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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)接近するファッションとスポーツウエア

スポーツウエアのテイストをそのままファッションに持ちこんで衝撃を与えたのは、1990年代後半のプラダでしょう。

大きく、重厚だったファッションの流れを、シンプルで軽く、そしてスポーツウエアのテイストを加えたのが、その当時のものだったと思います。

それ以降、スポーツウエアにデザインのオリジナルを持つもの、たとえばウィンドブレイカー、パーカー、ポロシャツなど、ごくふつうにコレクションで取り上げられるようになりました。

しかしその当時のファッション界におけるスポーツウエアは、形だけを取り入れただけで、同じ形だけれども、機能性はゼロの、スポーツウエアをただ真似たものの域は出ていませんでした。

しかし、ここへきて、その形だけを真似たものの領域から出ようとする動きが出てきています。


同時に、スポーツウエアのメーカーはファッションに歩み寄ってきています。ステラ・マッカートニーやフセイン・チャラヤンに代表されるように、それまでコレクションを発表していた、いわばふつうの服のデザイナーが、スポーツウエアのメーカーとコラボレーションする形でスポーツウエアを発表しています。

それらはまさに、デザインと機能性、両方を兼ね備えたものであり、ファッションの側も、スポーツウエアの側も、両方を同時に満足させるものになっています。


ファッションがスポーツウエアに歩み寄るようになったのには、いくつかの理由が考えられます。

ファッションの急激なカジュアル化、それによる、より動きやすく、リラックス感のあるデザインへの志向、ハイテク素材の開発によりデザインと同時に機能性が実現できるようになったことなど、さまざまな要因が同時多発的に発生し、それが一気に同じ方向へ流れ込んできた結果が今でしょう。

その流れは、もはやオートクチュールと言えども無視できなくなり、今ではシャネルやディオールまでも、ドレスの足元にスニーカーを提案しています。しかもそれは、飾り立てられ、ほとんど歩けないようなしろものではなく、ストリートを駆け抜けることができる、正真正銘のスニーカーです。


スポーツウエア、そしてアウトドアウエアなどの機能的なウエアは、今後もファッションの中で大きな位置を占めるでしょう。それは、ファッションが「特別な誰か」の独占物であることから、より多くの、ふつうに街を歩く人々へと広がった証拠でもあります。


「特別な誰か」のためだけに服を作ってきたデザイナーは次々と消えていなくなりました。

たとえばスタイルのいい体型の人だけのために作ったデザイナー、お金のある人だけのために作ったデザイナー、自分のクリエイティビティの表現のためだけに作ったデザイナー、ファッション業界の内輪だけのことを考えて服を作ったデザイナーなど、今ではどこかにいるでしょうけれども、実際にそのデザイナーの作った服を着る人はごくわずかです。ふつうの人々がアクセスできないような服は、やがて消えていくでしょう。


スニーカーやスウェットシャツ、ウィンドブレーカーやダウンジャケットは、誰でもアクセス可能です。手が届かないものではありません。

「ジヴァンシーのバンビのスウェットシャツが欲しいのよ」などと言わなければ、ふつうに手に入ります。シャネルのスニーカーは買えなくても、ニューバランスなら、近くのマーケットでも手に入ります。

同じように、ステラ・マッカートニーのコレクションラインは買えなくても、アディダス・バイ・ステラ・マッカートニーなら、買うことができるでしょう。


服は、誰かが着なければ、完成しません。美術館に飾られたとしても、それはやはり完成ではありません。服とはは人が着て、歩いて初めて完成するオブジェです。

そのためにも、デザイナーはストリートのふつうの人々に近づく必要があります。スポーツウエアに近づいたデザイナーたちの意図は、まさにそこにあります。彼らは「特別な誰か」ではなく、「ふつうの私たち」に近づこうとしているのです。なぜなら、それこそが彼らが生き残ることができる、唯一の道だからです。


私たちは、近付いてきた彼らを歓迎しましょう。つまり、この流行は大いに利用しましょう。

長いこと作業着として一段下に見られていたジーンズは、今では完全に市民権を得て、ほとんどの場所へ着ていけるようになりました。スポーツウエアも、やがて同じようになるでしょう。

どんな高級ホテルも、シャネルのスニーカーは拒否できないように、やがてスウェットシャツでどこへでも入れるようになるでしょう。


考えてみれば、アクセスできない服など、ないも同然なのです。

どんなにお高くとまってみたところで、手の届かない服など、私たちを変えることはできません。着ることができる服こそが、力を持っています。そして、「ふつうの私たち」が欲するのは、まさにそういうものです。


機能性とデザインは両立し、私たちはそれを手に入れることができるようになりました。接近したのはファッションとスポーツウエアだけではありませんでした。「ふつうの私たち」と「優れたデザイナー」もまた、近付きました。

この円満な関係は、これからも続き、もう後に戻ることはないでしょう。

2014・09・04


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