質(たち)の悪い新たな焼け野原

敗戦直後の焼け野原

 今から74年前の8月15日、日本は終戦、否、敗戦を受け入れ、長く続いた国家総動員体制での戦争が集結した。原爆が投下された広島・長崎は言うまでもなく、東京大空襲(一度ではなく何度もあった)のあった首都・東京、そして大阪や名古屋の様な大都市だけにとどまらず、地方都市にも米空軍の焼夷弾や爆弾が雨あられの如く落ちた。富山や青森の空襲が特に有名である。

 一方沖縄では、米軍との唯一の地上戦が発生し、軍人・軍属以上に地元の数多の住民が犠牲になり、そして戦火で荒れ果てた本島を中心としてアメリカに占領され、それが1972年まで続いた。更に、本土復帰後も未だにその構造が根本的に変わった訳でもない。

 それらの結果として、多くの地域が文字通り焼け野原になった。無論焼け野原にならなかった地域でも、敗戦後は生活物資が極端に乏しく、人々は日々を生きることに必死にならざるを得なかった。焼け野原であれ既存の町並みが維持された地域であれ、日本からはあらゆるものが敗戦により喪失していたという訳だ。

 戦争に負け、多くの同胞が死に(言うまでもなく、日本によって多くの『他者』も死に、傷つけられたが)、何もかも失った日本だったが、そこから奇跡的な復興を遂げることになるとは、敗戦からしばらくの間、どれだけの人が想像出来ていたのだろうか? 

 焼け野原状態の日本は、やがて冷戦構造・朝鮮戦争特需などの外的要因を活かし、それが高度経済成長へと結び付き、東京五輪特需、大阪万博特需、ベトナム戦争特需を経て、経済大国への道を突き進むことになる。その要因としては、日本人自身の努力や戦時中の軍事技術への集中投資なども絡んだと言われているのだから、単なる幸運でなかったことも事実である(と思われる)。だが、あそこまでの奇跡的復興は、どう考えても幾つもの外的要因抜きには語れまい。いずれにせよ、現在の先進国である日本の姿からは想像不可能な光景が、『たった』74年前に日本の至る所で見られたのは史実でしかない。

 しかしながら、一見この焼け野原とは程遠い現在日本社会は、果たして本当に敗戦時の混乱や喪失(これらをまとめて『焼け野原』と取り敢えず定義する)とは無縁の社会なのだろうか? おそらくそれなりの数の人が考えている様に、個人的にもどうもそうは見えないどころか、むしろその当時より質(たち)の悪い焼け野原が広がりつつあるのではないかという懸念、否、確信を持っている。

敗戦時の焼け野原に隠されたメリット

 ここでまず、敗戦による焼け野原状態にも、戦争による破壊というわかりやすい悪影響に対し、真逆の好影響があったことに言及しておく必要がある。

 まず挙げられるのは、日本における戦前の体制の中の悪習そのものがぶっ壊された(抽象的な意味での『焼け野原』)という点だ。具体的には天皇主権から国民主権へ、人権並びに社会権の強化、財閥解体、農地改革と言った、敗戦によるGHQ関与の強制的な体制変換である。戦前、日本が挙国一致で軍国主義・全体主義化し、最後には暴走させた要因となったシステムが敗戦により転換を余儀なくされた。

 無論、戦前のヒエラルキーやエスタブリッシュメントが完全に入れ替わった訳ではない。ただ確実にその効力は戦前よりはかなり弱まっていたと言えるはずだ。また多くの都市部の富裕層が、文字通りの焼け野原で資財を失い、戦後のハイパーインフレや預金封鎖で強制的に貧困化したという状況も、これらの法制的なシステム転換とは違う、本来の焼け野原状態により発生していたと言えよう。地位や出自に拘らず、ほぼ全員がゼロからやり直さざるを得なかった。逆に言えば、皆が平等に「持たざる者」となり、戦前とは違う意味で一丸となって復興を目指したという構図である。

 これらを踏まえれば、戦前のシステムの多くが『焼け野原』になったことで、日本はシステム的に再出発と再生が容易になった側面が否定出来ないということなのだ。日本人の気質から言って、あのような「ショック療法」でもなければ、おそらく悪弊は長期間維持されたままだったのではないか? そう考えると、本来不必要で多大な犠牲を払ったが、日本を『良い方向』へ導くという視点から見れば、どうしても必要な『焼け野原』だったと言えなくもない。

 一方、物理的・具体的な意味での焼け野原は、戦前の町並みを強制的に破壊したので、それにより日本の無秩序的な街作り(城下町など、ある意味故意に街並みが複雑になってしまった地域が、明治維新を経ても江戸時代から長らく維持された側面がある)を変える都市計画が容易になった側面がある。

 具体的には、中心部が焼け野原になった名古屋が挙げられるが、直線的な区画や広い道路などの造成がやりやすくなった。だが、特に東京などは多くが焼け野原になったにも拘らず、むしろ戦後の混乱のまま街作りがなし崩し的に始まり、この皮肉なメリットが全く上手く活かせなかった地域も多い。

