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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)移り変わるのは流行だけではなく

20代のころ、ファッションで変わるのは流行ばかりだと思っていました。
けれども、それから年を重ねると、ワードローブに影響を与えるのは、シルエットや色の変化としての流行だけではない、ということがよくわかります。

変わっていった点を挙げてみましょう。
・買い方
・購入可能な服、靴、バッグ
・服、靴、バッグの値段
・使う金額

まずは買い方です。
これほど多くの人たちが通販を利用して服、靴、バッグを買うことは、過去ありませんでした。
昔、といっても90年代の通販は、まずハガキで紙のカタログを請求し、
それが届くまで鷹揚と待ち、買うものを選んで、ハガキあるいはファクスで注文し、届くまで待つという、今の「明日届く」とは程遠い、のんびりしたものでした。

では多くの人たちはどこで服を買っていたのでしょうか。
それはブティックと呼ばれる地元の商店街にある店舗や、少し大きな街にあるデパートでした。
私が住んでいた街では80年代、商店街のブティックにさえ、ライセンス生産のディオールやサンローラン、ジバンシーが売られていて、ごく普通のマダムたちがそれらの衣服を買っていました。

次に、購入可能な服、靴、バッグです。
昔から商店で売られているものはもちろん購入可能でした。
しかしその購入可能なものの範囲がどんどん広がってきました。
まずはフリーマーケットやフリマアプリを通して個人のものを、
海外通販を通して海外のもの、
アウトレットではアウトレット商品を、
古着屋で古着を、
セカンドハンドのショップでは中古品をというように、
商店やデパートで売られている新品のものだけが購入可能なものではなくなり、買う際の選択肢は一挙にふえました。
コート1枚買うのに、デパートのコート売り場に並ぶものから選択していた時代は、もうとっくの昔に終わったのです。
今コート1枚買うのなら、
新品、中古品、アウトレット品、古着、フリマアプリで誰かが出品しているものなど、多くの選択肢があります。

次に服、靴、バッグの値段です。
90年代、服の値段はどんどん上がりました。
今でも黒いセーターを28000円で買ったことを覚えています。
一緒に働いていた同僚は、ヨウジヤマモトのダウンジャケットを13万円で買ったと言っていました。
それが90年代の20代です。しかもバブルよりも後の話です。

それが今はどうでしょう。
普通に働いている20代が、こんなお金の使い方はしないでしょう。
10分の1とまでは言いませんが、
ファストファッションが出現し始めてから、
どうやったらその価格で作れるのかわからない、
安い服、靴、バッグが売られるようになりました。

それに伴い、人々の被服費も90年代の半分近くまで減りました。

ここ10年ぐらいの流れを見ていると、
人々の関心は、デザインそのものよりも、
どこで何をいくらで買ったかということに興味があるように見えます。
例えば「ネイビーでVネックのシルクウールのセーター」ということよりも、
〇〇というブランドの〇〇円のセーターということが先にきて、
その評価も「コスパがいい」「高見えする」または「〇〇万円もした」など、価格について言及されるものがふえました。

特に安い価格重視の傾向は強まった結果、
ポリエステル、アクリル、レーヨン等、
化学繊維が使われている商品が大きく増えました。

買い方の変化、購入可能なものの種類の増加、安い値段の服、靴、バッグの出現により、ファッションを取り巻く環境は大きく様変わりしました。

価格や、使われる素材はデザインに大きく影響します。
安く作るためには安い素材が使われ、
複雑な仕様、用尺の必要なデザインは排除されます。
そしてデザイン、素材とも凝ったものが欲しい場合は、多くの人がおいそれとは手が届かないようなハイブランドを選ぶか、
もしくは高価格設定の新進気鋭のブランドから選ばざるを得なくなりました。

その結果、街の風景さえ変わりました。

こんなにも選択肢があるにもかかわらず、
多くの人がデザイン的に無難で、ウエストゴムのように簡単な仕様の、
似たような服を着て歩くようになりました。
売られている量もふえたにもかかわらず、デザインや色の多様性は失われました。

さて、どうしましょうか。

答えはありません。
それぞれが、それぞれ自分の考えで選択するのみです。

ただ、覚えておいてほしいのは、
本当は選べる、ということです。

お金がないならないなりに、
デザインも、素材も、縫製も優れているものを選ぶことが、今は可能です。
それは80年代、90年代には想像することすらできなかったことです。

たくさんあります。
選べます。
望みさえすれば、90年代以上に、
よりオリジナルで自分らしいおしゃれは可能です。
それはやるか、やらないかの、その人の意思の問題なのです。

2021・10・21

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