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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)ワードローブのアップデート

ある日、突然、持っているワードローブを見て、着るものが何もない、すべてだめになったと感じる日がやってきます。それはまさに、ワードローブをアップデートすべきタイミングです。

今まで正常に、過不足なく動いていたプログラムはもはや古くなり、新しいハードに対応できません。


ワードローブのアップデートが必要になるときとはどんなときでしょうか。それはソフトではなく、ハードウエアやその周辺機器が変わったとき。

体型が変わった、顔が変わった、肌の質感が変わった、引っ越しして環境が変わった、仕事が変わった、付き合う人が変わった、流行が変わった、そして最後に、気分が変わったなど。


ソフト、つまりワードローブは古すぎて、あたらしいハードに対応していないため、もはや機能しません。

何を着ても、心を動かすことができない。何を着ても、足が一歩踏み出さない。電源が抜けているのかと思ってはみるけれども、どうやらそうではないらしい。エネルギー切れとも違う、この違和感。


残念ながらそんなときは、どんなに努力しても、古いワードローブでは、ハートもボディも動きません。ぐずぐずしていて、面倒ぐさがってワードローブをアップデートしないでいたら、のろのろ動くハートとボディではどこへも行けません。


さて、パソコンのソフトはありがたいことに、向こうからお知らせがやってきて、クリックすればアップデートが完了します。しかし、ワードローブのアップデートはそうはいきません。

では、どうすればよいのでしょうか。


まずハードの変化の点検です。

体型が変わったのなら、それを潔く認めること。何度ながめても、昔の服はもう入りません。肌の色が変わってしまったこと、髪をいつも染めなくてはならなくなったこと、年齢による変化を認めるためには、より客観的に自分を見つめ、現実的な対応が必要です。

サイズが合わないのなら、合うサイズのものにかえる、好きな色が気に入らなくなったら、違う色のものを選ぶ、若いときと同じような露出度の高い服はやめるなど、対応方法はいろいろ考えられます。自分を客観視できれば、それは可能です。


次に環境の変化です。

仕事が変わった、住む場所が変わったら、当然のことながら、以前の服は「その場にふさわしく」なくなるでしょう。

シーンとして考えて選んだものですから、背景が変わるのなら、違う服装になるのは自然なこと。新しい環境になれるためにも、もはやそのシーンに不似合いなワードローブを処分することも必要となってきます。

農場にスーツはいらないし、都会の職場にビーチサンダルで出勤はできません。


その次は流行の変化です。

どんなに抵抗しようとも、どんなに無視しようとも、流行は変化していきます。私たちはずっと同じ時代に生きているわけではありません。ある程度、流行を取り入れなければ、その時代の雰囲気は体現できないので、残念ながらおしゃれには見えません。

自分が何だか流行遅れに見えるそんなときは、最新のファッションの情報を多く取り入れ、自分の目を完全にリフレッシュしてしまえば、次に何を選んだらよいかわかるようになります。

その場合、メディアなどの写真による二次情報と、実際の店舗へ行ってみるという一次情報、両方にふれることが必要です。

新しい時代の空気を実感することができたら、それを自分が取り入れてみることは、そんなに難しいことではないでしょう。


ただし、ここで厄介なのは、自分の年齢による変化と、流行の変化、両方が完全に古いものになった場合です。

いつまでも若いときに好きだった格好、好きだった流行のスタイルを、無自覚に何年も続けていくと、自分の現実、ファッションの現在との差はどんどん開いていきます。

変化しているのに認めない、ある時点でずっと止まっているそのかたくなな感じは、全くおしゃれではないのですが、あるとき、そのギャップに愕然とするときがやってきます。

それは街でウィンドウにうつる自分の姿を見たときかもしれないし、同年代の人たちと集まるホテルでの会合で、パウダールームで化粧直しをしようとした、その瞬間かもしれません。そのときはあたかも自分の構築してきた世界が崩壊するように思えるでしょう。家に帰ってタンスの扉を開けたとき、そこにある服すべてが死んで見えるような、そんな体験をするかもしれません。

であるならば、すべきことは1つ。

死んだ服とはすべてさよならすることです。もうそれは生きてはいないのです。クリーニングに出しても生き返りません。かろうじて、息絶え絶えでも使えそうな数点を残し、残りは売るなり、あげるなり、処分するなりすることが必要です。

なぜなら、もはや死んでしまったかのように見える服は、その人をどこへも連れていってはくれないからです。それだけではなく、それはその人の足を引っ張る存在になります。

着ては気分が落ち込み、誰かに会うのが嫌になり、劣等感を助長し、決して助けてはくれない。そんな服は持っていても仕方ありません。

数点だけ残した服で当分のあいだ過ごし、新しく生き生きしている服に出会えるまでは我慢すること。これは長いこと、時間を無視してきたことによる病のリハビリ期間です。少しのあいだリハビリを続ければ、また新たに着たいと思える服に出会えるでしょう。


さて、最後です。

気分が変わったときはどうするか。体型的な変化もない、引っ越ししたわけではない、仕事も同じ、自分が老けこんでしまったわけでもない、それでも完全に気分が変わってしまって、どうしても今持っている服が着たくないときが、人には訪れます。

そのときにやるべきことは、これからどうやって生きていきたいか、徹底的に考えること。

仕事を変えたいのか、引っ越ししたいのか、付き合っている人を変えたいのか、今までと違うものを食べたいのか、旅行に出たいのか、何か新しい挑戦をしたいのか、その変わった「気分」とは何なのか、自分と向き合って、その答えを探し、見つけたら、それに対してコミットメントして行動することが必要です。それが決まらないのなら、次のワードローブの方向性は決まりません。


主人公は何のために、どこへ向かうのか。

「完全な気分の変化」という1つの崩壊の体験を経て、人生のテーマはどう変わるのか、何を目指すのか。そして、それにふさわしいワードローブは何か。それらはすべて自分で決めるべき事項です。ですから、自分で決めて、それに対してコミットメントしない限り、次に進むことはできません。


主人公は、崩壊した世界から新しい旅に出ます。そのためには新しいワードローブが必要です。どうしたいのかを決めたのなら、おのずと必要なワードローブは決まってきます。

都会へ行くのなら都会の服が、田舎へ行くのなら田舎の服が、好きな仕事を始めるのなら、それにふさわしい服装が、好きな誰かと暮らすなら、2人一緒に出かけるときの衣装が、それぞれ必要になってきます。


ボディだけではなくハートを動かすエネルギーをもったワードローブへのアップデートは、主人公に自信を与え、どこへ行っても、誰と会っても、何をしても、幸せを感じることができるものでなくてはなりません。それでなくては意味がありません。


自分のハートは何によって動かされるのか、どんなものを着ていれば、ボディは自然と動くのか、それを知っているのは自分だけ。


自分自身に問いかければ、必ず答えは出てきます。なぜなら、問いと答えは常に同時に存在しているからです。

どこにあるのかと問いかけた瞬間、ここにあるという答えはもう既に存在しています。


答えは既に存在しています。あとはそこへ向かって自分で歩いていくだけ。自分で歩いていったものだけが、その答えにたどりつけます。自分で歩いていったものだけが、満足のいくワードローブを構築できます。誰かが持ってきてはくれません。すべては自分次第です。


自分に向き合えば向き合うほどに、ワードローブのアップデートは簡単にできます。

人生とは変化です。ワードローブのアップデートは人生が変化、進化する限り続きます。

ボディとハートを100パーセント動かすためにも、どうぞワードローブのアップデートをお忘れなく。なぜならそれはいつも自動的になされるものではなく、手動でしなくてはならないものだからです。

2015・07・15

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