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今日のダーリン


糸井重里さんの文章は難しくない。説教臭くもない。奇を衒わない。誰かを攻撃したり傷つけたりもない。しかし鋭く今を突いてくる。

徹底的に僕はコレが好き、を貫くのもすてきだ。この連載はずいぶん長く続いているようだが、すぐに消える。毎日必ず更新されていく。いつも考えさせられたりする(読み始めたのは最近だから以前のものはわからないがたぶんそうだと想像する)

最近気に入ってふむふむと頷かされたのは

さびしさやわびしさ。
私もそのようなひと匙が欲しいかもしれない。

音楽を聴きながら、いつでもああちょっと好きだなと思う曲にはほんのちょっぴりのさびしさ、わびしさ、またはせつなさ、があるような気がする。例えばお笑いだとしても、あははと笑いながらちょっとだけさびしさが見えたり。ストーリーならば尚更、その奥や向こう側の切なさがあると奥行きがずいぶん変わってくると思う。

世の中にはほんとうにたくさんのいわゆるコンテンツが溢れていて、今のようにいつでもどこでもさまざまなものに触れて来た若い世代の作り手は上手いし洗練されている。粗削り、とか原石の野生味なんてあまりお目にかからなくなった。バグのない機械のような正確さや訓練の行き届いた鮮やかさばかりが目につく。いささか没個性なちり一つない自宅がInstagramに毎回上がり続けるとその中にはひとときとて悩んでないかの如くの自己満が鼻につくよう。いや自己表現などすべからくドヤ顔が無ければ成り立たない部分もあるだろうが、それでもやはり楽しさの中に、美しさの中に、寂しくて侘しくて、後味に切なさが漂って欲しい。

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