の靴の叫び続けている。

「助けてください。お願いです。 もう私の体は只の皮でしかなくなろうとし ています。貴方様のその足で私を踏みつけるのをどうかお止めくださるよう お願いできないでしょうか。私は早く楽になりたいのです。もう限界です。 そこらに、脱ぎ捨ててもらえませんでしょうか。私はまだ若き者ですが、も う散々痛め付けられてきました。どうかお助けを。」

私は無視したかった。それほどに、どうにもならない程に私は私であるが、 私でなかった。
 そして、私の行為は私であるが私の意思での行為ではない。 だから、救いようだってないではないか。もうこれは、必然だ、現実だ。 仕方ないじゃないか。そう思う事にしたかった。 それでも五月蝿い程に私の耳元にその叫びは流れだす。

「助けてください。どうかお助けを。」

五月蝿い。五月蝿い。
 もう知らないのだ。夏の選挙カーとなんやら変わらない、あのどうでもよい感情にしかなれない。たとえ、私がどうなろうと私はもう関係ない。 どうにでもなってしまえばいい。そう思いたい。そして、私 は、私では歩く流れは止められない。

しかし、私は一瞬だけ、歩きながらもその靴たちを道端に蹴り捨てる事に 成功した。遠ざかる靴たちの声が後方から聞こえてくる。

「ありがとうございます。 これで私たちは楽になれます。 ありがとう。」
 なんという皮肉だ。私は楽になどなれないというのに。この行為もまだま だ続くだろう。
 「くそ、なんという目障りなやつだ。」苛立ちは益々加速し ていった。

 長年積もりに積もった汚れの大衆の上を今度は布切れ一枚で歩かされる事になってしまった。先程よりも感触がリアルに直に伝わってくるようだ。砂利たちのチクチクした感触が足裏から体内へ侵入し私の脳内に介入してくる。 どうも私を嘲笑っているようにしか感じられない。どんどん、どんどん大きく私の痛覚を刺激する。

ついに、そいつらは私の救いの一枚の布を破り私、本体へと到達した。 「あーあ、もう到達しちまったぞ。」

そう言っているようだった。

「さてこれからどうしようか、こんな易々と散ってしまう肉塊など面白みも ないだろうな。」

そうさ、私には面白みもなければ何もない。

何ももっていない。

価値など 最初から用意されていない。 残すべきものさえないさ。 そいつは私の皮膚、 と呼ばれるその皮をびりびり破り去り、赤く腫れ上がり隆起させている私の 肉に裂け目を負わせた。 もう痛みなど感じられるような余裕はなかった。どろどろになった私の魂の源たちは、解放されたかのようにその裂け目から真 っ赤に溢れだす。 必然と足元は真っ赤に染まっているのであろう。
  私はこの 真っ赤に腫れ上がった肉塊を、なんとかそいつらの事にも無視をするよう努力した。どうせこの行為は止まらない。苛立ちからか、この行為も段々、苦 ではなくなってきているようだった。
 なんなら今すぐにでもこの足、と呼ば れる私の胴体、と呼ばれる部分より延びでている肉塊を切り離してしまって もよい。それこそ、切れ味の悪い、錆びたノコギリのようなもので、ギコギ コ切ってしまってもよいのだ。それでも私は歩き続かされるのであろう。もう歩かされることしか、私には出来る行為がない。歩かされ続けられなければいけない。

また気づくと、私の背中、腕、そして首元には沢山の不気味な生物が私の体を遊園地とでもいうように、楽しげに這いずり回っていた。
 背中は多くの ムカデたちが。有り余る程にヌメヌメと、そしてギザギザとした足たちで、あちらこちら移動している。そして、私の肉をご馳走とでもいうかのように 楽しげに食いちぎっていた。
 腕には黒光りする素早い大きな虫が私の腕を棲 み家にしようと、上京したて学生のように忙しなくしている。
 首元にも何か いるが、何かなのかはもうなんだかわからない。
 でも、私にはもうどうだっ ていいのだ。私は歩かされ続けなければ。 まだまだ続くこの欲望渦めく汚れ た砂利たちの上を。

しかし、ふと思った。
  よくよく考えるとこれは全て幻想なのかもしれない。 だって私は痛いと感じていない。 それに、こんなにも沢山の昆虫が集まるこ となんてそうそうない。しかしそれにしては現実身を帯びていたが。 そして、 色々考えられたが結局、それもどうでもよいことなのだ。ここが幻想の世界 だろうが、現実の世界だろうが私には一切関係ない。
私は歩かされるのだ。
幻想に見えてるこの視界、つまり眼球だって嘘かも知れない。そう思うと一 層怪しい。この眼球が私を騙しているのかもしれない。目に写るもの全てが本当に真実なのかなんて、絶対わからないし信用などできない。見えている と感じているのは全て嘘かも知れないのだ。だってそこには私の意思はない。