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戦後から今に至る日本の状況

 ここで話を元に戻して、現在社会に広がりつつある新たな『焼け野原』について考えてみよう。

 戦後、破竹の勢いで成長してきた日本も、バブル崩壊後の30年弱で、急激にブレーキがかかったどころか、むしろ衰退しつつあるように見える。但し、ここで注意しなくてはならないのは、直接的なバブル崩壊自体は1990年頃であるが、実体経済に影響が出始めたのは、実際にはそれから数年後(バブル文化の象徴とすら言われるジュリアナ東京は、実は1992年~1994年の営業)であり、特に大きな影響が出たのは1997年頃からという、タイムラグがかなりの期間あったことだ。この間、日本の経済成長は阪神大震災などを経験して停滞しつつも、持ち直す可能性は十分にあると言われていた。実際、データ上日本の世帯収入のピークは1996年頃と言われている。

 ところが、橋本内閣での消費税の3%から5%の、たった2%のアップが、いよいよバブル崩壊の本格的悪影響を顕在化させ、ほぼ同時に本格的な不良債権問題、金融不安問題が発生した(1995年の段階で、いわゆる「住専」問題も起きていたが、山一・拓銀ショックの97年以降と比較すれば、まだそれほど深刻視されていなかったのも事実)。

 そこから日本はいよいよ戦後初の本格的な不況期に突入し、いわゆる「氷河期世代」もこの時代に生まれた。この時代の余波は、20年後の現在日本にも悪影響をもたらしていると断言してよい。

 その後は「これではいけない」という、政官財どころか国民を巻き込んだ危機感からか、「自民党をぶっ壊す」「既得権益をぶっ壊す」と標榜した小泉政権が誕生し、聖域なき構造改革により、多くの行政機関が民営化されたり、或いは民間の手法が導入された。

 その最たるものが、郵政民営化や大学の独立行政法人化であったことは、誰もがよく覚えているだろう。行政改革や民活導入という類の言葉は、小泉政権以前の自民党政権から唱えられていたが、ここまで本格的に採用され始めたのは、政商・竹中平蔵を擁したこの政権からである。

 そして構造改革、規制緩和路線で忘れてはならないのが、いわゆる派遣労働の拡大である。要らなくなったらクビを切れる労働者の枠が格段に増えたのもこの時期だった。しかしながら、多数の日本人はこれも含め小泉改革に酔い、取り敢えず「これまで通りでは仕方ないので何か変えよう」というアテなき冒険路線へと踏み出した。同時に大企業優先の税制や政策も積極的に導入された。これらの改革によりもたらされたものは、大企業はバブル経済時期以上に儲かり、企業、個人の経済格差が上下に急拡大したことであった。

 戦後の日本経済においては、バブルまでは儲かった大企業が労働者や下請け企業にその利益を還元するという形で、厚い中流階級が出来上がり、彼らが消費することで、厚い内需も出来上がるという好循環があった。

 当時の「自分は中流」という「横並び」意識に対する、総中流意識批判は、今思えば、誰もが平凡だが幸せなライフスタイルを想像出来たという点において、実は大変ありがたかったのであるが、当たり前と思っていることはぞんざいに扱われるのが常である。今や一生懸命働いてマイホームを購入し、子供を育て、退職後は豊かとは言えなくても悠々自適という将来像を描くことは、普通に就職していても難しくなりつつある。それどころか働いていても日々の生活に困窮する人(いわゆるワーキングプア)も多数出てきているのが現実だ。経済的理由で教育をまともに受けられない層も出て来ている。

 さて、日本における嵐の様な小泉改革の後、世界は複雑化しすぎた金融商品の破綻によるリーマンショックに見舞われた。この時、日本はバブル崩壊後と違い金融不安は全く発生していなかったにも拘らず、経済構造が外需頼みの傾向を強くし、内需が既に弱小化していたことから、震源地のアメリカ以上に不況に陥るという皮肉な状態だった。小泉改革は、当時のアメリカの好況により日本企業の経営状態が良かったことも支持される要因だったが、日本経済の基礎構造も弱体化していた為、外的要因のみの不況ですら影響を多大に受けやすいという弱点が如実になったのである。

 その後はリーマンショックによる自民党政権への不信、そしてそれにより誕生した民主党政権の迷走や東日本大震災を主な震源とする崩壊、復活した安倍自民党政権の長期君臨と移ろい行く。

 この間、アベノミクスという大規模量的金融緩和や、年金や日銀資本の投入などで株価暴騰や大企業の利益増強はあったものの、いわゆる庶民にはほとんど恩恵がないどころか、更に上下に格差が広がる社会が再び顕在化している。安倍政権下では労働人口の増加や就職率は高いと言われるものの、その多くが低所得(実際世帯所得は20年前より低い)である。そもそも2007年問題が、団塊世代の退職後の再就職とその後のセカンドリタイアにより2012年問題と化したことで、その穴埋めと若年層の急激な減少を以て就職率が高くなっているに過ぎないとも言われている。

