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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)デニム、その位置づけ

デニムとは、通常はインディゴ、または藍色の染料で染めた糸を縦糸に、染めていない糸を横糸として、綾織りに織った、厚みのある木綿の生地の総称です。多くはジーンズを作る際に用いられますが、ジャケット、その他、用途は広がっています。


ジーンズに代表されるように、丈夫で、破れにくいデニムは、歴史的には主に作業着のために用いられてきました。一説によると、インディゴは虫よけの役割もしたと言われています。そのため、今でもデニムには、「作業着」というイメージがつきまといます。


戦後、特に70年代以降、若者のあいだでジーンズが大流行したことによって、ジーンズ及び、デニムで作られたアイテムは、若さの象徴となりました。デニムは長いあいだ、作業着、または若者の衣装としての位置づけでした。


カジュアル化が進み、さまざまなカジュアルな素材やアイテムが、街着として登場し、認められるようになりました。

カジュアルであるとは、それがスポーツウエアやアウトドア用のウエアであったか、作業着であったか、下着であったか、それぞれにもともとはおおやけの場では着るべきではなかったもの、という来歴を持つということです。

それらは、スポーツウエアであったポロシャツ、下着であったTシャツやキャミソール、そして、作業着であったデニムで作られたジーンズやGジャンと呼ばれるジャケットです。


カジュアル化の後に来るものは、これらのブランド化です。

ハイブランドがこれらをデザインし、グレードアップすることによって、それらはより認められ、どこへ着ていってもおかしくない存在になります。

ここのところ、デニムのブランド化、グレードアップ化が特に進み、ジーンズだけではなく、デニムのコートやテイラードカラーのジャケット、ドレスまでが出現しています。

そのことは、着こなしの幅が広がり、選択肢がふえるという意味でも、洋服の中のヒエラルキーが崩壊するという意味でも、歓迎すべきことなのですが、大人になればなるほど、それらを取り入れるときには注意が必要です。


グレードアップしたデニムですが、それは残念ながら、やはり若者のものであり、元作業着です。特にデニムについて、ほかの素材ともっとも違うのは、素材のよしあしが、見ただけではほとんど判断できないという点です。

どういうことかというと、そのデニムがどこ産なのか、オーガニックコットンなのか、有名な生地屋のブランド生地なのか、見たところでは、ほとんどわからないのです。


ジーンズははいてしまえば、5万円以上するような高価なジーンズでも、量販店で売っている3000円のジーンズでも、見た目には、その差がわかりません。それはほかの天然素材であるウールやシルクなどとは、この点が大きな違いとなります。


大人が陥りがちなのは、これは高価なジーンズ、またはデニムでできたジャケットやコートなので、どこへ着ていっても恥ずかしくないだろうと勘違いすることです。しかし、生地で差がつけられないデニムは、どこまでいっても、若者のものであり、作業着です。ということはつまり、どんなに高いジーンズを身に付けたところで、チープに見える可能性が高いのです。


大人がデニムを作業着としてではなく身につけるときは、そのチープさをそのまま出さないように、バランスをとることが必要です。年をとればとるほど、そのチープさを上回るようなラグジュアリーな素材のものやジュエリーをあわせたり、または作業着とは全く別方向の靴やバッグをあわせることにより、全体の平均値を上げなければなりません。

それなしに、いい年の大人が、何の工夫もないジーンズ、Tシャツ、スニーカーで街を歩くとしたら、それはかなり危険な行為と言わざるを得ません。


若者はそれをする必要がありません。若さはそのチープさを凌駕します。しかし、いい年の大人がそのチープさを放置したならば、それは単なる貧しさであり、格が下がることを意味します。


幸いなことに、このところ新しく出てきたジーンズやデニムのジャケットには、それだけ着てもチープに陥らないように、豪華な刺繍がされていたり、スワロフスキーのクリスタルが縫いつけてあったりします。それらは、ジーンズそのものがバランスをとっていますから、あまり全体のコーディネイトを気にせず着ることができます。


確かに大人になれば、肉体や肌の若さは失われます。しかし、それとは引き換えに、手に入れたものがあるでしょう。

若さも1つの輝きではあるけれども、大人であるならば、若さとは違った輝きを、長い年月をかけて、培ってきたでしょう。デニムを身につけるとき、それが外にあらわれます。

それが鍛え抜かれた肉体や知性や技術なのか、はたまた、戦いの後に手に入れた優しさなのか、それはもちろん、人それぞれ違います。

人それぞれ違うように、それぞれがそれぞれに似合う方法で、それを表現すればよいのです。

答えはいつでも、1つではありません。

2014・11・17


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