誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)自分の「掟」を作る
最近、コレクション会場でのおしゃれスナップを見ていて、そうだ、これもおしゃれな人がやることだなと、気づいたことがあります。
それは、自分の「掟」を作る、ということです。
パリやミラノコレクションに集まるファッションエディターやスタイリストたちの装いをよく観察していると、ほとんどの人が、上から下までとあるブランドの最新シーズンものをひとそろえ着ているわけではないということに気付きます。
また、彼女たちは、裕福ですし、スタイルも抜群ですから、金銭的にとか、体型的に、何かしばりがあるわけでもありません。
だから、やろうと思えば、金にかまけて上から下までシャネルとか、できるわけですが、あえて、それを選びません。
例えば、エディターのカリーヌ・ロワトフェルドだったら、ひざ丈のタイトスカートにヒールの靴というスタイルを崩しませんし、「エル」のディレクターのケイト・ランファーだったら、いつもロックテイストのモノトーンルックです。
自分はこれが似合う、またはこれが好きというスタイルがあって、どんなものでも選べるとしても、それを自分の「掟」としているのです。そして、そのスタイルがおしゃれに見えます。
ここまでは誰にでもわかりやすいと思います。
自分がよく見えるもの、大好きなものを着るのは当たり前だから、それを選択する。これは誰でもやることです。
けれども、たぶん、彼女たちがおしゃれに見える理由は、これだけではないのです。
以前、作曲も作詞もするミュージシャンの方が、絶対これは使わないという言葉があると語っていたのを聞いたことがあります。その使わないと決めている言葉が、何かということまでは言っていなかったのですが、たぶん、こういうことではないかと思います。
例えば、「愛」という言葉を使わないと決めます。
「愛」という言葉を使わないと決めたからには、それに代わる「愛」の表現を作らなければなりません。それには努力がいりますし、またそれができるということは、それこそ才能があるということなのでしょう。
しかし、そうやってでき上がった歌詞は、ただ何回も「愛している」と叫び続けるより、ずっと多くの人の心に「愛」を届けることができます。それを感動と呼ぶのです。
ほかにも、日本には、俳句や短歌といった、文字数を限定して、その中で表現を完結させる詩があります。あれも同じことです。
だらだら長く言わない。あえて他を切り捨てる、そのことによって生まれる美が、私たちの心を動かします。
おしゃれに見える人たちもそれをやっています。
ですから、たとえそれが、似合うとだれかに言われても、
流行っていても、
便利でも、
安くても、
誰かにもらっても、
それでも、着ないと決めたものは着ない。
何かを着ないと決めたことにより、しなければならない創意工夫、そんなことの積み重ねが、おしゃれに見える理由なのではないでしょうか。
もちろん、これは自分で決めた「掟」です。
ですから、自分の意志で変更可能です。
だれかと協議する必要はありません。
自分が身動きできないほどに、がちがちにする必要もありません。
しかし、この、やらないと決めた、その軸が、膨大な情報や、誘惑の中で、流されそうになったり、見失いそうになったりしたとき、ずっとそこに立っている目印の旗のように、あなたを助けると思うのです。
それがあれば、あなたは溺れずにすみます。
何かを着ないと決めたことによって生まれた、その努力を人々は認めるでしょう。
そして、おしゃれだなと心動かされることしょう。
ぶれないことは、美しいのです。
そしてそれは、自分の意志で選択した人だけが得られる美しさです。
2011・12・05
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