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ただ自分というギフトで在り続けること

今年10歳になるアンスクーラーの長女の”学校に行かない”という選択を通して、外側に変化を求めなくても世界が変わっていくということを、親という立ち位置で体験させてもらった。

ちょこちょこFBやnoteで出来事を書いているけれど、それをもっとまとめてお伝えしてみようと思い立ち。

自分というギフトで在り続けることで変化が起きる究極の非暴力レボリューション、私たちに起こったそんな楽しい体験をシェアするよ。

小学校に行くという選択

4年前の4月長女は小学校へ行くという選択をした。

というのも彼女が学校へ入る前から、母親である私も父親も、行っても行かなくても良いという感性を持っていたので、どちらでもいいよという選択肢を伝えていた、その中で彼女自身が「行きたい。」と言ったので学校へ通い始めた。

親から見る彼女の登校の足取りは日を追うごとに重たくなっていくように見えた、前回投稿した記事のような事も言っていた、それでも彼女は、「春夏秋冬全ての季節を体験してから決めたい。」と言っていたので、私たちは彼女の選択を尊重しただ見守っていた。

私と学校との関わり①

母親である私も自分なりに学校と関わっていた。

娘が学校を休みたいと言えば心の声を大切にして休ませていたのだけれど、そんな風にしていたら、

「なんで学校休んだの?風邪じゃなきゃ休んじゃダメなんだよ。」

とクラスメイトに言われるのが嫌だという、小学生になると急にみんなダメダメ言い出す、そうか、みんな先生にそう言われてるんだなと思い、参観日に私の気持ちをお伝えした。

「先生、私は体と同じで心も大切だと思っています。心の声を聞かずに体に出てから休ませるのではなくて、心の声を感じることを大切にさせてあげたいと思っています。」そう言うと、

「じゃあ私が今日は気分が乗らないから学校を休むと言ってもいいんですか?」と返答されたので、

「先生ぜひそうして下さい。」と答えた。

私は心からそう思ったから率直な気持ちを言ったまでなのだけど、それに困り果てた当時の担任の先生が、「校長先生ー!」とたまたま通りかかった当時の校長先生に助けを求めた。おっもしかしてこれがモンスターペアレンツってやつか、とふと心に浮かんだのを覚えてる。

学校やめる!

1学期が終わり夏休みに入った。通信簿を見ると学期の半分は休んでいた。

学校の長い休み明けに登校できなくなったり、自死する子供が多いと言うけれど、長女の新しい選択も夏休みが明ける頃だった。

「あと何回寝たら学校?」そんな質問を頻繁にするようになった、「あと10回だよ。」「あと7回だよ。」「あと2回だよ。」と私が答えた日、

「○○(彼女の名前)学校やめる!」

と声高らかに宣言した。

「あれ全ての季節を体験してから決めるんじゃなかった?」の私の質問に、「ううん、もうやめる。」とはっきりと答えた。

理由は「学校にいるとなんかモヤモヤする。」からだそうで、「じゃあいつも周りにいる大人にやってるみたいに先生にも自分の気持ちや疑問伝えたら?」と私が言うと「なぜか分からないけれど学校は言える雰囲気じゃない。」と言うことだった。

思えば参観日で見た彼女の姿はいかにも未熟な「小学1年生」という感じで、家で見せる、体は小さいけれど完璧で大きな魂の存在という感じとは違っていた。人はどう見られるか、どんな環境に置かれるかで、こんなにもその役割を演じられるものなのだ、と感じたのを覚えてる。

私と学校との関わり②

「〇〇学校やめるそうです。」そう担任の先生に伝えると、

「そうですか、悲しいです。〇〇さんに先生が悲しんでると伝えて下さい。」と言われた。

当時は娘の気持ちに寄り添ってもらえてないように感じていた、気になるルールや宿題、お休みのことなど、こちらの気持ちを伝えても先生の方針は頑なだった。

その上でこの言葉、先生が悲しんでるから、と言う理由で娘が登校したらこの人は満足なのだろうか?娘の気持ちはどうなるのだろうか?誰かのために自分の気持ちを我慢することを6歳で覚える必要があるのだろうか?

