子供をどんな存在として見る?

朝face bookを開いたら、
ポンと上がってきた過去の記事、
2018年4月25日、
3年前学校に通い始めた長女が発した言葉から私が受け取ったものをシェアさせてもらった投稿。

子供を、

“成長過程の未熟な存在”
として見るか、
“生まれながらにしてもう完璧な存在”
として見るか。

場を提供する私たち大人が、
どう見るかで子どもたちに与えられる環境は全く違うものになる。

先日観た教育のドキュメンタリー映画、
『Most Likely To Succeed』
の冒頭に出た引用にハッとさせられた。

“If we teach today as we taught yesterday,we rob our children of tomorrow.” – John Dewey
「昨日の教え方で今日教えれば子供達の明日を奪う」ー ジョン・デューイ(アメリカの哲学者)

今の公教育に疑問を持つと、
こんな学校があったらいいのにという発想が出てくる。

いつだったか、

陰陽の法則とか、
宇宙の仕組みとかとか、
思考の現実化とか、

そんな事を子供のころから教えてくれる学校があったらいいのにと呟いたら、

「ママが子どもならそれをしたいと思わなかったかもしれないでしょ。」
と即答された事があった。

結局大人の私が自分の記憶を元に、
これを教えた方がいい、
と思うこと押し付けてるだけで、
それでは既存の学校と変わらないのだ。

3年前に発した言葉を覚えていないという長女、

先日夕食の席で、
飽きもせず、
こんな学校あったら良いのに話を私がしていたら、

「学校ってくくろうとするから難しくなるんじゃない?場があればそれでいいんじゃない。」

と言っていた。

区別も分離もなく、
ただただ自由に心地よいを選択する世界、
そんな景色が彼女には広がってるようだ。

彼女の言葉が凝り固まった私の思考を解き放してくれる。

生まれながらにして完璧な存在

そう子供たち見る事で、
私たち大人も、
無限大の未来を感じられる恩恵は大きい。

そしてかつて子供だった私たちにも、
その存在としてのパワーが内側に戻ってくるのだ。

#ナチュラルラーニング
#education(教育)の語源は”引き出す”
#46億年の地球の歴史からみれば子ども大人も地球同級生でしょ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?