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誰も教えてくれなかったおしゃれのルール(アーカイブ)はずしのテクニック

おしゃれな人がよくやるテクニックで、「はずし」というものがあります。「はずし」とは何をはずすのかというと、完璧になることからはずす、ということです。

コーディネイトをする際に、すきがない、すべて完璧というスタイルを、おしゃれな人は嫌います。完璧すぎるというのも、どこかバランスが崩れているということなのです。


しかし、この「はずし」というテクニック、昔からあるものというものでもないようです。

50年代、60年代の映画を見ても、あ、これははずしているなというスタイルは出てきません。きっちり完璧、パーフェクトにエレガントです。

その後、70年代になって、服装が一気にカジュアル化していく中で、その名残が80年代へと受け継がれ、そのころから、この「はずし」が言われるようになったようです。


「はずし」をするためには、何通りかの方法があります。
1つ目は、「はずし」アイテムを1つ付け加える方法。

例としては、まず、完璧なエレガント・スタイルを作ります。
そこから今度は、何か1つのアイテムを「はずし」アイテムと交換、または付け足します。

「はずし」アイテムは、普通なら、これはこのコーディネイトに取り入れない、と考えるものです。

たとえば、シルクのインナーだったものを、ポップなイラスト入りTシャツにかえる、または、バッグのチャームにスワロフスキーのキティちゃんを付け足す、全身黒のコーディネイトに、時計だけ蛍光色のバンドのものをする、などです。全体として、どう考えても、普通だったら取り入れない、というものをあえて付け足す。

これが「はずし」のテクニックです。

この場合、「はずし」 か所は1か所におさえておきます。それ以上、取り入れると、「はずし」にはなりません。


2つ目は、着崩す方法です。

着崩すというのも、「はずし」の中に入ると思います。なぜなら、完璧な着こなしを壊す行為だからです。

「崩す」ですから、壊します。やり方は、まず普通に着る。そこから、袖をまくってみる、襟をたててみる、シャツのボタンをはずす、パンツのすそを折るなど、完成された服の形そのままで着ないで、「崩す」部分を作っていきます。

これをやる場合は、必ず鏡の前で、全体のバランスを見ながら決定していってください。

袖をまくる長さも、パンツの裾を折る長さも、それぞれみんな同じということはありません。

その人にぴったりのバランスというものがあります。他人の真似ではうまくいきません。自分でいろいろ実験してみて、ここだというバランスを探してみてください。


この「着崩し」で、最も参考になるのが、前にも出しましたが、「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンの着こなしです。

機会があれば、アン王女の着崩しの過程のみに注目して、もう一度、映画を見てみてください。

最初はシャツをきっちり着ていますが、ボタンをはずしたり、袖をまくったりと、だんだん着崩していっている姿がわかります。

どうしてこうも、おしゃれにおいて、完璧を嫌うのでしょうか。理由は、完璧ということは、防衛的であり、行き過ぎた防衛は、攻撃になるからです。

完璧なものは近寄りがたいです。触れようとは思いません。声をかけることも、できません。

そして、たとえば、全身、それとわかるハイ・ブランドで固めたスタイルは、防衛を通り越して、攻撃的にさえ見えます。私たちは、その攻撃性を察して、近づかないのです。


「ローマの休日」を見ればわかるように、完璧な着こなしのアン王女には、自由がありません。

誰かが声をかけるような、気軽さもありません。しかし、着こなしが崩れていくとともに、自由でのびのびと、楽しげになっていきます。

そして、新聞記者のグレゴリー・ペックとの関係も深まっていきます。


誰にも声をかけられないような完璧なスタイルは、もうおしゃれではないと、おしゃれな人たちは気付いているのです。

バッグのチャームがキティちゃんだったら、誰かが、「それ、かわいいね」と声をかけるでしょう。

そこから話も広がります。

話しかけられるすきをわざと作る、それがおしゃれなのです。


完璧なコーディネイトで街をただ1人で歩いても、それでは意味がないのです。

服は主役ではないのです。
着ている人こそ、主役です。
主役に誰も声をかけないなど、考えられません。
砂漠で一人、ダンスをするのと同じです。
完璧すぎて誰からも声をかけられなくなったら、服に主役を奪われたということ。

だったら、服からその主役の座を奪い返さなければなりません。そのための1つの方法が「はずし」なのです。


客席から主役の衣装を点検するつもりで、鏡の中の自分を見てください。

自分より出しゃばっている服はありませんか。

勝手に自己主張している服はありませんか。

そんな服は、主役の足を引っ張ります。

服はあなたより目立ってはいけないのです。

服はいつだって、単なる服です。

せりふを言うのは、あなたです。

2012・10・29

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