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髪を35センチ切った翌朝の


寝ぼけた頭で、そうだった、と思う。
昨日までは長さのおかげでそれっぽくなっていた天然パーマもショートカットとなるとただのボサボサだ。

切らなきゃよかったな、とふと思ってすぐ消えた。
これでもう、長すぎる毛先が味噌汁に浸かることもないし、眠い目を擦りながら15分ドライヤーを当てなくても済む。


好きだった人にあわせて伸ばし続けていたけれど、誕生日を目前にして
すこしでも自立した女性になれるよう、
半ば願掛けのように切った。
髪を切ったくらいじゃ何の自立にもならないのは重々分かっているけれど。

ショートカットにするのはこれで三度目。
二度目の時もかなりの長さを切ったから、
その時はヘアードネーションもした。
でも今回はしなかった。

以前はほんとうに強い思いからだった。
最初は惰性で伸び続けた髪の行方を、
焼却場にするのか職人の元に届けるのか。
その選択だけだった。
でも調べるにつれて、私にもできることがあるのなら是非に、と言う思いになった。
その時点で寄付の長さには届かなかったので、それからさらに一年ほど、月に2回のトリートメントや日々のケアを惜しみなく注いだ
純粋に、子供たちの笑顔に変わればいいなとぼんやり思った結果の行動だった。

切った後ももちろん後悔はなかった。

でも最近は、35センチも切るとなると
どこかしらで、ヘアードネーションしなかったんですか?と聞かれる世の中だ。
「ボランティア」を、どうして
義務的にしなければならないのか。
ちゃんちゃらおかしな話である。

「髪は女の命」
などと言う癖に、
その命を寄付しろと簡単に言うんだ。

お前は40センチ以上髪を伸ばしたことがあるのか馬鹿野郎。
それを切る勇気を知ってるのか馬鹿野郎。
寄付してから言え。
何でもやってから言え。

「そんなのでいいの?よく知らないけど」
世の中のアンチなんてだいたいこの精神で文句を言ってくるから本当に不愉快だ。
「誰だれがこうだって言ってたよ。そうらしいよ」
そんなものに正義などあってたまるか。


今の現状だってそうだ。
総理にもなったことがない癖に
「何がマスク支給だよ」

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