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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)年を取って服が似合わなくなったと感じたら

多くの方がある年齢になった、ある日に、今まで着ていた服が全く似合わないと気づくとおっしゃいます。

なぜかわからないけれども、違和感を感じて、その服を着る気分ではなくなると。

それはなぜなのでしょうか。


私たちは、常に年を取っていきます。今から若くなるということはありません。

毎日毎時間毎分毎秒、薄紙を一枚ずつ重ねていくように、年を取り続けます。これには誰も逆らうことができません。


実際には、変化は毎日起こっています。

ですからある日、突然、浦島太郎が玉手箱のふたをあけて御爺さんになってしまったかのごとく、いきなり老ける、ということはありません。

肉体は日々確実に、若くはないほうへ向かっていく。ただ、その事実をその人は見ようとしなかっただけです。

その見ようとしなかった事実にある日突然、何かの理由により、または出来事により、向き合わざるを得なくなったときに、今まで着ていた服が似合わなくなったと感じるのだと思います。


では、ある日突然今までの服が似合わなくなると感じた方々が、それまで着ていた服とは、一体どんな服なのでしょうか。

そこにはある特徴があるでしょう。


先日、電車の中で、とある女性の後ろ姿を見ました。

背中まである茶色くカラ―リングしたストレートヘア、ひざ丈の、たぶんポリエステルシフォンのパステルカラーのピンクのスカート、少し色あせたGジャン。そしてその色あせたGジャンとは不釣り合いな、少し濃いめのナチュラルストッキングにヒールのあるサンダル、手にはヴィトンのモノグラムのバッグ。

身長は165センチぐらいで、太ってはいませんが、やせているというわけでもなく、割としっかりとした体格。

次の駅が近づいて、その方が振り返ったとき、私はなぜか驚いてしまいました。

なぜ私は驚いたのでしょうか?

私は、意識はせずに、その方はせいぜい30代だと判断したのです。しかし、振り返ったその方はどう見ても50代半ばから後半といった感じでした。


私がその方が30代だと思いこんだその理由は、その方の着ていた服が、20代から30代向けのデザインと質感の服だったからです。

Gジャンとストッキングの色の濃さと厚さが不釣り合いだとは思ったのですが、そのほかの部分は明らかに若い人向けの服でした。

その若い人向けの服のデザインと質感は、その方の肌の感じには合わないのでした。


年をとると若いときと明らかに違うのは、肌の輝きや質感と、肉付きです。どちらも努力なしには、若いままをキープすることはできません。

そしてこれら若くはない肌と、その肉付きには、その若い人向けの服は合わないのです。


しかしと、皆さんは思うでしょう。

大人の服一点一点に、子供服のように、これは何歳向けとは書いていないわよと。そんな表記はどこにもないわよと。そのとおりです。

服はいつでもサイズで選ぶもので、年齢で選ぶものではありません。では、若い人向けと、そうでない人向け、何が違うと言うのでしょうか。


若い人向けの人は多くの場合、若い人が企画やデザインをしています。チーム全体が若いのです。チーフデザイナーが28歳だったりします。

もちろんもうちょっと上の世代が作っている会社もあるとは思いますが、それでもいいところせいぜい40歳ぐらいのところが多いでしょう。

若い人というのは、若くない人の現実などわからないのです。

若くなくなったときの肌の質感も、身体のどこに肉がついていくのかも、実感を持って、知ることができないのです。

時たま、わかったようなことを言う若い人もいますが、それはその人が不遜で傲慢なだけです。

そしてそんな、年を取ってるということがわからないという人たちが作った服が、いわば若い人のための服となります。


例えば45歳を過ぎたころ、美容院であなたがカットしてもらいたいと思うスタイリストはいくつぐらいの方でしょうか?自分と同じぐらい、または少し年上といった感じではないでしょうか?

白髪や髪のうねりといった髪の悩みを理解してくれる、そんな年齢の人にお願いしたいと思わないでしょうか。


またはデパートのコスメ売り場で、あなたの肌の相談は、やはり同じようにあなたと同じぐらいの年齢、もしくは少し上の方にお願いしたいとは思わないでしょうか?


なぜか。

若い人にはわからないからです、年を取るということが。

年を取ったら、髪がどう変化し、どうしたら補正できるかということが。

年を取ったときの肌の輝きがどう失われ、それにふさわしいメイクの方法が。

テクニックとしてはわかっていても、実感としてはわからないのです。


同じように服だってそうなのです。

若い人には、若くない人の身体の悩みなど、わからないのです。


私だってそうでした。

私が最初に入った東京コレクションに参加していたブランドの企画室のメンバーは、率いる男性デザイナーが36歳で、あとは生産管理もパターンナーもみんな20代でした。

大手アパレル会社の企画室のメンバーも、マーチャンダイザーでこそ40代の男性でしたが、あとは全員20代でした。

そんな人たちに、45歳過ぎた女性に似合う質感やスタイル、素材など、想像もできないし、わからないのです。


年を取って、ある日、すべてが似合わないと感じる多くの方は、そんな若い方が作っている服を着てはいないでしょうか?

日本のアパレル業界には、何十年もキャリアのある女性はいるとしても、非常に少ないでしょう。労働時間が長く、結婚さえままならないような職場には、若いスタッフしかいないことがほとんどです。


自分の年齢と同じぐらいか、またそれより上のスタッフのいるブランドは、ありますが、日本では少数派です。

しかし、そういったスタッフが作ったものでないと、その年代にふさわしい質感とスタイル、カットの服は作れないのです。


年を取って似合わなくなったそのときに、何を買えばいいか、その1つの解決策は、自分と同じぐらいの年齢か、それ以上の人が作った服を着ることです。つまり、年を取るとはどういうことか、わかっている人が作った服を着るのです。


思えば私たちは長いあいだ、ずっと、年上の人が考えてくれた服を着てきたのでした。20代も、30代も。

年上であるがゆえに、私たちのことを理解してくれた人たちが作った服を。年を重ねるということは、理解の範囲が広がるということなのです。


まだ大丈夫です。私たちより年上の、よく理解してくれる人はいます。

日本には多くはないかもしれませんが、海外に目を向ければ、ちゃんと存在しています。

そんな、理解してくれ人たちが作った服を、わかっている人たちが作った服を、私たちは地道に探して、年を取ることの意味を、その価値を、分かち合っていくことが、年を取った私たちに残された、最良の道ではないかと思います。

2017・05・18


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