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靴下(掌編小説)

私は靴下を洗濯する時は必ず下処理を行う。
石鹸で手揉みをしてから洗濯機で洗うのだ。
このひと手間で、汚れの落ち具合にぐんと差が出る。
私の靴下洗いは年季が入っている。
何せ、小学生の頃から家族の靴下洗いは私の仕事だったからだ。
今の時代では子供に重い家事をさせることに何かと物議を醸しだしそうだが、あの頃はまだそういう時代だった。
中でも、父の靴下には随分と泣かされた。
当時、私は父が嫌いだった。

私が小学五年生の頃、父は建設関係の肉体労働に従事していた。
いつも全身に埃やら砂やら何だか得体のしれないものを擦りこめて帰ってきて、脱いだ五本指ソックスは泥だらけだった。
父が一番風呂に入った後は、すでに十人くらい湯に浸かった後のような有様で、私は長いこと入浴に対して爽快感を味わったことがなかった。
母は二番風呂は体にいいのよと笑い飛ばしていたが、思春期に差し掛かる女の子には酷なことだ。
そんな訳で、父すなわち不潔。あるいは野暮。という図式が完成した。

当時、仲良しの咲ちゃんがテニスをしようと誘ってくれたことがあった。
生まれてこの方、テニスなんていう高尚なスポーツをしたことがない私は飛び上がって喜んだ。
立派な青い車を乗りこなす咲ちゃんのお父さんがコーチ役となった。
咲ちゃんのお父さんは、ジーンズをカッコよく履きこなす素敵な人だった。
私の父より十歳以上は若いだろう。
ピンクのポロシャツが色白の顔によく似合っていて、左手の薬指には金色の結婚指輪が光っていた。
咲ちゃんのお父さんに比べれば、私の父は老人だ。
ボールを追いかけながら、私はそんなことばかり考えていた。

近くの公園のテニスコートから家まで送ってもらったとき、車庫に停まっている父の車が目に飛び込んできた。

もう帰ってきたんだ……。
薄汚れた社名入りの緑色のライトバン。
…虫みたい。

私は父に見つからない内にと、急いで車を降りようとした。
だがそんな時に限って思うようにはならないものだ。
「おう、しずか。やっと帰ったか」
父は白い肌着に作務衣のズボンという出で立ちで玄関から出てきた。
突っかけにガニ股歩き。
田舎者の見本だ。
あんたはバカボンのぱぱさんか!
私は赤面した。
「こりゃ、咲ちゃんのお父さん。わざわざ送ってくださってありがとうございます」
父は横皺を顔いっぱいに広げて、車から降りてきた咲ちゃんのお父さんに頭を下げた。
しばらく二人は楽しそうに談笑したが、私には苦痛の時間だった。

翌朝、いつも一緒に登校している咲ちゃんの家に寄った。
珍しくこの日は咲ちゃんのお父さんがまだ家にいた。
スーツに身を固めた姿は昨日とは別人で、何だかとても偉い人に見えたものだ。
「パパ、今日は地下鉄で通うんだって。街の不動産会社で働いているんだよ」
咲ちゃんが誇らしそうに教えてくれた。
街は大都会だ。
そんな場所に会社があるということは、咲ちゃんのお父さんはエリートに違いない。
きっと課長さんとか部長さんとかいう地位にも就いているのだろう。
子供心にそう確信した。

その夜、お風呂の中でいつものように家族の靴下を洗った。
父の五本指ソックスを揉みながら、咲ちゃんのお父さんのテカテカした濃紺とシルバーのストライプソックスを思い出す。
あのお父さんは間違ってもこんな木綿の五本指なんて履かないだろうな、と沈んだ気持ちになった。
私は咲ちゃんが羨ましかった。

「お父さんは会社では偉いの? 部下たくさんいる?」
湯上りに、思い切って聞いてみた。
父は焼酎で焼けた赤い顔をへにゃらと崩した。
「おお、俺は現場監督だからな。たくさんいるぞ」
現場……。泥臭い。
がっかりした。
今のいい方なら、スマートでない。といったところか。
私の理不尽な父嫌いは、短大を卒業するころまで続いた。

そして今、私は不惑の歳である。
子供を連れてたまに実家に寄ると、父は大抵いない。
またパークゴルフへ行ったのよと、毎度母は呆れ顔で言う。
今年七十五を迎えた父は、定年後人が変わったように趣味三昧の人間になってしまった。
町内会のシルバー会に入り、大学校を立ち上げて、俳句やパークゴルフやウォーキングなどといった活動を仲間と行っている。
精力的に新メンバーの獲得にも力を入れているらしい。

エンジン音がしたので外に出てみると、青い車から父が降りてきたところだった。
「やあ、しずちゃん。元気そうだね」
咲ちゃんのお父さんも運転席から降りてきた。
彼は今や父の気のおけない大学校仲間となっている。
「君のお父さん、今日もまた一位だったんだよ。これで三週続けてトップだ」
「その前は哲っちゃんがトップだったろ?」
「たったの二回だよ。秀さんがダントツだね」
あの頃と同じ、二人は仲良く談笑している。
父は人と垣根を作らない気さくな人柄なので、誰からも好かれ、愛される人だった。
未熟な子供の私には、外見的なことしか見えていなかったのだ。
父の良さがわかるようになったのは、短大を卒業して社会に出てからだ。
父は未だに五本指ソックスを履いているが、今では私はそれがとても愛おしく見える。





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