当時先生は、ただ素直に「悲しい」と言う言葉が出ただけなのかもしれないけれど、私の頭はそんな疑問でぐるぐる。

同じ頃町の図書室で『「みんなの学校」が教えてくれたこと』という本に出会った、

2015年2月から全国で公開され、大ヒットしたドキュメンタリー映画『みんなの学校』。この映画の舞台となった大阪市の公立小、大空小学校では、「自分がされていやなことは人にしない」というたった一つの校則と、「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念のもと、障害のある子もない子もすべての子どもが、ともに同じ教室で学んでいます。

公立の学校でもこんなことができるんだ!本を読んだ夜は眠れないほど興奮した。何か変えられるかもしれない。

すぐに本を3冊購入して、長女の登校についての、担任の先生と校長先生、教頭先生との話し合いに持っていって「これ良かったら読んでみて下さい。」と差し出した。

こんな学校になったら先生方もきっと楽しいはず!希望にらんらん燃えてる私に反して、机の上に差し出した本に、当時の校長先生は触れもせず、明らかに迷惑そうな顔をした。

全く交わりを見出せない話し合い、校長先生の言っていることと、先生の座る向こうの壁に掲げてる「ちがいをみとめる〇〇(学校の名前)っ子」のスローガンの乖離がまるでコメディを観ているようだった。

そして私も、戦いたいわけじゃない、子どもたちが伸び伸びとありのままの自分で過ごせる学校づくりに貢献したい、そう思っているはずなのに、話し合いが始まるとつい攻撃態勢になってしまう。

当時の校長:「指導者が指導を行い易い環境づくりも大切なので。」と言えば、

私:「なるほど、子ども主体ではなく、指導者のための環境づくりをなさってるのですね?」とこんな感じに。あは。

それでもまだその時は、何か自分ができることを、という改革気分がふつふつとしていたんだ。

登校選択はレストランのメニュー選びと一緒

その頃FBの友人の投稿を通してとあるNHKの番組を観る、夏休み明けの9月1日、日本では子供の自殺がもっとも多い日、それを受けて、教育評論家の尾木ママこと尾木直樹さんの、不登校をポジティブなものとして捉えた番組だった。

いろんなタイプの学校に行かない選択をしている(またはしてきた)子供が5人ほど出演していた中で、私もフリースクールの研修で訪れたことのある、兵庫県にあるデモクラティックスクールまっくろくろすけの卒業生の言葉に気づきが降ってきた。

「僕にとって学校へ行く行かないの選択は、レストランでうどんを選ぶかカレーを選ぶかと同じ、その時好きなことを選ぶ、それくらいのことです。」

か、軽い!めちゃくちゃ軽い!出演者の子供の中には、登校できなくて悩んでる子、不登校を経て当時は悩みながらも今は自分の道を自分で選択して明るく生きてる子など、いろんなタイプの子がいたけれど、その子は学校に行く行かないという選択を全く重要視せずまるで風のように軽い子だった。

その言葉を聞いた時ハッとなった。

学校に行っても行かなくてもどちらでもいい、と口では言いつつ、心の奥底では、学校は行かなくてはいけないところ、という概念が自分にあったことに気がついた、

だから校長先生や担任の先生の言葉にいちいち反発する気持ちが生まれていたんだ。

気づいたら後は手放すだけ、レストランのメニューを選ぶくらい軽いこと、と思ったら、途端に先生の言葉が気にならなくなった、と同時に改革気分も消えていった。

このうどんが美味しい!と出してる人に、私はこうした方が美味しいと思います!なんていう必要ない、良いも悪いもない、それはその人の味なのだから、それでいいじゃない、それに私の娘はうどんはもういらないと言ってるんだから、彼女が食べたいものをサポートする方にエネルギー使おうっと。

こんなことを経て、学校を改革しようというキモチから、娘の選択に寄り添う新しい創造へのエネルギーへと自分が変化していったのです。

アンスクーリング生活

こうして気持ちも軽やかに娘のアンスクーリング・ナチュラルラーニング生活が始まった。ちなみに、アンスクーリングとは、

学校には行かない
子ども自身で何をするか決める
カリキュラムや試験はない
グループで行動することもあれば個別で行動することもある
大人が問題を出して正解を教えることはしない
保護者は必要な時に手助けするだけ

