咳をするということ

※一応フィクションですが、人によっては気分が悪くなる可能性があることを示唆しておきます。皮肉が多分に含まれます。最初の数段落を呼んだ時点で合わないと思ったらブラウザバック推奨。約2000字です。直接の表現はありませんが、食事中の方は読むことを控えた方がいいかもしれません。

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 『咳』とは様々な状況において起こり得る、身体に侵入しようとする異物を取り除こうとして発生するものだ。

 それは即ち生理現象だ。君たちがそそくさと個室に入り催すことや、眠気をかみ殺して大口を開けることと同じなのだ。分からないかね?私は咳が排泄行為や欠伸と同じであると言っている。もちろん、広義では、と注釈はつくがね。

 さて、話は変わるが、君たちにも可愛らしく巫山戯た子供時代があったことだろう。私にもあったさ。だが、それは今、関係のないことだ。

 話を戻そう。君たちがごく一般的な子供であったなら、便所で大便した子供を揶揄い、蛇蝎の如く嫌ったことがあったはずだ。ふむ、君はないのかね?だが、周りには居ただろう。愚かにも。

 そろそろ、察しの良い諸君らは気付いているだろうな。私が述懐せんとしていることは、ただの生理現象である咳をコロナウィルスによる症状であると断定することは実に愚かである、ということだ。学童共が大便しただけの学友を裏切ることと毛ほども違いはない。

 当然、君たちにも言い分はあろう。口を覆う布切れを装備しないだけで悪鬼の如く睨まれ、ストレスを軽減せんとする行動でさえ自重を促されることに辟易しているだろう。しかしそれは、謂れなき差別の免罪符ではない。君たちは考えなしだが、馬鹿ではないはずだ。

 差別の始まりは無知であり、そして、区別を認めないという柔軟性の欠如、他にも様々な要因はあるが、私はこの二つが主であると考えている。

 改めて尋ねよう。大便した学友を嫌わなくなった理由はなんだね?自らも大便をするからか?それとも、臭気は一時的なものであり、未来永劫消失しないものではないと理解したからか?

 否、断じて否だ。君たちは、それが人間において当然の行動であると知った。そして、生きていれば学校という環境で大便する可能性もあると認めたからだ。我慢は体に悪いと学んだはずだ。どうかね?

 この度も、同じことだ。君たちは『咳』という事象に対して一般的な知識しか持たない。そうだろうとも。『咳』は生理現象であり、当たり前のことだ。人間は当たり前のことに対して興味が無いものだ。

 さて、では『咳』はいかなる時に起こるのか。一般的には、風邪といった病の症状、あるいは、冒頭でも示した、異物を取り除かんとする身体による反射だ。だが、それだけではないことは、一部の諸君がすでに気付いているはずだ。

 そう、そこの君だ。このコロナ禍において衆人環境で咳をしてしまったがばかりに、周囲に睨まれ縮こまり嫌な汗をかいた、君だよ。君なら、他の要因について、すでに理解しているはずだ。

 それ以外の諸君に説明するのならば、まず、乾燥が挙げられるだろう。何故、乾燥すると咳が出るのか。それは人間の体の構造に起因する。

 人の身体において、特に弱い部分には粘膜が張り、その粘膜が防御機能を保持していることは、特に医学に明るい者にとっては常識と言っても過言ではないだろう。…詳しい解説は医療関係者に頼みたまえ。私は専門家ではないのだ。尤も、彼らは君らに構うほど暇ではないだろうが。目の前にある文明の利器を使ってみてはどうかね?

 その粘膜だが、前提として湿潤していなければならない。乾燥するとその機能を万全に果たせなくなるのだ。理解したかね?つまり、機能低下した粘膜が応急として咳を発生させるのだ。事実、咳は炎症の元であり、炎症は君たちの身体が君たちに身体の危機を伝える手段である。

 要は、君たちは自らの身体から煽られているのだよ。『ここまでしなければ分からないのかね?存外私たちの主は鈍いな』と。細胞一つ一つに侮辱される気持ちはどうかね?憤怒する前に自らの行いを見直したまえよ。

 さて、他の要因は乾燥だけに留まらない。例えば、飲んでいた、あるいは食べていた食物が気管に入れば咽るだろう。これも生理現象だ。年を重ねていれば喉に痰が絡むこともあろう。これも生理現象だ。あるいは生まれつき粘膜が弱く、些細なことでアレルギー症状が出ることもあろう。これも生理現象だ。

 物事の原因が単一であることは稀だ。その、極々当然のことに、君たちは気付かない。いいや、目を向けようとしない。何故なら思考停止が常であり、ましてやその状態で生きられるのだから。それだけ世界が、いや、殊ここ日本が特に平和であるからだ。

 だから、平気で人を傷つけ、異常事態であることを免罪符に素知らぬ顔で無関係を装うのだろう。それを悪だとは言わない。人間に然るべき性質の一つだ。同時に、人間が愚かであるという理由の一つでもあろうが。

 思考停止ではないことの証明。それは実に簡単だ。この状況を自らで考え、どのようにすることが最も適切であるか、考えたまえ。君たちにはその脳があるはずだ。脳で足りなければ文明の利器も使いたまえ。使えるものは何でも使うのだ。効率など求めてはならない。それが許されるのは才気ある者のみだ。

 さて、では君に一つ質問だ。

 咳をするということは、どういうことかね?

 私に答えを言う必要は無い。その回答が思考停止であるか否か、それは君自身が明瞭に理解しているはずだ。


 勿論、以上のことは咳をした人物が適正なマナーに則り、問題なく咳をした場合に限ることをここに明記しよう。そもそもそのような社会から後ろ指を指されるような人間はいないと信じたいが。

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後書き

 咳をした人に怒ること、その人を恨むことはエネルギーの無駄です。その苛立ちは貴方の免疫を下げるリスクに繋がります。ストレスによる免疫の低下は、あります。これ以上、感染リスクを自ら増やさないでください。

 そんな想いを載せた風刺です。この風刺によるストレスは自己責任です。冒頭を読んだなら理解して頂けるはず。

 過剰な防衛は逆効果です。過ぎたるは猶及ばざるが如し。ここにおいて重要であることは、対策をしっかりと取っていることを根拠とした自信です。病は気から。『自分が病にかかり得る可能性』、それを極力削ぎ落すことで、結果的に、貴方は病から守られ、精神の平穏を得ます。

 ……後書きだけ読めばよかった、ですか?それは失敬。文字を書くことが趣味ですので。悪しからず。

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