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志村けんさんは私のことなんて知るよしもないのに、勝手に泣いて、勝手に感謝する。

昨日、日本が誇るスーパーコメディアン志村けんさんがお亡くなりになりました。
某ウイルスの仕業です。

いつものように遅めの朝に目を覚まし、軽く部屋を片付け、コーヒーを淹れ、
ルーティン的にtwitterを開き、志村さんが亡くなったことを知りました。
いろんな芸人さんや共演されたタレントさんをはじめ、多くの方々のお別れの言葉を読んでいたら、ぼろぼろ涙があふれてきて、しばらくの間スマホを握りしめて号泣しておりました。

泣きながら、どこか冷静な私が
「おや。こんなに泣き続けるほど、私は志村さんファンだったかな?」と。

私たち世代がもの心がついた頃といえば、テレビの中にいる志村さんはまだ若手といったところ(だったはず)。
ドリフターズの中では一番年下で、なんだかおっちょこちょいのお騒がせキャラ。
子どもながら、勝手に親近感を覚えていたような気がします。

そして、自分たちが成長して大人になっていく流れの中で、
志村さんは、お笑い界のみならず、芸能界でも大御所と呼ばれる存在に。
ファンだったかどうか?よりも、
近所のよく遊んでくれたお兄ちゃんが、気付いたらすっごい人になってて、
そのお兄ちゃんが亡くなった、という感覚なのかも知れません。

なんて、自分の中の志村さんの存在まで考えられるほど思考しているのに、
やはり涙は止まらず、「私、なんでこんな泣いてんだろ?」と思いながらも泣き続け、
すこし落ち着いた頃に、気がついたのは
「あぁ。気を張ってるだけで、本当は泣きたかったんだな」ということ。

新型コロナウイルスを気に掛けはじめて2カ月弱。
記憶によると・・・
2月の冒頭/私の中ではまだコロナ以前。
2月5日とかそのあたり/「んん?」と思いはじめ、すごいスピードで情報を集める。
2月半ば/情報が蓄積されるほどに、周囲との温度差をどう扱ってよいか分からず、自主自粛に拍車がかかる。

こんな過ごし方してたら、そりゃーそろそろ泣きたいよね。

私、普段からあんまり涙でないんですよ。
感情は震えてても「泣けたらすっきりするのに」と思っても、物質として涙が出ないから、時として涙が出たときは、人に戻れたような気がしてちょっと安心する。

同じような方、きっといらっしゃるんじゃないかなぁ。
ひとりでいると、泣ける場所もない。
いや、ひとりなんだから、本当はいつ泣いたっていいはずなんですけどね。
泣いてしまったら、もうダメになっちゃう気がするっていうか。
だけど、泣いたらすっきりすることの方が多いんですよね。
涙にはストレス物質が入ってて、泣くとすっきりするとかも言いますし。
なんだったら泣いてしまった方が、強くいられるのかもしれない。

コロナに関していえば、専門家ではないから分からないけれど、まだまだピークはこれからだろうし、これからこそ強くしなやかにいたいもの。
泣いたらいいと思います。

今まで、誰に気を遣って泣けなかったのか。
もっと好きに生きていいんじゃないのか。
泣いて、笑って、過ごせばいい。
理屈では分かってることなのに、体現できてなかったな。。
なんだか、急に視界が広がったような気がしました。

子どもの頃から心の中にいた近所のお兄ちゃんに、とんでもないギフトをいただきました。
いや、志村さんは私のことなんて知るよしもないし、勝手にいただいたんですけど。
多くの方に知られ、愛されてきた人って、いろんなかたちで影響を与えるんだな。
ご冥福をお祈りいたします。


ものすごい久々に書きました。
明日も書こうと思います。何を書くかはもう決めました。
soretonaのことです。


Naho Miyashita(soretona)

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