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人生を楽しむこと

英語教室の仕事でよく小学生に何をしている時が幸せ?なんでもしたいことが出来るなら何をしたい?という質問をします。かなり無責任な突拍子もない質問だと思うけれど、要は何をしたいという文をたくさん作れたらしたいことを表現できるようになるだろうから将来的に使えるように、という意図です。

少し前はゲームしたい、という答えがよく出ました。今はダントツで寝たい、休みたい、何にもしたくない、が出ます。

あらあら。

みなさんおつかれ。

では自分はどうか?

一日中何もしないで過ごすつもりでもニ時間も我慢できません。ゲームもせいぜい一時間くらい。目が疲れてへとへとになります。因みにゲームはきらいではありません。寝るのはすぐに背中や首が痛くなりゴソゴソ起きだします。

小学生に戻ることはできませんが、小学生の時の自分は何が好きだったか?もはや思い出すこともあやふやな記憶ですが、たぶん家で本をゴロゴロしながら読んでいるばかりだったと思います。

なぜか?

楽しいことを他にあまり知らなかったからだと思っています。例えばサッカーの試合があると我が家のそばに通っている京王線にはユニフォーム姿で興奮した人々がそれはそれは楽しそうにまだ余韻に浸ったままでいるのが感じられます。たぶんサッカーの楽しみ方を良く知っているのだと思うのです。最近興味が湧き始めたバレエの演目にはクラシック音楽が使われていますが、あれ?こんなふうに踊るんだ、と分かると音楽も2度目の楽しみ方ができるような気がします。そういえば、音楽などは①知らない曲を聴くたのしみ、②何回か聞いて細かいところを分析していくたのしみ、③違う演奏家を比べて聴くたのしみ、などそれぞれだけど知れば知るほど楽しみが増えるような気がします。誰かと一緒に聞いたならばその思い出もついて来るわけで、人生長くなるとそういう意味では楽しみが増える一方なのかもしれません。

今日も歩いていたらどこからか金木犀の香りがしました。夏の終わりから秋の始まりはいつもこの香りが彩りをくれるように思います。

歳を重ねると嫌なことばかりかといえばそうでも無い。道をただ歩くだけでも楽しみが増えるものかもしれません。

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