誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)完璧ではないという完璧

グッチは、2015年の秋冬シーズンより、クリエイティブディレクターを、それまで9年間務めてきたフリーダ・ジャンニーニから、アクセサリー部門のデザイナーだったアレッサンドロ・ミケーレへと交代させました。この交代劇はファッション業界で、かなり大きなニュースとして取り上げられ、アレッサンドロがどのようなデザインでグッチを新しくするのか、期待と疑義の眼でもって、注目されました。


これまでのフリーダのグッチの仕事を振り返ってみると、どれもそのデザインが完璧である、ということに気づかされます。前任のトム・フォードが作り上げた、やはり大人の女性の完璧なスタイルを、色彩を加えることでよりセンシュアルに、多くの花柄を取り入れることでロマンチックに、シーズンごとに異なるテーマを投入し、購買者にあきられることなく、すきのないグラマラスなスタイルを提案し続けてきました。

その頂点の姿は、ケイト・モスを起用したジャッキーというバッグのヴィデオに見られます。

誰もが憧れる現代のアイコン、ケイト・モス。そのケイト・モスに最も似合うグラマラスなスタイル。フリーダが作り上げた世界は、ファッション業界の求める完璧なスタイルでした。


ところが、グッチ社は、その完璧を作る才能を持ったデザイナーであるフリーダを解任します。

あれだけの完璧なスタイルの後に一体、何が続くのか。わざわざ抜擢したアレッサンドロは、一体どんなデザインを持ってくるのか。ショーの当日まで、多くの人があれやこれや想像したことでしょう。


さて、そんな渦中、発表されたスタイルは、今まで見たこともないような組み合わせに満ちた、風変わりなものでした。

大きなウェリントンの黒ぶち眼鏡にドレス。パンプスからはみ出るファー。折り目の跡が残されたままのスーツ。大きなハチの刺繍がついたバッグ。人さし指から小指まではめられた、大きなフォー・ビジュ―の指輪。トラッドのようでいてトラッドではなく、モードというには、バランスが崩れている。

しかし、よく見ていくと、これらの組み合わせは、あえてアレッサンドロがねらっているものだ、ということがわかってきます。彼は、フリーダのような完璧をあえてずらすことによって、新たな完璧を表現しているのです。


ファッションにはこれまでにも、はずしのテクニックや、スタイルをミックスする手法など、数々のバランスを崩すスタイリングのテクニックがありました。

しかし、ここへきて表現されたのは、はずしでも、ミックスでもなく、それらを含めての完璧なスタイルです。

つまり、今までの隙のない、モデルが似合う、ゴージャスで完璧なスタイルは、もはや完璧ではないのです。それは、完璧ゆえに完璧ではなくなったのです。


ファッションとして成立させるためには、完璧にしてはいけない、アレッサンドロの主張はそこにあります。

完璧に陥ったら、もはやそれはファッションではない。
完璧でないところに見出す新しいバランスやスタイリング。今まで考えられなかったところ、格好悪いとみなされていた、そのぎりぎりの線を、あたかもコートの端ぎりぎりのラインにサーブを打ち込むように、彼は見つけ、作りだし、提案します。


ニューヨークで行われた、2015秋冬のグッチのショーには、これまでのみなれたグラマラスな有名モデルは一人も出てきませんでした。スタイルこそよいかもしれませんが、素朴な感じの、どこにでもいるような、若くういういしいモデルたちが、ニューヨークの街角を歩いて、そのままショーの会場に入っていきます。

ストリートとショーの会場を区別する必要はない、日常と非日常、同じレベルにおけるファッションは、ファッション業界の完璧とは違う視点が必要だということが、強く示唆されます。


さて、徐々にでしょうが、2015年以降、この「完璧ではないという完璧」なスタイルは、一般のあいだにも広まっていくことでしょう。完全に行きわたるまでには、それこそ10年かかるかもしれませんが、もはやこの流れは止められません。


いち早く取り入れるためには、はずしのテクニック、テイストをミックスさせることなど、総動員させ、その上で+αを考えます。

もちろんこのスタイルは上級者のためのものなので、基本を理解していない人がやみくもにやる、めちゃくちゃなスタイルとは全く別物です。


常に考えなければなりません。常に努力しなければなりません。かかわっている限り、勉強し、進化させなければなりません。教科書は、あるようで、ないのです。


+αは何なのか。あえて言うならば、その人のオリジナリティです。誰かのそれでもなく、多くの人が持っているあれでもなく、その人ならではのもの。

それが何もないのであれば、ファッションは退屈です。
ファッションの難易度は上がっています。わかりやすい完璧よりも、答えのない完璧を目指すほうがずっと難しいです。

だけれども、本当におしゃれが好きならば、それは取り組むのも楽しい課題になるだろうと思います。

2015・0902


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