 もういてもたってもいられなくなり、私は私の両手で私の両目へと近付け ると眼球に触れた。視界は暗くなる。 より暗闇へと近づいていく。

そして、

どんどん奥へと押し込んでいく。 これが本当の暗闇かもしれない。あぁ暗いぞ。これまでの暗さは嘘だ。 ウソっぱちなのだ。 これが本当に暗いという事なのだ。やはり、騙されていたのだ。

「あの、ちょっとお伺いしたいのですが。」

突然後ろから話しかけられた私は、はっとなり後ろを振り返った。警官と 思わしき男性がこちらを覗きこんでいる。まるで何か物騒な物を見たかのよ うな怪訝な顔で。

「えーと、なにをしてらっしゃるのですか。」

目の前の男性が尋ねる。 私は身動きがとれなかった。 そして、何もできずにただ立ち止まり下を向いたまま黙ってしまった。気づけばあれだけ歩かされ続けたはずなのに、私はこうも簡単に止まっているとは。一体なんだった というのだろうか。 これまでの行為はやはり無駄の繰り返しだったのか。 私 の唯一の行為になりつつあったのに、私はもうそれさえも出来なくなってし まった。本当に私には何も残ってないではないか。 あぁもう私は失格だ。 あ あ失格だ。失格だ。

「あの、きいてます?」

私はその言葉を無視したまま、ひたすら天を仰いだ。 どうやら今夜は、月 一つ見受けられないない空だった。 誰も存在しないのだな、そちらの世界には。

「なにか証明できるものあります?免許証とか」 男性が尋ね続ける。私には、もうこの場から去らねばいけない気がした。 私はその使命のようなものを感じた。だって、私に私の証明など出来るものがあるはずがない。これまでそうだったではないか。 だから、常に私は存在 しているようで存在していない。私が私で存在している事を何で証明すると いうのだ。私があろうがなかろうが、この世界は何も困らない。
   しかし、だからといって私がこのままこの世界に存在するにはもう期限がきているようだ。恐らくこの目の前の警官のような格好した男性の正体は、本当の姿は、 私に伝言を伝えにきた神の使いなのだ。
  そうだ、私はもっと早くに私を消し 去らなければならなかったのだ。いや、ここに存在することさえいけなかっ たのだ。
そうだ。 そうに違いない。
私は体に着ているもの全てを捨て去った。 そして、皆が大事としているから持っていた財布やなにやらすべてをその場で捨て去ると、私は今度は走った。
今までよりもより前だけをみてひたすら に走った。これまでは歩かされ続けてきたが、もうその時間ではないのだ。 今度は自分の意志で走るのだ。
つまり、歩くよりも高度な技術を自分の意思で行っているのだ。もう私は自動運転される只の肉塊ではない。やっと手動運転に切り替えた。あのスポーツカーと同等の存在なのだ。

走っているうちに私は、体がだんだんと宙に浮いてきていた。非現実的で あったが、何故かそれは、必然のように私の中ではすっと入り込み違和感は 一切なかった。しかし、まだ数ミリ程度だ。そのうち私の意思が強くなれば、 これも段々と登れるはずだ。 あの世界に私は行くのだ。 あぁ私は、私はやっ とこの呪縛から解かれる時がきたんだな。私は解放されたのだ。

一センチ程浮きながら走っているうちに、目の前には、大きな眩しい程に 明るい光が見えた。 それは、段々こちらへと近づいてくる。どうやら、あの 誰もいない世界へのお迎えもきたようだ。あぁ最高だ。

(おいおい、まじかよー)

(終電前なのに人身事故だってよ)

(ないわー)

(俺、今日いつもより早く帰れる日なのに)

(他でやれってよな)

  俺はいつものようにsnsをみていると、こんなのが流れてきた。都内に住んでいるとよくある、いつものありふれた日常である。もう沢山の似たようなお知らせを見てきて、そろそろ見飽きた頃でもあった。
  なんだかさっぱりした かった俺は、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取ると、ぐいっと飲んだ。

あぁ最高。

  俺はまたベットに潜り、 snsの世界へと入った。 どうせまた同じ日常が始まるのだ。飲み残したテーブルの上の缶ビールは、シュワシュワと音をたて て、炭酸が缶から消え去っていっていた。

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