ナチュラルラーニングとは、

人間とは生涯にわたり"知り学ぶ"生き物です。言葉の発し方、歩き方、自転車の乗り方など、"知りたい、できるようになりたい"という対象に集中して取り組んでしまいます。そんな時は自分の好きなことをしているので何時間でも夢中になってしまうものです。様々な研究・調査の結果から「"学びたい"と思うことに関連する知識をとことん教え一緒に調べてあげることが最適な教育手法」と導き出されたのが『Natural Learning』(自然学習)です。

要は暮らしの中で学びたいことを学びたいときに学びたいだけ学んでいく、私たちが赤ちゃんの頃から自然にしてきたこと。

私も父親も学校に通っていたので(父親はおもしろ学校生活を送ってきたので、またその話はあとで)初めての経験だけれど、

教えていなくても好きなことから字を覚えていっていることや、暮らしの中で工夫している姿、やりたいことは自分でやり遂げる姿、子供も大人も年齢の境目なく”友達”として捉えて接しているコミュニケーション力、自分のやりたいを自由に選択することで、相手の選択の自由を尊重する姿勢、人それぞれ違う世界を持っているという理解、自分大好きで屈託がない彼女と暮らしていると、

学校で学ばなくても、人はこうして必要なことを学んでいくんだ、というのを見せてもらえて、興味深く、楽しくておもしろい。

娘自身にはアンスクーリング、やナチュラルラーニングという概念すらなく、ただ「毎日楽しくて時間が足りない」のだそう。

先生たちと娘の関わり

学校との話し合いで、登校を促すことはしない、というのもすんなり決まり、2年生、3年生もアンスクーリング生活は続いていた。

とは言え在籍はしているので担任の先生との関わりはあり、週に1回金曜日の放課後にプリントを持って娘に会いに来てくれる。

先生が現れると娘は「せんせーい」と言って大好きな友達を迎えるように両手を広げて笑顔で抱きつく。

2年生の先生は年賀状で、

「いつも楽しそうで笑顔の○○さんに会いにいくのが先生は楽しみです。ありのままの○○さんが先生は大好きです。」と書いてくれて、私はほろっとさせられた。

3年生の先生は、

「なぜかあなたとは遊びたくなる。」と言って、放課後や休みの日に長女と遊びに来てくれた。今年4月になり学校が変わる時も「これで先生と生徒じゃなくて、本当のお友達として会えるね。」と娘に耳打ちしていた。

母親の葛藤

本人はなんの悩みも問題もなく楽しく過ごしている日々の中、私の中に葛藤が生まれはじめる。

「彼女のやりたいをサポートできてるのか?」

長女の他に6歳と2歳の娘も家でみていて、特に2歳にまだ手がかかるので、長女のやりたいにすぐサポートができない、親としての役割を果たせてるのか、そんな罪悪感まで生まれてくる始末、

「なにか私には思いもつかないような方法がないかな?」

小さな私の思考を超える何かがあるはず、答えを求めるでもなく、そんな問いを投げかけてみた。

全く想像もしていなかった展開

3年生の終わり頃、ある資料に判を押す用ができて久しぶりに学校へ足を運ぶことになる。

そこで4月から新しく来た校長先生と初めて会い、話をする。校長先生は「子供は学校の宝です。学校は子供が来て初めて成り立つところ、いろんな施設や物があるので公園だと思って利用して下さい。教室に入って座って勉強しなくてもいいです、お子さんの好きなことをここでして下さい。」と言われた。

また校長室で話してると、養護教諭(保健室の先生)が「帰りに身長と体重を計りに寄って下さい。」と声をかけてきた。

校長先生とのお話が終わった後、保健室へ。

養護教諭の先生の話の端々に、おや、この方、私の世界観と交わるところがある、というのを感じた。「いつでもまた保健室に遊びにきて下さい。〇〇さんここで好きなことしたらいいよ。」と言ってくれた。

そこで私が聞いてみる、「最近娘がキャンドル作りをしたいと言ってるのだけど、小さな子もいるしなかなか家でやってあげられなくて、それを学校でできたりします?」と言うと、2つ返事で「いいですよー、ただ学校は予算がなかなか出ないので、材料さえあれば。」とのこと、材料はもう随分前から家に用意してあった。