現代社会における焼け野原とは

 とは言え、敗戦後の焼け野原から、紆余曲折あったにせよ、今の日本が未だに経済大国であり文明先進国であることは紛れもない事実だろう。しかしながら、バブル崩壊後の日本の停滞が、精査無き変化への欲望を増長させ、挙げ句の果てに不必要、或いは丁寧に対応すべきだったシステム変革を強引に進めて、一部を除いた社会全体が混乱・衰退しつつあるのもまた事実だ。それを社会的な『焼け野原』が視野に入ってきたと言い換えることも可能だろう。

 敗戦後の『焼け野原』は、皮肉にも外圧を利用した、国民全体の為のドラスティック且つ必要不可欠な改革を可能にした。それに対し、バブル崩壊後の緩慢な衰退は、やる必要のない或いはやり過ぎた改革をもたらした側面(こちらにも外圧の影響はあった)があり、それがむしろ戦前の貧富の差が大きい状況を日本に再現するという、まさに『逆コース』を辿っているという構図が見えてくる。貧富の差が大きく身分制の色濃い社会は、戦後総中流意識が高い社会だった日本から見れば、ある種の焼け野原とも言えよう。

 当然ながら、改革が間違う、或いは修正が必要になるケースはよくあり、その都度是正すればいいのだが、残念ながら戦前同様、日本文化の悪弊が変えなくて良いものを変え、変えるべきものを維持するという弱点に嵌まり込んでしまっている。戦後システム面の焼け野原が、「やり直しの希望もある」『焼け野原』だったのに対し、今現在広がりつつある『焼け野原』は、むしろ絶望の縁に立たされた焼け野原なのだ。

 一方で、本来の意味での焼け野原も違った形で再現されつつある。戦後すぐの焼け野原が一面何も失くなった焼け野原だったのに対し、今度の焼け野原は、むしろ在り過ぎる焼け野原であるという大きな違いがあるが……。

 それはつまり、人口減少社会、衰退社会に伴う住宅やインフラなどの建築・構造物の劣化である。既に日本の人口が集中する首都圏ですら空き家問題が発生し、古くなった住人の居ない住宅の倒壊危険性などが顕在化している。更に全国の橋や高架、水道管などの設備も劣化し更新時期を迎えているが、人員も資金も足りていないので、劣化進行が止まらない。

 言わば、モノ自体が消え失せた訳ではないが、そのモノが持つ本来の存在価値たる機能面が劣化消失しつつある焼け野原が、現代日本を覆いつつあるのだ。しかも質(たち)の悪いことに、戦後の焼け野原は何も失くなったが故に、そこに新たな構築物を建てたり再建することが容易であったのに対し、今度の焼け野原は、再建・再構築するために、一度存在している構造物を物理的に破壊する(完全な意味での焼け野原にする)必要性すら生じるという皮肉である。それにすら人員も資金も必要になる。ほとんど何の生産性もないことに対しての労力と対価を要するのだ。つまり、70年以上前の焼け野原の方が遥かに対応しやすい現実がある。

 しかし、その現実を無視するかの如く、必要以上に高く維持管理が難しいタワーマンションなどの高層建築物が、無秩序に今も増え続けている。これらも近い将来負の遺産として、人口減少・高齢化・経済衰退化した日本社会に襲いかかる可能性が高い。そういう意味で、この進行しつつある焼け野原からの再度の復活は、体力が失われつつある日本にとって相当厳しいと言わざるを得ない。

現在の焼け野原を脱することの難しさ

 いずれの現代日本社会における焼け野原も、戦後の焼け野原とは様相を異にするものだが、簡単に考察するだけでも、あの一見絶望の中の焼け野原より、ある種の質の悪い焼け野原状態に陥りつつあると言える。更に紙幅の関係上、ここでは書かないが、倫理面や教育面、企業の開発力、大学の研究力などもある意味焼け野原状態に陥りつつあるだろう。

 我々が直接的に目にしている社会は、敗戦直後の焼け野原と違い、遥かに文明化されて華やかであるが、抱えている内情を見ればかなり厳しい部分が多い。これまで見てきた通り、今度の焼け野原において復興するには、方向性が逆であったり障壁が高いからだ。

 山火事の後、新たな植物が芽吹くのが普通だ。それまで成長しきった植物が火災で灰となり、養分として新たな植物の成長を促し活性化する。日本の敗戦も、悲惨な状況ではあったが、新たな社会を構築する上で大きな役割を果たしたのだから、あの焼け野原は山火事の結果の養分が詰まった大地だったと言えなくもない。

 しかし今我々の社会が直面しつつある焼け野原は、どうも養分どころか不毛の大地になりかねない様相を呈しているかもしれない。社会が衰退し、格差が拡大し、社会的ヒエラルキーが固定化した社会は、一部の発展途上国に見られる様に、健全に成長していくビジョンが見えづらいからだ。この構図を打破するために、再び戦前と同じ愚を繰り返すことは選択肢としてあり得ない以上、我々が取るべき態度は1つしかないのだが、現在の世情を見る限り、その希望は微かにも見えてこない。


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