こんな風にして新しい学校との関わりが始まった。

長女は気が向いたときに学校へ行くと保健室へ向かい、

「今日は何する?」

と言う養護教諭の言葉から活動がスタートする。

折り紙したり、絵を描いたり、竹馬したり、体育館でバスケをしたり、ごっこ遊びをしたり、同じように学校に行かない選択をしてきた友だちと一緒に4人くらいでさながら学校内でフリースクール。

ずっとやりたかったキャンドルづくりも、養護教諭とリハーサルした後、3年生の授業になり、同級生に娘が教える形で実現した。

私が投げかけた問いは、一度手放した学校という場で実現されるという、想像を越えた現実が現れた。

自分というギフトで在り続けることで変化が起きる究極の非暴力レボリューション

「私たちの周り優しい人しかいないね。」長女がよく言う言葉。

世間で言う”不登校の悩み”が私たちには一切ない、学校に行かない選択をしても、学校や近所との摩擦も無く、毎年担任の先生とも楽しくお付き合いをさせてもらっている、運がいい、と言えばそうなのかもしれない、

それでも彼女の落とした雫が触れ合う人の心に何か波紋を起こしてるようだ、

校長先生は、「ほんといつもにこにこしてて楽しそうですよね、彼女からいろんなこと学びます。」「〇〇さんのお陰で学校というサングラスをかけて見えなくなってしまっているものを見せてもらえます。」私の「前の学校でもこういうことしてたんですか?」の問いに「学校って不思議なところで校長の方針が絶対なんです、以前まで私は教頭でしたからうなずくしかできなかったんですよ。」

養護教諭の先生は、「前に勤めていた学校で教室にいられない子がいたんです、走って教室の外に出てしまう、追いかけていって何をしてるのと聞いたら、雨の水を集めてる、その子は学校のやり方が合わないだけで、素晴らしい子なんです、その子が伸び伸びと学べる学校を作りたいと思いました、「今日はなにする?」から始まる学校をやってみたかった、だから○○さんたちに「今日は何する?」と言った時鳥肌が立ったんです。」

同じ学校に通ってる子の保護者に新しい学校との関わりを伝えると、「嬉しい、私は子供を学校に通わせてるけど、いろんな選択があっていいんだと言うのを、子供たちに肌で感じてもらいたい。ありがとう。」と涙を流してくれた。

とある子は「うちの学校に○○ちゃん(娘の名前)っていう子がいてね、その子学校に来てないんだよ、学校に行く行かないは選択できるんだよ。」と言っていたというのを聞いた。

それぞれの人生が交差し、立ち現れた世界、

どれも、もし娘がありのままの自分を押し殺していたら現れなかった世界、

彼女が小学校1年生の時に私が見たかった世界、

娘は外側(学校)の環境を変えるための力を1ミリも使わず、
ただただ自分のハートの声のままに選択して、
心地よい環境が自然にひらけていく。

”自分というギフトで在り続けることで変化が起きる究極の非暴力レボリューション”

この体験を経て、私の中にそんな言葉が浮かび上がった。

とは言うものの、レボリューションだと喜んでるのは、いろんな概念を思考に持っている大人の私だけで、当の本人はただ自分のハート従ってその時の”好き”を選んでいるだけ、

枠の外で生きてる彼女を見てると、
私たち大人は、いつからか生きてるうちに培われた幻想に、思考の中で囚われてそこから自由になりたいと戦っているだけで、
ほんとは生まれてから一度も自由でなかった事なんてなかったんだと思い出す。

以前学校でのキャンドルづくりのこと、
ママのFacebook でシェアしていい?
と聞いたら、

「うんいいよ、それを見てほんとうにやりたいこと選べるんだって知るきっかけになって楽しい毎日を過ごせる子が増えたら嬉しいから。あっでもそうならなくても、私が楽しかったから(それだけで)いいけど。」

と答えた。

誰かのためじゃない、自分のために生きることで、自分が楽しいうえに世界の貢献になる。

そこから立ち現れるまだこの世界が見たことのない世界を、

私はもっともっと見てみたい。

そうそう、大人の私たちは意味のある事ばかりしたがったり、させたがったりするけれど、意味のない事にこそに世界に調和をもたらす鍵があるような気がする、

長文になったけど、読んでくれてありがとう。

意味がなくてもあなたがワクワク心地よい方へ、

あなたという存在のギフトをこの世界にありがとう。


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